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2020年を振り返ってみたら…2月

2月

 なんとかして、この状況を打破しようといろんなことをやった。お陰で今年はいろんなことにチャレンジできたと言っても良い。まさに怪我の功名。自律神経系を整えるためにサウナと水風呂を行き来したり、登山したり、筋トレしたり、良さげなことを手当たり次第にやった。
別に不眠症だったとかではない、むしろあの症状が続いてからは家に帰った瞬間に泥のように眠っていた。電車の中で無意識に筋肉が強ばるので全身筋肉痛だっだのにはさすがにビビったが。


やるからにはゲーム性を

 なかでも、1番効果があったと思うのがランニングだ。もともとは2月中頃の「おきなわマラソン」に高校時代の友人達と出ることになっていた。
この「高校時代の友人達」というのは僕の薄くて浅い人生史のなかでは不可欠な存在でもある。彼らとの高校時代は生徒会室から入手した名簿で学年全生徒にヒエラルキー順に格付けをして楽しんだり、大学時代はチャリで四国一周したり、富士山に登ったり、オーストラリアをキャンピングカーで半周したり。この話は別に書いた方が良さそうなのでいつかまた。

 社会人と大学生、大学院生が混じり合うというそれぞれの立場が違う時期も今しかないと思うと感慨深い。高校時代の友人たち5人でフルマラソンに出ると決まってから東京、大阪、京都、福岡と各々ランニングを開始することとなる。

 ただ、このメンバーがただの友達で終わらない理由がある。何かにつけて「ゲーム性」を持たせることがうまいのだ。

 ただ単に各自で練習してきて現地で集まってフルマラソン完走を目指すというのは面白くないし、何より全員各自で練習してくるようなタイプではない。それぞれのモチベーションアップを図るため、練習時間や総走行距離に応じて、「最も頑張って練習した人が最も練習していない人に沖縄のグルメを奢るという何ともかわいらしいボーナス」を設けることにした。
やるからには全員ガチ。Googleスプシで走行距離や練習時間を距離に換算する数式を叩き込み、その裏づけを取るためしっかりNIKE RUNで5人でシェアをする。最低の走行距離を定めるなど不正の芽を摘む徹底ぶり。彼らはこういったことがあっという間に準備できるのだ。僕は横から「いいね!」というだけ、ほんとにすごい友達を持ったと思う。

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写真は自分達で勝手に決めた練習ルール。
何やってんだよ!ってねーーーー。



ただ「男気じゃんけん」で誰かが奢るというのとは違う楽しみ方を自ら作り上げれることに彼らのすごさがあるのだと思っている。

5人中フルマラソン経験者は1人。その彼も去年初めて走っただけ。僕はといえば大のランニング嫌い、小学生から剣道しかしていなかったので「すり足」以上に太ももを上げることに猛烈に疲れを感じちゃうんですよね。ほんとに走っている間に何考えて走ればいいんだろうということから始まった。結果的にラジオがなければフルマラソンを完走なんてできなかったと思う。

 もとはフルマラソンを完走するために始めたランニングが病気のタイミングも重なり、副次的な意味で気晴らしには非常に効果的だった。体が疲れるのと引き換えに心がすがすがしい気分になる。これが一番の近道になったというのが後付けの理由だ。

6時間11分25秒


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スタート前の円陣。土地からエネルギーを吸収するやつみたいになってしまった。

 


初めて日本にもコロナ感染者が出たころ、「おきなわマラソン」は無事に開催された。フルマラソンの完走は副産物、メインディッシュは沖縄のグルメだ。そのためのマラソン。

 結果から言うと、何とか泣きそうになりながらゴールすることができた。フルマラソン完走。はじめはそもそもゴールするのに制限時間があることも知らなかったレベルだったのに。

2月半ばの沖縄はスタート時点で27℃近くあったはず、とにかく無茶苦茶暑かった。ゴール前から泣きそうだったがとりあえずスタート。何事もスタートラインに立てさえすれば後ろから誰かが押してくれるのだ。

マラソンの基礎情報をいくつか
・おきなわマラソン全体の制限時間(6時間15分)、ここまでに競技場の中に入ればセーフ。号砲が鳴ってからの時間。

・そこに行く過程でいくつかの関所があり、各所にも制限時間が設けられている。制限時間に間に合わなければバスで回収されてしまう。ちんたら歩いているとバスに飲み込まれてしまう。現代社会の波はどこにでも立っているのだ。

・「エイド」と呼ばれる沿道の市民の方々が用意してくださる補給水や補給食。バナナ、黒砂糖、サーターアンダギー、ソーキそば等

スタートから1時間後、大量にかいた汗を一気に流すようなスコール並みの大雨。嘘のように極寒のマラソンに激変した。結局ここからゴールするまで雨は止まず、((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

幸いタイムは求めていなかったので、何よりもマラソンを満喫することだけに集中した。沿道のエイドはほぼすべて食べつくしたと思う。関門の制限時間が10分後に迫るなか、ソーキそばの列にもしっかり並んだ。お金を払って42キロも走るのだ。もったいない精神が収まることはない。バナナや水を手渡ししてくれる沿道の市民の方々の声援は本当に力になった、途中米軍基地内を通過するコースもあり、ゲータレードを数十年ぶり飲むことができた。
コロナ後のマラソン大会はどうなるんだろう。

約6時間後、アップルウォッチとにらめっこしながら最後の力を振り絞る。

マラソン大会は2種類のタイムが計測される。
・グロスタイム(号砲がなってからゴールするまでの時間)
・ネットタイム(スタートラインをまたいでからゴールするまでの時間)

 大きな大会ともなれば号砲の合図があってから実際にスタートラインをくぐるまでにかなりのタイムラグがある。僕の場合は8分ほど先頭から遅れてスタートする形になった。今回のおきなわマラソンでいうとグロスタイムの制限時間は6時間15分と設定されていた。要はそれに間に合わなければゲームオーバー。ほぼすべての関門を10分前くらいに通過してきた、まさに人生そのもの。「ギリギリでいつも生きていたいから、あーあー♪」

最終的にゴールできたのはグロスタイムで6時間11分25秒。なんとか制限時間の4分前に滑り込むことができた。ネットタイムで6時間2分50秒。

ヘッダーは一番早かった友達のタイムでパチリ。

その日の夜フラフラの状態で沖縄の街に繰り出しからからの胃袋にステーキをぶち込み、沖縄料理屋をはしごした。うますぎぃぃぃぃー!

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時間にしてわずか3日間ほど。不思議なことに福岡に帰ると数ヶ月続いていた吐き気がぴったりと来なくなった。3日間走ることと食べることしか考えていなかったら、治っていた。ほんとにあっけないが結果オーライ中のオーライだった。

ほんとに世のなか何がきっかけになるかわからない、良くも悪くも。

1月編以上長くなってしまいました。すいません。今回も最後まで読んでくださりありがとうございました〜!もしよろしければスキとフォローをいただけると大変励みになります!今後ともよろしくお願いいたします!

ではまた!

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