親子でたまたまモザンビークを訪れることになったという人に会った話
仕事でモザンビークに同行させて頂いた方に、
「実は親父もモザンビークに来たことがあるんですよー」
という人がいました。
時は1990年代後半、
まだ戦後10年を迎えてもいない
モザンビークの首都マプトの疲弊した姿を
その人は感慨深げに眺めていました。
聞けば
その方のお父さんは船医だったとのことで、
まだ日本の移民船も貨物船も
パナマ運河を利用せず、
南回り(南アフリカのケープタウンを経由するルート)で
南米に向けて運行されていた時代、
訪れた国々についての土産話の中には
モザンビークの
ロウレンソ・マルケス (現在のマプトの旧名称)
についての話もあったのだそう。
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つまり、
その方のお父さんがご覧になったのは、
ポルトガルに統治され、
南アフリカ人にも最寄りの避寒パラダイスとして
憧れられていた
美しくて平和なモザンビーク。
一方、
息子であるその方が目の当たりにしたのは、
20年以上の戦争・内戦の末、
美しかった建物も廃墟のようになってしまい、
物乞いをする他ない人々もいる、
もの悲しいマプトの姿だったのです。
それから更に20年以上経った今でこそ
マプトは
活気を取り戻していますが、
その方が、
お父様がご覧になったロウレンソ・マルケスの様子とは異なり、
最も貧しく疲弊しきったマプトの姿を目の当たりにしたのだと思うと、
親子二代で、普通だったら訪れることなどないアフリカの
同じ都市に足を踏み入れることになったこともさることながら、
その都市の植民地として栄えていた時代と
独立した直後に勃発した内戦が終わっても、
まだまだ苦しむ人が多くいる時代
という
両極端な姿の生き証人になったという
不思議な巡り合せは、
私にとっても感慨深い事例として強く記憶に刻まれました。
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マプトの現在の姿と植民地時代からの歴史も少々、
英語のナレーション付きで紹介する動画を
見つけましたので、下記に貼り付けます。
こちら ↓ は下の町(海岸沿い)の町並み。
こちら ↓ では空港から上の町を経由して
下の町のショッピングセンター脇のPRESTIGEホテルまでの
道のりの様子を見ることができます。
本日もお読み頂き、誠にありがとうございました!
※ 「モザンビークは魚も美味しいよ♪」、否、「 釣り 猫 自給自足」は
こたつぶとんさんの作品です。
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