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アンゴラ&モザンビーク

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1990年代後半のアンゴラ共和国やモザンビーク共和国の様子や現地での経験、その後の変貌などをマガジンにまとめていきます。 ヘッダー画像は南部ウイラ州とナミベ州を結ぶいろは坂、否、… もっと読む
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#モザンビーク

モザンビークの治安

モザンビークの警察は評判が悪く、外務省HPの「安全対策基礎データ」 (https://www.anzen.mofa.go.jp/info/pcsafetymeasure_123.html) などにも警察官による恐喝などについて記されています。 給料が安く、モラルが低いことが主な原因なのでしょうが、 警察でさえそのような状況ですから、 全体的な治安も良いわけがありません。 しかも、 モザンビークの場合、治安が悪くなったのには 特記すべき経緯があります。 その昔、モザンビ

モザンビークの空は本当に青かった

トップ画像:Jakub WoźniakによるPixabayからの画像 私が初めてモザンビークを訪れたのは1997年の12月でした。 例によって事前情報が乏しい中、渡航準備を進めていると、とある同業者 から電話がありました。 「モザンビークの○○州へ行くのよね。 実は、前回私が行ったので、 今回も私が行くことになっていたのだけれど、 あんな恐ろしいところへは二度と行きたくないから断ったの」 と…。 画像:<a href='https://ja.pngtree.com

アンゴラ と モザンビークはどう違うか

トップ画像:IjimakiによるPixabayからの画像 アンゴラかモザンビークかと聞かれたら、私は断然アンゴラが好きなのですが、日系ブラジル人の同業者でも私と同じように感じる方にお会いしたことがあります。(無論、モザンの方が好きという方にもお会いしたことはありますが。) 同じような用件で訪れたお役所系の訪問先の事例をご紹介します。 アンゴラの場合挨拶もそこそこに、 「必要な資料やデータについてのメールは確認している」 メールをプリントアウトしたものを手に、 「そ

curry【クヒー】と caril【カリーゥ】

トップ画像:Sharon AngによるPixabayからの画像 今日は日本人が大好きなカレーの話です。 ブラジル人は、ほとんどカレーに馴染みがありません。 なので、 「インドだかどこだかの、なにやら辛い料理でしょ?」 程度の認識の人が大勢います。 そして、「カレー」を表す独自の単語すらなく、 英語の「curry」が そのままブラジル読みした外来語として使われています。 結果、 「curry【クヒー】」 といいます。 なんだか、「クッヒッヒッ!」と 笑って

ポルトガル語圏が本質的に良いと思う点

※ トップ画像:Capri23autoによるPixabayからの画像 高校の時、「裏話」をするのが好きな面白い歴史の先生がいました。 その先生がある時、 「みんな、ブラジルの旧家の一人目のお母さんは 全員娼婦だったと言われているの知ってる?」 と、 なんともショッキングな発言を冒頭に、 話してくれたのは次のような内容でした。 ・ブラジルが発見されてから、ポルトガルは多くの探検隊を送り込んだ。 ・その団員等は節操が無く、原住民のインディオに多くの子を産ませた。

ポルトガル語圏の犬

トップ画像:Sven LachmannによるPixabayからの画像 あるフォロワーさんへのコメントで少し話したことがあり、 記事にもしよう、しようと思いつつ、後回しになっていた話です。 ポルトガル語圏へ行くと、 「ああ、犬も紛れもなくポルトガル語圏人、否、 ポルトガル語圏犬だなぁ~」 ↑     けんけん?! >笑 と思うことが多々あります。 猫のように窓辺でくつろぐ犬も、 ブラジルの、何故か高い塀の上から人間観察している犬も、 アフリカポルトガル語圏のボサ~っ

虹色イグアナ

トップ画像:Hans BraxmeierによるPixabayからの画像 あるとき、 モザンビークのとある港の護岸に それはそれは大きくて立派なイグアナがいました。 そのイグアナは虹色で、 その虹色が グワングワンと動いていて 実に幻想的! これは写真に納めなければと、 バッグをごそごそと探り デジカメを引っ張り出し、 いざ撮ろうと 一歩踏み出しつつカメラを構えた途端、 それまでフリーズしたまま グワングワンと色替えをしていた イグアナ君は、 ものすごい勢いで 逃げ

ヨハネスブルグ⇔マプトのフライト時間が長くなった件

トップ画像:Nowbowさん from Illust AC 私は今までにモザンビークを30回以上訪れており、 いつも首都マプトからわずか400キロ程度しか離れていない 南アフリカのヨハネスブルグから飛行機で入国します。 ヨハネ⇔マプト間のフライトの所要時間は、 機体にもよりけりではありますが、 初めて訪れた1997年から5~6年間程度は、 いつも1時間以内でした。 ところが、 それ以降、同じフライトが、 1時間半程度、 場合によっては3時間以上掛かるようになってしまい

1990年代、モザンビークの国内線は一日置きの山手線形式だった

トップ画像:mimiminekoさん from Illust AC 私がモザンビークに「通い」始めた1990年代、 モザンビーク航空(LAM: Linhas Aéreas de Moçambique) は 2機しか飛行機を所有していませんでした。 その2機を駆使して、自国と南アフリカを結ぶ国際線と、 国内の各地を巡る国内線を賄っていました。 国際線については、南アフリカのヨハネスブルグという 唯一の往来先ですから、至ってシンプルです。 一日置きにマプト⇔ヨハネ間を一往

モザンビークで動き出した飛行機を止めて乗り込んだ話

その時は モザンビークの首都マプトから1500キロ弱離れた町にいました。 マプトへ戻る飛行機のチェックインをしていると、 滞在中お世話になった、その町に住んでいる邦人の方がやってきて、 「皆さんの乗る飛行機が マプトをまだ出発していないとの連絡がありました。 今日の飛行機は、途中の町に寄ってからこちらに来るので、 現時点でマプトを出発していないということは、 最低でもあと3時間はこちらには到着しません。 ここにいたのでは飲み食いするところもありませんから、 よろしけれ

親子でたまたまモザンビークを訪れることになったという人に会った話

仕事でモザンビークに同行させて頂いた方に、 「実は親父もモザンビークに来たことがあるんですよー」 という人がいました。 時は1990年代後半、 まだ戦後10年を迎えてもいない モザンビークの首都マプトの疲弊した姿を その人は感慨深げに眺めていました。 聞けば その方のお父さんは船医だったとのことで、 まだ日本の移民船も貨物船も パナマ運河を利用せず、 南回り(南アフリカのケープタウンを経由するルート)で 南米に向けて運行されていた時代、 訪れた国々についての

大きな蜘蛛と過ごした日々

モザンビークの田舎町でのことです。 実は私、いい歳こいて不良が直らない ヘビースモーカーなのですが、 ある時、 日本から到着して、 定宿の「定部屋」にチェックインして、 荷物から仕事道具とお土産を取り出して 事務所に向かい、 夕方帰宅して、 昼間はちらかしたままにした荷物を 定位置に片付け、 ホッとしたところで 一服しようかとベランダに出てみると、 動物園以外では見たこともない、 脚の先から対角線上の足の先までを測ったならば 20㎝ もあろうかという 黒く

大きな蜘蛛と過ごした日々(続き)

アフリカはモザンビークのホテルで 大きな大きな蜘蛛さんと 共同生活を始めた私ですが、 日を追う毎に お互い気心も知れてきて(笑) 蜘蛛さんは、夜明けとともにお出かけになり、 夕方帰宅するという、 非常に規則正しい生活を送っていらっしゃることも分かり、 煙草を吸うためにベランダに出る度に ちょっとした声掛けもするようになりました。 「あれっ、今日はちょっと遅かったんじゃない? あっ、私が早かったのか。笑」 「いやぁ、今日も暑かったね~。 昼間はどこか涼しいところに

大きな蜘蛛と過ごした日々(完)

「危害は加えない」 そう約束した蜘蛛さんの赤ちゃんを、 パニクっていたとはいえ、 踏みつぶしてしまった私...。・ ・ ・ 「私としたことが、なんてことを...!」 とっさに蜘蛛の巣に目をやると、 その一部始終を目撃してしまった蜘蛛母さんは、 明らかに動揺しており、 巣に留まったまま、おもむろに一歩後ずさりしました。 「ごめんなさい、ごめんなさい! 約束したのに。 あなたは約束を守ってくれたのに...!」 なんと謝っていいやら...、 しかも 謝ったところで、