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[闘病記] 僕は君を守れるか 第3章(後編) 生体肺移植

9月14日、我が家は再び京都に向かって家を出た。

美月(娘)はあの後、人工心肺に繋がれ、駆けつけた循環器内科の先生方の応援もあって、弱っていた心臓も持ち直し、容態は安定した。
翌々日には、京都大学病院から移植コーディネーターの I さんと呼吸器外科のC先生が名古屋医療センターを訪れ、移植を行う事の再確認と、それに向けての転院搬送などの具体的な検討がなされた。
そしてその二日後の9月14日に美月は搬送される事になったのだ。

その日の朝、美月に先行すること4時間前、僕たたは京都に向けて家を出た。
美月の搬送はドクターヘリではなく、救急車による搬送だったが、T先生は言葉通り、救急車に同乗して、無事に美月を京都まで連れてきてくれた。

美月はそのままICUに直行。僕達にはドナー適合検査が待っていた。
本来なら先にドナー候補が検査を受けていて、ドナーも手術の日程も決まった上で入院となるのだそうだが、ウチの場合は異例の事態。誰がドナーになるのかも決まってないまま家族全員でやって来た。
今日、僕と妻と長男の正弘の3人で一斉に検査をし、そのうちの二人がドナーとなり、残る一人も京都に留まってサポートにまわる事になる。

ドナー適合検査は健康診断みたいなもので、順序はマチマチ。一般の外来に混じって病院内のあちこちを回るのだが、場所が大学病院なだけに移動がハンパない。本来なら二日間の日程のところを今日1日でやってしまおうと言う事で、3人は散り散りバラバラとなって、広い大学病院の中を巡った。僕達3人とコーディネーターのIさんとでLINEを通じて今何処が空いているとかの情報を共有しあう。まるでちょっとしたリアルなロールプレイングゲームだ。

正弘は美月が8歳の時、骨髄移植でドナーになっている。なので、実質 美月の血液は正弘のモノだから、臓器移植の適合性、つまり拒絶の観点から正弘がドナー候補第一位だ。
ところが、お昼過ぎ、正弘が肺活量の検査で引っかかったとの連絡が入った。正弘は小学生の頃から高校の部活まで、ずっとサッカーをやっていたので、そこそこ身体はできている。(但し、メンタルが弱い)まさかの事態にC先生までやって来ての直接指導。二度三度とやり直して強引に基準値をクリアーしたとの事だった。(笑)

西陽が待合室の壁をオレンジに染めていた。
全ての検査を終えて、僕たちはIさんからの連絡を待っていた。
次第に人影が疎らになっていく院内。
硬めのソファーに身体を預けると、携帯が鳴った。

ドナーが僕と正弘に決まったと言う、IさんからのLINEだった。

ドナーとなった僕と正弘はそのまま京都大学病院に入院。妻は近くに宿を取った。翌朝、C先生のインフォームドコンセントが行われた。6畳程の部屋に僕と妻、そして長男の正弘。テーブルを挟んでC先生と移植コーディネーターのIさん。

移植に関する詳細が説明された。
美月を執刀するのはやはりC先生。あの伊達先生ではなかったが、C先生に対しても、僕は好印象を持っていた。僕の左肺下葉を摘出するのがt先生。正弘の右肺下葉を摘出するのはm先生。つまり、僕と正弘は移植によって肺の容量が3/4になる。一方美月は1/4+1/4なので、移植しても1/2。
もっとも、美月の場合は成長障害で身体が小さく、その量でもむしろ収まるかが心配なのだという。もちろん僕達も3/4になった所で、日常生活には何の支障も無いとの事だった。

そして、実施日は9月17日。つまり、わずか2日後の日曜日だと告げられた。

生体肺移植術は三つの開胸手術が同時進行する一大オペレーション。呼吸器外科のみならず、麻酔科医や手術専門の看護師など多数の人材が必要となる。おそらくは、本来なら事前にシフトが組まれ、万全の体制が敷かれるのだろうが、美月の場合、既に人工心肺に繋がれた昏睡状態にあり1日でも早い手術が望まれる。さりとて、既に組まれた予定を押し除けることはできない。
予定日が日曜日なのは、そうしたことからの、特例処置なのだろう。
各科を跨ぐ京都大学病院の対応と先生方の尽力を想像すると胸が熱くなった。

インフォームドコンセントのあと、僕たちは美月の眠るICUに立ち寄った。
でも、今日の美月は起きている様にも思えた。
妻は手を合わせて念を送っていた。
[ミーちゃん、手術の日が決まったよ。良かったね。本当に良かったね]


9月17日 Day=0
何処でも寝られるのは、おそらく僕の唯一の特技だろう。その日も快適に目が覚めた。
ぼんやりと天井を見ながら、今日の日が来た幸せを噛み締めていた。
[ヲイヲイ、未だこれからじゃ無いか]

僕はスマホ取って、正弘に「起きてる?」とLINEした。
直ぐに返信があったので、「ICUに行こう」と誘った。

今日も美月は健やかな寝顔だ。
[おーい、起きろ美月、いよいよ肺移植だぞ、
父さんの、こんな使い古しだけど、ちゃんと受け取るんだぞー]
僕はそう念を送った。 

ICUを出て病棟に戻る途中、エレベーターが1階に降りると、ちょうど反対側のエレベーターに、名古屋医療センターのS先生とT先生が乗り込む所だった。T先生は僕に気付いた様で、僕も軽く会釈した。

病室に戻ると、妻が待っていた。妻はドナー検査のあと宿を取ったが、一昨日いったん帰宅し、今朝、義妹夫婦と京都に戻ってきた。

「どこ行ってたのー、マー君、お父さん、あと1時間だよー」
「ああ、ちょっとICUに」
僕は個室に戻って手術着に着替えた後、
着圧ストッキングの履き方が分からないフリをして正弘の部屋に入った。

僕は正弘の横に座わり
「なんか、移植の事、ちゃんと承諾を取らないまま今日になっちゃったけど、ゴメンな・・・」と言った
「いやいやいや、何言ってんの今更
てか、俺、もう、10歳の時に骨髄ドナーになってるからね」
「ん? あぁ、そうだったな」
思い起こせば、正弘への負担も今に始まったことでは無い。
骨髄移植に限らず、その前の、ずっと前から始まっていた事なのだ。

9:30
先ず、正弘が先に向かった。
「じゃぁね、マー君、頑張ってね」
妻が見送る中、正弘は軽く手を上げた。
そして、遅れる事30分、続いて僕が運ばれる。
「じゃぁね、お父さん、頑張ってね」

病室から手術室へ、専用の通路をストレッチャーは静かに移動した。
流れていく天井の模様を見ながら僕はぼんやりと考えていた。
[僕は娘を守る事ができたのだろうか?]


そこに答えなど無かった。
代わりに
妻、息子、義母、義妹、
H先生、T先生・・・・・・
天井のジプトーンにこれまで関わった沢山の人が映し出された。

[父さん、母さん、悪いけどまだまだ美月はそっちの世界には行かせないからね]

ストレッチャーが手術前室に入った。
数人のスタッフが僕を待っていた。僕は少しだけ上体を起こし
「あっ、皆さん、お休みのところ、ホント、ありがとうございます」
そう言うと、若い麻酔科医が
「アハハ、大丈夫ですよ、どうせ皆んな暇な奴らですから」と応えた。
それぞれに手を動かしながらも、背中が笑っていた。

「それじゃぁ、お父さん、そろそろガスマスク、付けさせてもらいまーす
で、目が覚めた時はね、もう手術が終わってますからね
初め、慌てるかもしれませんけど、落ち着いてすれば大丈夫ですからね、
じゃあ、1・2・3・・・」



僕は君を守れるか_序章_元疾患編 indexはこちら

僕は君を守れるか_破章_骨髄移植編 indexはこちら


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