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#snackbarflat からのお知らせと、”ひとつのお願い”
こんにちは、snackbar_FLATオーナーの箕浦です。
みなさま健やかにお過ごしでしょうか?
snackbar_FLAT は、これまでたくさんの方々からご愛顧いただき、
みなさまのおかげで多くの出会いや愛すべき貴重な機会に恵まれてきました。書籍の刊行をお祝いするスナックイベントがあったり、みんなで豚汁を飲みながらワイワイ楽しむイベントがあったり、はたまた、しっぽりお酒を交わしつつ、こじんまり
数々の出会いやイベントが、「snackbar_FLAT」で生まれました。
更新不精、直りません。ちょっともう諦めます。前回の更新は、2019年8月。前々回が4月だったのを考えると、春・夏ときて今回が「秋」なので、それもそれで良いんじゃないかと思っている次第です。もう冬っぽいけど……。笑
さてみなさん、いかがお過ごしでしょうか。改めまして、snackbar_FLATオーナーの箕浦です。ここでは、前回と同じく、snackbar_FLATで貸し切り営業をしてくださった方
オープンから半年、にぎやかで愛あふれる「snackbar_FLAT」の夜たち。
もはや恒例の「更新不精」……。最後に更新したのは、2019年4月のことでした。すでに季節がひとつ変わってしまった……。みなさん、いかがお過ごしでしょうか。snackbar_FLATオーナーの箕浦です。
こうしてnoteを更新しないうち、snackbar_FLATでは、たくさんのイベントが開催されていました。楽しすぎて更新できなかった、なんて言うと言い訳がましいですが、そんな感じです……。笑
「snackbar_FLAT」が過ごしてきた、いくつもの幸せな夜を紹介します。
noteのラスト投稿が、2019年2月17日………。はや2カ月。相も変わらず、僕の “更新無精” は治らないようです……。
おかげさまで、上の記事は多くの方に読んでいただけました。とっても嬉しいなぁ。その後、更新は続かなかったけれど。
「あなたの “ツイッター”?とかいうのを見たという人が、この前たこ焼きを買いに来たわよ。ツイッターって何なのかしら。それとノートがどうとか言ってたわね。」
連載最終話 そして、これから。花たこの新たな姿・仲間を紹介します。
これまで、自分語りも含めて色々と書いてきた理由。それは正直、自分がやるお店を知って欲しかったから。やっぱり僕も人間だから、やっぱり自分にも得できる部分があってほしい。でも、それだけがすべてじゃない。もちろん。
おばあちゃんが背中を押してくれたこと。『お店、やったら?』と声をかけてくれたこと。それってきっと、“僕への応援” であって、嘘偽りない純粋な気持ちであったんだと思う。だから、僕もそこに対し
STORY⑧ 「いつか」と話していたことが、「いま」になった。
これまで、さすがに話が脱線しすぎた。戻そう。
そうそう。なぜ、おばあちゃんが僕に『お店出せば?』と聞いてきたのか、ということだ。
正直、詳しい理由まではわからないけれど、きっとここまでに書き続けてきた話を、おばあちゃんにも全部話していたからなんだと思う。やりたかったこと。やれなかったこと。やってきたこと。そして、これからやりたいこと。
それらすべてを、若輩者の僕から、熱心にお話させてもらった
STORY⑦ オトナになれない僕が、コドモたちの夢を叶えたいと思った日。
移動式ミュージックバー、『ZIPCODE Tokyo』。
本質を見抜く目を持ち、誰にも媚びることなく、信条や価値観を自ら決める事ができる「オトナ」と、夢や目標はあるがアクションまでには至っていない「コドモ」が出会えるような、一種の “社交場” を目指した。
『日本/海外』、『各国の都市/東京』、『ハイブランド/ファストファッション』といった、ありとあらゆるすべてが並列に見られる時代だからこそ、
STORY⑥ “手ざわり”のある仕事を。僕がこれまで歩んできたサラリーマン人生と、その先
前回の話で、僕が「衣食住の事業を営んでいる会社のサラリーマン」だという話をした。クラブカルチャーに加えて、これも同じく、今の自分に欠かせない要素。
クラブに入り浸っていたこともあり、就職活動においては、音楽関連の会社ばかりを受けていた。結果的に入社した今の会社のことは、正直まったく知らなかったし、そんなところへ入社するキッカケとなったのも、ある一種の溜まり場である「喫煙所」での出会いだった。
STORY⑤ 本当に格好良いことは、いつだって “二歩ぐらい先” なのかもしれない。
『スタジオ54』
その名前を知ったのは、僕のルーツとも言える “クラブカルチャー” について改めて調べていた時だった。
DVD などの映像資料は時たま見つかったりもするが、詳しい文献は一向に見つからない。ましてや学術的な論文なんか、もってのほかだ。
ただ、ウェブにアップされているたった少しの記事を読むだけで、そこの雰囲気やワクワク感、クラブカルチャーが若者にとっての “憧れ” であったような
STORY④ 原体験としての “クラブカルチャー” が、僕のすべてを作ってきた
僕は、1989 年生まれの29 歳。「衣・食・住」に関する事業を営んでいる会社のサラリーマンだ。入社直後には「食」領域の店舗勤務を経験し、経営企画や財務経理などの本社勤務を経て、今は「衣」の領域に関する事業にかかわっている。
思い返せば、7,8 年前も前のこと。大学生だった頃には、DJ やイベントオーガナイザーとして活動していた。毎晩のようにクラブに入り浸っては、遊びに明け暮れる。きっとあそこで
STORY③ “未来は誰にもわからない。だから楽しい” は、真実だった。
『たこ焼き屋さん、12 月いっぱいで立ち退きなんだよね……』
そんな話があったのはいつだっただろうか。夜になれば連絡をくださり、いつもいつもご飯を食べに連れて行ってくれるおばあちゃん。毎度元気な彼女の顔が、いつにもなくどんより曇っていた。
立ち退き。都市開発の一環、彼女のお店にもその矛先が向いてしまったのだという。40 年以上も続く、いわば “街の顔” とも言えるお店が、その対象になってしまっ
STORY② 大雪の翌日。いつもどおりの日常と、ひとつの事件
昨晩の大混乱はいずこへ、翌朝になればいつもどおりの日常が待っていた。
バタバタとした朝。前日の大雪の影響か、仕事ができない僕のせいなのか、やっと一息つけたのは夕方になってからだった。ふと、昨日も着ていたダウンのポケットに手を入れると、おばあちゃんがくれた紙の切れ端があった。それはもう達筆な文字で、電話番号が書かれているやつ。そうだ、昨晩のお礼をしよう。
『もしもし!?』
相当大きな声。本当、元
STORY① 記録的豪雪が生んだ、“奇跡” のはじまり。
『酔っ払いから女性を助けたら、彼女ができました』
数年前に流行った某掲示板、某映画のようなタイトル。
『おばあちゃんに声をかけたら、一緒にお店をやることになりました』
同じようにして、僕もそんなタイトルをつけようかと迷ったんだけど、なんだか俗っぽくてやめた。
でも、自分でもまさかこんなことになるなんて思わなかった。奇跡のような日々のストーリーです。
あれは2018年1月22日、東京都心で