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映画「ドライブ・マイ・カー」を観て考えた自己統合期について

近所の映画館で「ドライブ・マイ・カー」の特別上映をやっていたので観に行ってきた。
3時間?!と思ったけど、最後まで集中力途切れることなく観ることができた。

確か劇中の舞台のセリフで「47歳…60まであと13年、長いなぁ…」みたいなのがあって、おそらくその年齢層がメインターゲットかな?と思ったのだが(まさに私もまもなくその47になる)、この年頃というのは半ば強制的に「本当の自分」と向き合わされる時期なのかな…と自分の状況に重ねてそう思わされた。 

(もちろん人に寄るだろうが、)我々から上の世代というのは特に、本来の自分自身を隠して家族や他人から見て「良い」と思われる生き方をしがちな人が多いのではないかと思う。
御多分に洩れず私もそのクチだ。だから本当の自分に素直になることが異常に難しい。

でも、そうして今まで隠して蓋をして無視してきた本来の自分自身というものと半強制的に向き合わされる時期というのが、人生のある程度のところ、それぞれのタイミングでやって来るように思う。



私は8年前に父を、5年前に母を亡くし、その翌年実家を処分し、さらにその翌年実家から引き取って自宅で一緒に暮らしていた愛犬を亡くした。そして仕事も辞めた。

渦中は必死すぎて気付かなかったが、一人っ子で未婚の私は、母が入院したその日からずっと、「しっかりしていなくては…!」と恐らく相当気を張ったままでいたと思う。
ひどく疲れていたから仕事を辞めたのに、暇ができると大きな喪失感に押し潰されてしまうのではないかと怖くなった。とにかく外に出ていた方が良いだろうと焦って、また派遣の仕事を始めてしまった。
同時になかなか終わらない諸々の手続きを片っ端から片付けていくということで自らを追い込み、「ちゃんと悲しむ」ということを完全無視したまま3年ほど経っていた。

ようやく自分1人の生活環境が整って落ち着いてくると、今度は急に自分自身と向き合わざるを得ない日々が始まった。
それまでは親のせい、仕事のせい…などと何かのせいにして自分と向き合うことから逃げられたのに、その要因が全く無くなったのだから、当たり前といえば当たり前だ。

するとストレスからか、それまでしばらくおさまっていた胆石発作がまた繰り返し出るようになり、おととしの秋、胆嚢摘出手術を受けた。
さらに初めての入院・手術が引き金になったのか、退院後まもなくパニック障害の症状がいよいよひどくなった。
毎度吐き気と闘いながらではあったがなんとか乗れていた電車に全く乗れない、それどころか家からも出られなくなった。
ふらふらになりながらも、すぐに予約の取れた近所の診療内科に行き、薬を処方してもらった。その薬に慣れるまでもまたしばらくひどい吐き気との闘いで、もう訳がわからないくらい辛かった。

それを機に本格的に引きこもり生活が始まり、ただひたすら自分自身を丸ごと見直す日々が続くこととなる。

コロナとは関係なく、自ら人との接触を絶った。人に会う気力がなかったから寂しさもなく、ステイホームが推奨されていたおかげで、引きこもることに対する罪悪感も薄まり、精神的には非常に助かった。
外出は通院、近所のスーパーに行く、調子の良い日は近所を散歩する程度の必要最低限のものだけ。起きたらすでに疲れていて、心身ともにとても重苦しい毎日だった。

しかしそれでも、「やらなければならない」という思い込みから無闇やたらに自分に課していたことの全てを一旦ストップして、一人で落ち着いて自分について考える時間を持つということが私には必要だったのだと思う。
外からは物事が何一つ動いていないように見えていただろうし、長い間膠着状態の中であれこれ考えてばかりの日々は決して楽ではなかったのだが、その期間に少し終わりが見えそうな今は、それこそが有意義な時間だったのだと思える。
(しばらくの引きこもり生活が可能な程度の遺産を残してくれた両親にも感謝である。)
パニック障害も減薬を経て今は寛解している。

私は物心ついたときからずっと「やらなければならない」の積み重ねで生きてきたと思う。
自分のやりたいこと、好きなことを発しようものなら母にまた文句を言われる…「あんたにそんなことできる訳ない、無理に決まってるでしょ」。その強い言葉を繰り返し浴び続け、しまいには「そんなことない!」と逆らうことにすら疲れ、本当の望みをひた隠しにするようになった。そのうち自分が心底望んでいることが一体何なのか全くわからなくなっていた。
それは母が逝った後数年経ってもまだ、「あ、あれやってみようかな?」とふと思いついても、「いや、そんなことしたらまた(天国の)母に怒られる…」とビクビクしてしまうくらい強力なブロックだった。

引きこもり期間中に、自己啓発やスピリチュアルの本やブログやYouTubeなどから自己統合関連についての情報を探り、自分にできそうなことをあれこれ試した。
その中から自分に合う考え方だけを取り入れていくということを繰り返して、ようやく今ほんの少しだけ、自分の心の赴くままに任せるということがどういうことなのかを理解しかけている。
「そんな自分じゃダメだ!」ではなく「それでいいんだよ」とダメダメな自分を受け入れて許せるようになってきつつあると思う。

これはまだ兆しが見えてきた程度で、「本当に自分のやりたいことが何なのか?」の答えが完全に出た訳ではない。これまでの人生のほとんどの時間をかけて奥深くまでこびりついた古い意識は、そう簡単には書き換えられない。
しかし、それでも随分気持ちが開けて軽くなってきたように思う。


これが40代半ばの私に半強制的に訪れた「自分自身と向き合わされる時期」というやつだ。


だからこの映画を観ながら、なんてタイムリーな内容なんだろう、と自分自身の状況と重ねて振り返り、「そういう年頃なのか…」と思わずに居られなかったのだ。

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