STORY⑥ “手ざわり”のある仕事を。僕がこれまで歩んできたサラリーマン人生と、その先


前回の話で、僕が「衣食住の事業を営んでいる会社のサラリーマン」だという話をした。クラブカルチャーに加えて、これも同じく、今の自分に欠かせない要素。


クラブに入り浸っていたこともあり、就職活動においては、音楽関連の会社ばかりを受けていた。結果的に入社した今の会社のことは、正直まったく知らなかったし、そんなところへ入社するキッカケとなったのも、ある一種の溜まり場である「喫煙所」での出会いだった。

就職活動を通して(コイツ、なんとなく漠然と面白いなぁ)と思えた奴。彼との予期せぬ出会い。できれば一緒に仕事したいな、と思ったりして。音楽関連の会社ばかりを受けていたけれど、正直、彼と一緒ならどこでも良いな、なんて。


そんな彼と出会った年に、僕がまさかの留年。「人生はこうも上手くいかないもんか……」と絶望するところだったが、その翌年、追いかけるような形で、彼が務めている会社に入った。「衣・食・住」の事業を営む会社。音楽なんか、まったく関係なかった。

こんなキッカケで会社を選んだもんだから、志望動機なんて、まったく上手く言えない。「衣・食・住、生活のベースとなる事業を多くやっていることもあり、その次は “文化的側面”、僕のバックグラウンドでもある “音楽” に関する事業を手掛けてみたい」と、なんとなくそれっぽく語ったような気がする。正直、自分でも覚えていない。


入社後、僕はまず、関西の飲食店へと配属された。学生時代は自炊なんかもってのほか、ろくに包丁も握ったことも無い。ルッコラと水菜の違いすらもわからない僕は、そりゃあもう、滅茶苦茶に苦労した。本当、めっちゃくちゃに苦労した。

1 年と少し経った頃、本社へ異動となる。経営企画や財務経理を任せてもらい、キャリアを積んでいった。

その中で、お客様とのリアルな接点である “店舗” の楽しさや、それを仲間とともに作り上げていくことの充実感など、様々なことを学んだ。「これが僕たちのお店だ」と言える場所がある喜びは、他の何にも代えられないと思った。


ある日、お酒の席にて、社長が口にした。僕は、この言葉をきっと、一生忘れないと思う。


『手ざわりのあるお店が良いと思うんだ。それは、“自分がやる” ということ。協力してくれるメンバー、みんながそれぞれ “自分がやる” という実感をもって、仕事に取り組む。今ある事業だってそう。みんながみんな、“自分ごと” として事業を想ってる。自分の感覚、“手ざわり” を大切に取り組んだ結果、今の会社があるんだよ』


まったくその通りだな、と思った。「自分の仕事だ」と思えば、どんどん愛着が湧いてくる。なんとかして自分が力になろう、と思える。“自分ごと” として捉えることで、責任感が生まれる。そういうことの重要性を教えてもらったような気がした。

正直、今だからこうして、それっぽく書いているんだろうなと思う。きっとこれは、後付けだ。だけど、彼の言葉が僕の背中を押してくれたのは間違いない。気が付けば、「僕も、なにかの事業を立ち上げたいな」と思うようになった。

ここでもまたまたやっぱり、 “善は急げ”。

すぐに、同じ “クラブカルチャー” を体験してきた友達と、『移動式ミュージックバー ZIPCODE Tokyo』なんていうプロジェクトを発案・実行。これこそが、あの頃の「僕らの仕事」だった。夢でもあった。


詳しくは、次の話にて。



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