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カーボベルデの観光名所と思い出
![](https://assets.st-note.com/img/1648118612669-RG0oV4eUD1.png)
トップ画像はアフリカはカーボベルデ共和国の
サンチアゴ島にある
サンフィリッペ要塞の入り口と背後の景色です。
サンチアゴ島(Ilha de Santiago【イーリャ・ドゥ・サンティアーグ】
↓
![](https://assets.st-note.com/img/1648118742769-LCDXgPSgVs.png?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1648118965942-gomJwB4U3N.png?width=800)
Forte Real de São Filipe
【フォルトゥ・レアル・ドゥ・サゥン・フィリップ】
「レアル・デ・サン・フェリペ要塞」
↓
![](https://assets.st-note.com/img/1648119661427-vJJUy5RhjI.png?width=800)
トップ画像は1990年代に私自身が撮ったものなのですが、
こうして ( ↑ & ↓) 最近の画像と比べると、
随分改修されているようですね。😊
![](https://assets.st-note.com/img/1648103247483-wDzzyEfckH.png?width=800)
この要塞はポルトガル人が初めて上陸して
築いた町、 シダーデ・ヴェーリャ
(Cidade Velha [スィダードゥ・ヴェーリャ]」)を
見下ろす丘の上にあります。
↓
![](https://assets.st-note.com/img/1648104079937-jHRRqCxh75.png)
シダーデ・ヴェーリャ側から見た要塞
↓
![](https://assets.st-note.com/img/1648114375606-IOgc7ES5be.png?width=800)
シダーデ・ヴェーリャは
奴隷貿易のハブ港で、
モザンビークやアンゴラなどから連れられてきた奴隷は
ここで競売に掛けられ、
ここから本国ポルトガルやブラジルなどに
振り分けられていました。
カーボベルデはポルトガル人の到来以前は無人島だったので、
現在のカーボベルデ人は、
この町で働かせるために残された奴隷と
逃げ延びた奴隷の子孫ということになります。
シダーデ・ヴェーリャの全貌
↓
![](https://assets.st-note.com/img/1648123306925-SfKc5TNGV3.png?width=800)
のどかでカラフルな町並みの
シダーデ・ヴェーリャには
当時の建物の廃墟なども文化遺産として残されており、
カーボベルデへ行ったならば、
是非おとずれるべき場所となっています。
↓
![](https://assets.st-note.com/img/1648122809106-qBDkIkodp3.png?width=800)
通称「バナナ通り」。
ちょっと沖縄っぽかったりもするかな?
↓
![](https://assets.st-note.com/img/1648123046013-mIiTGt30Gs.png?width=800)
こちらはシダーデ・ヴェーリャの中央広場
(ポルトガル人到来当時の船着き場前の広場)です。
大きな木の下にはベンチがあり、
住民の憩いの場になっています。
↓
![](https://assets.st-note.com/img/1648123411552-6OFQrJ5xA3.png?width=800)
その後部に残されたこれが
「Pelourinho 【ペロウリーニュ】」、
(「ピローリー」:言うことを聞かない奴隷を縛り付けて
鞭打ちなどを行うための柱)です。
↓
![](https://assets.st-note.com/img/1648121473115-UbEKRJyAnP.png?width=800)
このように使われていました…。💦
↓
![](https://assets.st-note.com/img/1648122186717-oDHCYA1yqL.png?width=800)
ちなみにブラジルのバイア州の州都
サルヴァドール市には
その名も「Pelourinho【ペロウリーニョ】」という
観光スポットがあり、
ガイドブックなどには
「かつて奴隷取引が行われていた」
とは書いてあるののの、
その語源について述べているものは
あまり見かけません…。
このシダーデ・ヴェーリャの一角にあるのが
大聖堂(Catedral 【カテドゥラーゥ】)の廃墟です。
1500年代半ばに建設が始まったものの、
過大設計だとの批判を受けて工事は中断、
その後1700年代になってようやく完工したものの、
ほどなくしてフランス人海賊の襲来により
強奪・破壊されたという大聖堂です。
↓
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![](https://assets.st-note.com/img/1648114511929-Ju5hk7a8RA.png?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1648126944645-0AKVkWFtoU.png?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1648127072338-aE6kPlkAsV.png?width=800)
こちらは1990年代後半、
我々調査団が
このカテドゥラーウを訪れた時の写真です。
↓
![](https://assets.st-note.com/img/1648125659065-cVq7sx22oa.png?width=800)
畏れ多くもここの祭司の墓石の上に乗っかっちゃっているのは
現地人スタッフの当時の彼女ちゃん...。💦
この現地スタッフがシダーデ・ヴェーリャの出身で、
案内を買って出てくれたのです。
墓石の向こう側の右端が
全員に嫌われていた専門員...。
でも、この方のおかげで
この「事件」では、
荷物が戻ってきていることに気付くことができました。笑
↓
その隣の隣のサングラスの男性が
亡くなった前世絡みの人...。
↓
具体的には、この方 ↓ です。
ちなみに、こんなことが出来たのも
この方に忙しくいろいろ伝えていた時期でした。
↓
本日もお読み頂き、誠にありがとうございました!
![](https://assets.st-note.com/img/1648128656327-b1tcPlTYsX.jpg?width=800)
※ 「夜間飛行 魔女と黒猫」はこたつぶとんさんの作品です。
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