機能不全家族と絶対服従(幼少期編5)
園児の私には克服出来ない弱点があり、それを大いに利用されていた。
それはママによる「山梨に捨てられる」という一度実行済みの生殺与奪権のチラ見せである。
私は山梨の家、よそのオバさんの家数件。それなりに家の中はこうあるべきだという基本ルールを学んでいた。片付け、電気はこまめに消す、掃除、使った食器は洗う。
その一般的なことが母は出来なかった。
そして末っ子ということもあり子供が好きという表現方法も知らなかったようだ。家事については私なりに苦言を呈すと正論過ぎるのか「また山梨に捨てるよ」と言うようになってしまった。おそらく過去に私が山梨に捨てないでと懇願したことを覚えていたのだろう。徹底的に利用された、勉強の時間にソワソワしていたり、外で遊んで16時を1分も過ぎると「次やったら捨てる」その度に号泣し捨てないでと懇願する私に快楽に似た何かを得ていたのだろうか。
弟が生まれるまで言葉の暴力と支配は続き、結果的には園児でも簡単な食事程度は作れるまでに成長した。もちろん母に教わっていない、預かってくれるオバさんに炊事、洋服の畳み方などを教わって少しでも母が家事に携わる回数を減らして私が捨てられるリスクを下げるために。当時は必死だった。だから万が一に備えて地元の大人の人に取り入っていた。追い出されても都内で誰かに寄生して生きていくために。
日記を頑張って書いたことがある、「捨てられるって今日も言われた。」この日記は机の奥の奥に閉まっていたはずだが、ある日見つけられ破られ捨てられた。心の自由が奪われるまで絶望してしまった。本当に汚い話だが弟が生まれることで私が捨てられるリスクは下がったと安堵するぐらいに精神的に追い詰められていた。
弟よ、生まれてきてくれてありがとう。
山梨に戻りたくない理由はいくつかあるが最も大きい理由は遊び相手がいない。これは都会とド田舎では本人の努力で覆すことが出来ないからだ。もう虫と野良犬と猫だけで満足出来る精神年齢ではない。人との関わり合いの中に楽しさを見つけてしまったのだから(この経験が仕事にも大きく左右されるようになるとは思わなかった)
仕事に繋がると言えば当時変わった趣味があった、マンションなどの郵便物を一切合切掻き集めて家でチェックするという遊びだ。写真系はお宝として扱い、難しい漢字は読めないので捨てる。そのゴミから親にバレて近所のマンションに住んでいる住人全員に謝罪した悪行があったが、これも後々仕事に繋がって行くかと思うと感慨深いものがある。仕事は社会人編の記事でいつか書きます。
私の幼稚園編はお終い
メンヘラで引きこもり生活困窮者です、生活保護を申請中です。ガスも止めてスポーツジムで最低限の筋トレとお風呂生活をしています。少しでも食費の足しにしたいのが本音です。生恥を重ねるようで情けないのですがお慰みを切にお願いします。