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朝の内省日記

「今日のうれしかった出来事とは…」
を1日の最後に3つ書き出す、ということを、
日記(6ミニッツダイアリー)に書くようになってはや494日。

その前から書かずとも寝る前に思い浮かべて寝ていたので、筋金入りの思い込み体質(すり替えとも)といえる。

朝、感謝していることを書き出して、1日の途中で何があったとしても、夜またよかったことを書けばオセロ式に感謝とよかったことに挟まれて、全てのことがパタパタとひっくり返って1日は全てよかったよかったと思えて終わる。

そんなことを繰り返していると、自然とアドラー心理学の「共同体感覚」が身についてきて、「勇気づけ」もできるようになってくるのかもしれない。

自分や個性のことを研究すれば研究するほど、私自身はとても生きやすく、そして持って生まれたものを磨けば、必ず誰かの役に立つ、ということを確信を持って思い至るところがあり、せめて自分の周りの人にはその考えを教えてあげたいな、と真剣に考えるので、身内向きの発信が多くなる。

私自身の特性は、もともと知っている身内や仲間、友人、知人、と、より深く関わるのが好きな「親密性」も高いので、ビジネスにおいても不特定多数のまだ見ぬ知らない人に私のことを知ってほしいわけではなく、もともと知っている人からの紹介や、なにか人伝に聞いて、知り合いになりたいな、と思ってもらえたり、それが仕事に結びつくのが好きだし、それが一番あってる。
  
なので、身近な人にほど「ダメ元」でひとまず声かけしてみる「しくみ」やプラットフォームを持とうとして、いくつかコミュニティを作る、という行動に出ている。

それが自分自身の傾向として年々顕著になっている。

新しいコミュニケーションツールができるたびに、そのツールを身近に使うだろう人を想定して、それを発信のツールにしている。

結局、自分が氣づいたり知ったりした良い情報をそれが必要な人に「発信」したい、というのが私自身の根本の欲求であり特性なのだ。

これはロジックで調べれば、自分自身の本能が「伝達本能」と「攻撃本能」があるから、本能的に「発信や伝達」に関して「攻め」の体勢であることがわかるので、もうこれで良いと思える。

つまり、自分がやることに理由をきちんとつける行為は、自分にとっては、逆説的にやらないことを明確に決めている「消去法」の生き方をしているのであり、
手法を増やして豊かになりたいわけではなく、絞り込みたいということだ。

絞り込むために発信するツールが増えているのは皮肉だが、それが多様性であり相手に合わせてより伝えやすくしようとするとそうなる。
これは今後も細分化されるだろうから慣れていくしかない。
 
私は仕事としては相手に合わせる仕事内容であるが、賛同できない人に合わせるのはもともと全然向いていない。

だから最初から、私に合ってる人が私に興味を持ってくれたらいいな、と思ってる。

なのでそのようになるようにブランディングをするので、コミュニティに入ってくれた人は自分にとってはとても貴重な、ともに成長したい相手となるので、自分の持っているものはある程度無尽蔵に、ダメ元でもいいからたくさん出して、そこでなにか「響く」ものを見つける刺激を提供する存在になれたらいいと思う。

長々となったけど、これが私の自分にできる誰かへの「勇気づけ」(アドラー心理学の)の手法です。

自分の特性を完全に活かして、誰かの背中を押すことができる、そんなことができた時、自分も勇気づけされて、また新しいことを学びたいと思い、それがまた誰かの背中を押すことになる、自分ができることを全うしたいと自然と思って行動した時、社会は「相互貢献」の場所になり、人と関わることは幸せになることに繋がり、それが提供される社会という場は、良い場所だ、仕事が楽しい、会社に行くのが楽しい、となるのが本来は良いなと思う。

(アドラー心理学的には勇気くじきをされ続けた人は、共同体意識の欠如した反社会的な行動をとることになる、とあるので、その問題とどう共存するかはまた別の説明が必要)

そんな共同体意識を持つためにも、まずは自分自身を大切にしたい。

大切にすることは、自分を知ることだと思う。
自分を知るためには、面倒かもしれないけど、心や身体の声に自分自身関心を持って耳を傾けるしかないのかもしれない。
感じる力もとても大事。
  
それを闇雲に手当たり次第にやるのは気が遠くなるから、私はさまざまな自己分析ツールを扱って、自分を大切にするためのメソッドをあれこれと身につけて、身近に必要としている誰かに届くように、こうしてダメ元であれこれ発信しているのだろうな。

私は知ってます。
私の発信は読んでもいいねを押しづらく、でも氣になっている人は思わず読んでしまって、いやむしろ真剣に読み込んでくれていて、いつかなにかもっと必要になった時に私に声かけしようと思っている人たちがたくさんいるってこと😁

読み物として楽しみにしてくれている人もいること。

なんだその根拠のない自信は!
それが私。
そうなるように動いてるからそうなってると思ってる。まだまだ弱くて甘くてできていないところは私の今後の課題。
それもわかってるからできる範囲で努力はしてる。

絞り込んで消去法の結果、これで良い、と思える、そのプロセスを味わうことが大切で、それこそが「豊かさ」なのではないかなと思ってる。

だから、プロセスを味わうためにも朝、感謝していることを書き、夜嬉しかったことを書く、という簡単な仕組みに共感し、小さいことを細々と続けている。

私は世界の要素の重要な一つを担っている、私が世界の縮図だ、私の人間関係も社会の縮図だ、だから自分問題、身近な人の抱える問題は社会問題そのものだ、と思っているフラクタル構造信者の「運命思考」だとそういう考えになります。

これも考え方の一つで、それぞれの共同体意識や勇気づけの形はあると思う。

来週のアドラー心理学のセミナーのスライド資料作りながらそんなことをふと考えた寝起きでした。

寝起きは内省(瞑想?)の時間。

今日も良い一日を。

(Facebook投稿より)

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