見出し画像

「軽やかな自己満」を片手に。


完璧主義は動けない。
いつまでたってもGOサインが出せないからだ。

自分で決めたあれやこれやの制限に捕らわれ、自分で自分を縛り付けてしまう。

この文の流れで大丈夫かな?ひらがなと漢字のバランスは?長すぎ?短すぎ?変なこと言っちゃってたらどうしよう?誰か同じことをすでに発信しているかも。しかももっと、濃い内容で。
…果たして、私の出すものに興味がある人なんているんだろうか?

こうした頭の中のノイズを真に受け、自分「なんか」世に出せる代物ではないと「判断」する。


実は、これは以前の私だ。
noteを始める前、個人でブログを書いていたことがある。
知り合い以外に見せようなどとは一切考えず、ただただ気の向くままに配信していた。
心のどこかで自分の制作物を知り合い以外に見せるなんて、なんとなく「おこがましい」ような気がしていたのだ。まさに先日上げた記事でいうところのコンフォートゾーンにぬくぬくと入り浸り、こうした分野に関してはやんわりとした世界観の中でだけ生きていければいいとすら感じていた。

しかし、私の直感はいつも「なんとなく」でやって来る。

「なんとなく」このままじゃいけない気がする
「なんとなく」外に出てみたい
「なんとなく」惹かれる自分がいる

こんなふうにして、ひとたび「なんとなく」が私の脳内を支配すると、もういてもたってもいられなくなってしまうのだ。


とにかく行動し、やりながら考えればいい。
最悪あわなければ、やめればいい。

失敗しても自分にしか迷惑がかからない状況であるならば、案外こうした言葉が完璧主義の鎧を断ち切るためのパワーワードになったりもする。

「なんとなく」やってみたい。
そう感じたら、「でも」が頭の中を支配し始める前に動いてしまえばいい。
途中でなんか違うと感じたら、そこで軌道修正すればいいだけの話。
それに、なにも一回しかトライしてはいけないという決まりもない。よっぽどの場合でなければ、人間自分でセカンドチャンスを生み出すことだって可能なのだ。

私の好きなYoutuberの一人は、いまでこそGrowth-Mindsetを中心とした内容で人気を博しているが、以前やっていた音楽チャンネルの結果はあまり芳しいものではなかった。あまりの再生率の伸びの悪さに心機一転、内容をガラリと変えて、見事セカンドチャンスをモノにしたのだ。彼女はもともと完璧主義で、細かいことでもとにかくこだわってしまう性格のようだが、チャンネルを続けていく中でそんな自分の殻を少しずつ破っていく重要性を学んだのだとか。

もう一つ面白い話がある。
以前インドで冷蔵庫を市場に出すため、二つの会社が競い合った。
一方の会社は技術を駆使して高性能の冷蔵庫を仕上げようと、ここぞとばかりに腕を鳴らした。
もう一方の会社は、ただ冷蔵庫にカギをつけた。
結果、選ばれたのは後者の鍵付き冷蔵庫だった。

実はインドのある地域では、家にいるメイドさんが冷蔵庫の中身を物色したり、勝手に食べてしまうという事態に悩まされる家庭が多発していた。
現地の人たちが求めていたのは高性能の冷蔵庫ではなく、まさにただ鍵がついているだけの冷蔵庫だったのだ。
マーケットリサーチの結果ももちろんあるだろう。
しかし面白いことに、この高性能な冷蔵庫は期日になっても仕上がらなかった。完璧を求めすぎた結果、土俵にすら上がれなかったのだ。


これらのストーリーは、あらゆる完璧主義な性格に応用できる例だと考えている。

行動してみて、周りの反応が思ったのと違う、とか、なんか空気が合わないな、と思う瞬間って、実は誰でも一回は通る道なのかもしれないと感じたりする。
最初から完璧なクオリティを求めすぎて、自分が辛くなってしまって挫折する、という人もたくさん見てきた。

合わなければ軌道修正、さいあくやめてしまおう。
別にこの一回失敗したところで、長い人生のうちの何だというのだ。

完璧主義の鎧が自分を覆っていると感じたとき、ともすれば「いいかげん」とも取れるこんな言葉たちを心に響き渡らせることで、自分への「軽やかな自己満」を許せる気がする。

そしてたいていの場合、受け手はそこまでの完璧など求めていない。
むしろ、昨今は特に時代の流れも相まって、一歩間違えると完璧=重いという印象を人に与えかねない。
何もこれは内容に限ったことではなく、例えば1~10まですべて情報を詰め込んだり、技術という技術を駆使して完璧に仕上げられたものを「見てください!」と言わんばかりに見せつけられたりすると…そう。この「見せつけられている」感がどこかでぬぐい切れない、というのが人の心理ではないだろうか。

それよりも情報を小出しにぽんぽんぽんっと出してもらえると、受け手も「おぉ、今日はこれについて学べるのか」「なるほど、次はこれをもっと深く学ぶのね」と頭の中が整理され、軽やかに受け取りやすい。


風の時代、わたしは迷ったら軽やかな方を取る。と心に決めている。
重くてじめっとした「完全無欠」なものよりも、人の心の中をスッと吹き抜けていくような。

そんな「軽やかな自己満」を片手に、これからの時代を颯爽と駆け抜けていきたい。


Peace.


おまけ:軽やかな自己満を片手に思い切って始めたもう一つのこと。



この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?