Jin

小児がんサバイバーの娘の父です。既にアラカンです。仕事は木工をやってます。 当時の手記…

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小児がんサバイバーの娘の父です。既にアラカンです。仕事は木工をやってます。 当時の手記を元に闘病記として「僕は君を守れるか」と言う連載を始めました。 書き続ける事で、闘病記は家族史となり、自分史になりました。 暇つぶしにでも読んでもらえたら嬉しいです。

マガジン

  • フライフィッシング 歳事記

    釣りエッセイです。毎月1回その月の何かをテーマに、書いています。

  • 僕は君を守れるか_急章_生体肺移植編

    小児がんを患った娘の闘病生活を書いた3部作の第3章に当たります。兄妹間の骨髄移植で白血病を克服するも、その15年後、突如として牙を剝く晩期障害、生命の危機に、僕は娘を守る事ができるのだろうか?

  • 僕は君を守れるか_破章_骨髄移植編

    小児がんを患った娘の闘病生活を書いた3部作の第2章に当たります。再発から兄妹間の同種骨髄移植によって白血病を乗り越えた時期のことで、僕(父親)と医療との葛藤が主題となっています。 もしかしたら、このころの僕は病んでいたのかも。。。

  • 僕は君を守れるか_序章_元疾患編

    20年前、当時4歳4カ月で小児がんを患った娘の闘病を、当時の手記を元に再編しました。闘病記と言うよりは、一つの家族の物語、、、として読んで頂けたら嬉しいです。

最近の記事

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父親目線の[小児がん闘病記]「僕は君を守れるか」のネタバレ

↑のネタバレと言うのは、この[note]で僕が書いている「僕は君を守れるか」と言うタイトルの三部作(マガジン)のネタバレと言う意味です。 この「僕は君を守れるか」は、今から20年以上も前の、 当時4歳4ヶ月で小児がんを発症した娘の入院生活 〜「序章_元疾患編」 その4年後に再発した白血病を兄妹間の骨髄移植で切り抜け 〜「破章_骨髄移植編 」 にもかかわらず、その15年後に三たびおとずれた生命の危機を乗り越えた 〜「急章_生体肺移植編」 の家族の物語です。 あっ、先に断って

    • 8月_持ってる父[フライフィッシング歳時記]

      母が逝ってからというもの、父はすっかり元気を無くしてしまっていた。お盆に集まった姉夫婦と孫たちが帰ってしまうと、いっそう肩を落とした。 気晴らしになればと思い、渓流釣りに父を誘った。 そう言えば幼い頃、夏休みに父と二人でフナ釣りに出かけた事があった。 森林公園とゴルフ場の間の辺りの池だったと思う。長竿でウキを垂らしてアタリを待つ、、、その繰り返し。 夜勤明けだった父は僕にひとしきり竿の扱いをレクチャーすると、とうとう寝てしまった。 一人ウキを見ていた。 すると、不自然に

      • 7月_兄と弟の夏休み[フライフィッシング歳時記]

        僕には5才年上の兄がいる。あまり一緒に遊んだ記憶が無いが、とある一件だけは脳裏に在る。 兄は子供の頃から生き物に興味が強く、夏休みには昆虫採取の見本を作る様な人だった。 カブトムシやクワガタ採りの名人だった。 僕が小学校の低学年の頃、虫取りに連れて行って欲しいと頼んだ。 鬱陶しがる兄に見かねた母が口沿いをしたので、渋々僕を連れて行く事になった。 兄が採取場所にしていたタカヤマの森は大人の足でも1時間かかる距離。 おそらく兄はその頃既に自転車だったと思うが、僕は未だ乗れてな

        • 6月_ 梅雨の合間の深山の気配[フライフィッシング歳時記]

          兄から「お前、フライフィッシングをやってみたら」と勧められたて始めたこの趣味。しばらくしてたまたま会社の後輩のK君が釣りキチだと知った。 彼は海釣りがメインだったが、半ば強引に渓流に誘い込んだ。 彼は餌釣り、僕はフライ。互いの釣法に向いたポイント(狙いどころ)を攻めながらあちこちの渓流をさまよった。 しかし彼とて川は素人。二人合わせてもつ抜けできない(一桁の意味)釣行だった。 そんな釣れない僕たちの事は職場でも知られる所となり、そのおかげでとんでもない渓流釣りのエキスパート

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        父親目線の[小児がん闘病記]「僕は君を守れるか」のネタバレ

        • 8月_持ってる父[フライフィッシング歳時記]

        • 7月_兄と弟の夏休み[フライフィッシング歳時記]

        • 6月_ 梅雨の合間の深山の気配[フライフィッシング歳時記]

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        • フライフィッシング 歳事記
          6本
        • 僕は君を守れるか_急章_生体肺移植編
          2本
        • 僕は君を守れるか_破章_骨髄移植編
          10本
        • 僕は君を守れるか_序章_元疾患編
          12本

        記事

          5月_鯉は渓では外道なのです [フライフィッシング歳時記]

          5月は連休で始まる。 最近は不景気のせいもあって、家族サービスを近場で済ますお父さんが多いそうだ。 例にもれず我が家もそうした。 渋滞の時間をさけて、開園前に到着したのは山間部のファミリーパーク。 ここは広大な敷地の中に、各種遊具施設、巨大なジャングルジム砦、池などが在る。 公営なので料金が安く、子育て世代では言わずと知れた存在だ。 だから混む。 ゴーカートに乗るにも30分待たされる。 並ばされるのに疲れたところで、池のほとりにやって来た。 こう言う施設の池に必ず在るのが鯉

          5月_鯉は渓では外道なのです [フライフィッシング歳時記]

          4月_オオクママダラカゲロウ [フライフィッシング歳時記]

          かなり昔の事だけど、会社勤めしていた時 職場の同僚達としたお花見で、エライ騒ぎに巻き込まれた事がある。 いや、正しくは、巻き込まれたのでは無く、巻き込んだ?のだ。 事の張本人は僕。どうもアルコールが入ると気が大きくなってしまうフシがある。 大いに盛り上がってほろ酔い気分。夜間照明が落ちて、どこの宴会もお開き。僕たちも帰り支度を始めた頃、茂みの向こうで数人のグループのケンカが始まった。 初めは皆んな無視していたが、多勢に無勢の余りに一方的な状態がかなり深刻な事態に思えて、 「

          4月_オオクママダラカゲロウ [フライフィッシング歳時記]

          3月_解禁 [フライフィッシング 歳時記]

          六年前の春、僕は母を亡くした。 その前の年、僕は勤めていた会社を辞め、独立して事業を始めていた。夏には長男も生まれ、慌ただしく、そして何かに焦っていた。 大好きな釣りにも行けない、いや行かなかった年だった。 年がかわって正月、実家に兄弟達が集まった時、母は身体の不調を訴えてあまり動こうとはしなかった。 ほどなくして父から、母が入院すると言う知らせを受けた。 膵臓癌と診断された母の身体には、その時すでに親指大程の腫瘍が在った。 末っ子の僕はおそらく一番手の掛かった子供だっ

          3月_解禁 [フライフィッシング 歳時記]

          [闘病記] 僕は君を守れるか 第3章(後編) 生体肺移植

          9月14日、我が家は再び京都に向かって家を出た。 美月(娘)はあの後、人工心肺に繋がれ、駆けつけた循環器内科の先生方の応援もあって、弱っていた心臓も持ち直し、容態は安定した。 翌々日には、京都大学病院から移植コーディネーターの I さんと呼吸器外科のC先生が名古屋医療センターを訪れ、移植を行う事の再確認と、それに向けての転院搬送などの具体的な検討がなされた。 そしてその二日後の9月14日に美月は搬送される事になったのだ。 その日の朝、美月に先行すること4時間前、僕たたは京

          [闘病記] 僕は君を守れるか 第3章(後編) 生体肺移植

          [闘病記] 僕は君を守れるか 第3章(前編) 白血病克服から13年後晩期障害

          仰々しい酸素ボンベが狭い玄関に運ばれた。そこから伸びるシリコンのチューブは二階 娘の室まで伸びている。美月(娘)は今日から24時間の在宅酸素療法となった。 4歳4ヶ月に悪性リンパ腫を発症。 化学療法で完全寛解を保つも、4年後に骨髄から再発。 病名も急性リンパ性白血病となって、再びの闘病生活。 それでも、兄妹間の同種骨髄移植が功を奏し、ついに白血病を克服。 3年、5年と、時が過ぎ、成長障害には悩みながらも、再発の危惧は過去の記憶となっていた。 しかし、美月の体には、いわゆる

          [闘病記] 僕は君を守れるか 第3章(前編) 白血病克服から13年後晩期障害

          いつかは、槍(槍ヶ岳)の穂先に立ってみたい

          「人間五十年 化天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」 と、信長さんが舞ったかどうかは知らないけれど、 そんな歳になると、皆、あれやこれやと思うところがあるらしい。 同窓会で『山登りの会』に誘われた。 登山がかなり清々しく、肉体・精神、共に宜し、と言う事は、 「お前に言われなくても知ってるよ!」と、 無下にその誘いを断ったていた僕。 なぜなら、自分にはフライフィッシングと言う 同じ様な自然と戯れる趣味があり、 これ以上の散財許さず!  と、妻からの強いカネシバリがあったんだ

          いつかは、槍(槍ヶ岳)の穂先に立ってみたい

          治癒力[父親目線の小児白血病闘病記] 僕は君を守れるか Vol Ⅱ-10

          奇跡が起きた。 家族旅行後、初めてのフォロー外来での検査の結果、美月(娘)の血液はドナー(兄)由来の完全キメラに移行していたのだ。 美月(娘)の体に宿した正弘(息子)の血は力強く根付いた。 そして、白血病細胞(癌)を駆逐してくれたのだ。 さて、 この文章は、当時の記録や記憶をもとに、15年後の僕が書いているんだけれど、 これを読んだ妻が、クレームをつけてきた。 「なんかお父さん、良い感じに”俺の手柄”みたいに書いてるけど、美月は退院前に、お兄ちゃんのドナーリンパ球輸注(後

          治癒力[父親目線の小児白血病闘病記] 僕は君を守れるか Vol Ⅱ-10

          日光浴と免疫力 [父親目線の小児白血病闘病記] 僕は君を守れるか Vol Ⅱ-9

          そして美月(娘)は退院しした。 4年前の化学療法の時を上回る、10ヶ月の入院生活だった。 H先生の「退院ししてもまた直ぐ入退院をく繰り返すことになるかも」と言う言葉が重くのしかかり、 妻も僕も、4年前の時の様に、手放しでは喜べなかった。 それでも美月には、闘病生活に耐えたご褒美が必要だ。 そこで、我が家は、学校が始まる前に、 ディズニーランドへの家族旅行を計画した。 そして僕には、あるたくらみがあったんだ。 僕の父親は戦災孤児で、ろくな教育も受けていなくて、子育ても母親

          日光浴と免疫力 [父親目線の小児白血病闘病記] 僕は君を守れるか Vol Ⅱ-9

          爪痕を残したかったと思うんだ/復学

          兄妹間の骨髄移植を終えてもなお、 「いま退院しても、直ぐに入退院を繰り返す事になってしまう・・・」 と言う、主治医の言葉にすべてを悟ってしまう僕たち夫婦。 「それでも、とにかく一度、退院させて欲しい」 「そして、もう一度学校に通わせてやりた」と願う妻。 その願いは受け入れられ、美月(娘)は3月末に退院することとなった。 再発入院から、既に10ヶ月が経過していた。もうすっかり小児病棟のヌシだ。 退院が決まっても、晴れない妻の表情に、周囲も気遣いする状況だった。 事情を知る看

          爪痕を残したかったと思うんだ/復学

          カオス(混沌)/キメリズム

          2003年の年が明けた。 骨髄移植後、順調に白血球数が回復してもなお、H先生の表情は冴えなかった。 理由は2つ。 一つは、回復する白血球とは裏腹に、血小板の数が上がってこなかったこと。 もう一つは、キメリズム(*文末参照)の結果、2ヶ月が経過してもなお、混合キメラの状態だったからだ。 この二つの結果から導かれる今の状況は? 白血病細胞が残存している可能性が高いと言うことだ。 ただ、それは、あれから15年が経過した今の僕が言えることで 当時、H先生からそれについての説明

          カオス(混沌)/キメリズム

          兄から妹に/同種造血幹細胞移植

          移植では、当日をDay0とし、それより前の日をマイナスで、移植後の日をプラスで表記する。 Day-3 つまり移植日の3日前、娘は無菌室に移った。 そして、 Day-2. Day-1の二日間、午前と午後の計4回、放射線の全身照射がなされた。 11/20、Day0 いよいよ骨髄移植の日。 午前11:00お兄ちゃんの腸骨から採取されたと骨髄液が 午後1:30、妹の点滴に込められた。完了まで7時間を要した。最後は生理食塩水ですすぐ様に、一滴の無駄も無く流された。 Day+1〜1

          兄から妹に/同種造血幹細胞移植

          ならば、どうする/インフォームドコンセント

          主治医に、「どうしてもとミニ移植を希望するなら、転院してもらうしか無い」 と言われたその日、僕たち(夫婦)は消灯時間になるまで話し合ったんだ。 妻は僕の意見にある程度の理解を示してくれたものの、 転院と言う重大な結論に至るにはあまりに遠すぎた。 当時、成人の白血病も含めて、ミニ移植をしている施設は全国でもほんのわずか。 当然、県外に移転しなければならなかった。 自宅から車でわずか20分の恵まれた地理的環境。 そして、娘にとっても、 3年前の元疾患発症から今日までに築いた、

          ならば、どうする/インフォームドコンセント