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死ぬ覚悟をしてた時に見ていた塔

「見てみてー!あそこの鉢植えの花、やっと咲いたよー!」
「これが楽しみだったんだよねー!」

病室に入って、一番最初に聞こえた会話だ。

窓から見える、窓枠の中だけの世界に楽しみを見いだしていた。
そんな会話、嫌悪感を感じたし、そんなんで何が楽しいんだなんて思っていた。

入院初日。

私は、脳腫瘍摘出の為の手術入院のため、病室に入った。
ここまで来るのに色々ありすぎて、一つの記事では書き切れないので、
今回は写真の塔について。

さっきの会話は、白血病の17歳の少女の母親。元気すぎて病室には合わないテンションの話し方の方だ。

あくまでこれは、私の初見の印象であって、数日経つとこの感情、印象は間違っていたことに気づかされる。

緊急外科病棟の病室にはいろいろな方がいらっしゃった。

同じく白血病の小学生に上がったばかりの少女と、これまた元気な母親。

私と同じ脳腫瘍で、でも場所が違うから症状の違う、おばあちゃま。

モヤモヤ病という、言葉や数字が出てこなくなる、手術を終えた1歳のお子さんを持つ若い母親。

手術したら、乱暴になるかもしれないので、今のうちにご挨拶しておくわ、と
上品でとても感じの良い、優しいおばさま。

入院中は、戻って来なかった、とか、入れ替わりでメンバーは変わるが

メインメンバーはこんなところ。

私は脳腫瘍の影響で、片目完全失明状態。(光すらわからない真っ白な世界)
残った片目の中心が辛うじてぼんやり見える状態で入院した。

入院中は、何を考えてたかな。

手術するまでに、開頭はリスクも高いからと、ギリギリまで粘ったのと
腫瘍場所が、「赤ちゃんを諦めた時に手術しましょう」という場所だったので、
悪あがきでギリギリまでのばしてもらっていたが、

このままでは両目失明してしまう。その後も命に関わる。

と、手術受けることに。

私の場合、選択肢が3つあったが、
1、薬で腫瘍を小さくする。→1年飲んだが途中脳内出血の塊で腫瘍さらに大きくなり、効かない。
2、放射線治療。→視神経が絡み付いてるので、受けれない。
3、外科手術。→これしか選択肢はなかった。

入院中は面会謝絶で、一人息子にも会えなかった。
偶然を装って、祖父母に連れられて病棟のエレベーターで来てもらって、
遠くから手を振るくらいしかできなかった。

心配かけたくなくて、笑顔で。

やけに元気な母親たちの気持ちを知った瞬間だった。

そしてベッドに戻ってカーテンをしめ、静かに泣いた。

まぁ、そんな日々を、悲観することもなく、(ウソつけ!!笑)
どうにか過ごしていた。

運動不足解消のために、廊下をウロウロ歩く。笑

一緒の部屋の、放射線治療で髪の毛が抜けてきたのを気にして帽子を買ってかぶったおばあちゃまと廊下であった。

「ここから見る景色をいつもみているんだよね。」を教えてくれた。

それが、写真にもあった、東北電力の色が変わる光る塔。

「ほら、色変わったよ!」と、おばあちゃま。
なんとかわいい。

私もその頃には、光る塔が、まるでディズニーランドのパレードを見るレベルな感覚で一緒に見ていた。

文面最初の鉢植えの花の会話、非常によくわかった。

それから、毎日おばあちゃまと光る塔を見ることが日課になった。

おばあちゃまと手を繋ぐこともあった。

帽子も一緒に選んだり、いろんな話をしたな。元気かな、元気でいて欲しいな。

一期一会。

今日の会議場所から見えたこの塔が、自分が存在していることの
当たり前じゃないぞ感を、改めて思えた。

会議前に、剥がれた靴のソールをボンドでつけて直しているところを
女性県議員の隣でやってる場合じゃなかった。

あの時の、自分の感情を思い出せて良かった。

靴が直って、歩きやすくなっても、良かった。

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