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フライフィッシング 歳事記

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釣りエッセイです。毎月1回その月の何かをテーマに、書いています。
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記事一覧

8月_持ってる父[フライフィッシング歳時記]

母が逝ってからというもの、父はすっかり元気を無くしてしまっていた。お盆に集まった姉夫婦と孫たちが帰ってしまうと、いっそう肩を落とした。 気晴らしになればと思い、渓流釣りに父を誘った。 そう言えば幼い頃、夏休みに父と二人でフナ釣りに出かけた事があった。 森林公園とゴルフ場の間の辺りの池だったと思う。長竿でウキを垂らしてアタリを待つ、、、その繰り返し。 夜勤明けだった父は僕にひとしきり竿の扱いをレクチャーすると、とうとう寝てしまった。 一人ウキを見ていた。 すると、不自然に

7月_兄と弟の夏休み[フライフィッシング歳時記]

僕には5才年上の兄がいる。あまり一緒に遊んだ記憶が無いが、とある一件だけは脳裏に在る。 兄は子供の頃から生き物に興味が強く、夏休みには昆虫採取の見本を作る様な人だった。 カブトムシやクワガタ採りの名人だった。 僕が小学校の低学年の頃、虫取りに連れて行って欲しいと頼んだ。 鬱陶しがる兄に見かねた母が口沿いをしたので、渋々僕を連れて行く事になった。 兄が採取場所にしていたタカヤマの森は大人の足でも1時間かかる距離。 おそらく兄はその頃既に自転車だったと思うが、僕は未だ乗れてな

6月_ 梅雨の合間の深山の気配[フライフィッシング歳時記]

兄から「お前、フライフィッシングをやってみたら」と勧められたて始めたこの趣味。しばらくしてたまたま会社の後輩のK君が釣りキチだと知った。 彼は海釣りがメインだったが、半ば強引に渓流に誘い込んだ。 彼は餌釣り、僕はフライ。互いの釣法に向いたポイント(狙いどころ)を攻めながらあちこちの渓流をさまよった。 しかし彼とて川は素人。二人合わせてもつ抜けできない(一桁の意味)釣行だった。 そんな釣れない僕たちの事は職場でも知られる所となり、そのおかげでとんでもない渓流釣りのエキスパート

5月_鯉は渓では外道なのです [フライフィッシング歳時記]

5月は連休で始まる。 最近は不景気のせいもあって、家族サービスを近場で済ますお父さんが多いそうだ。 例にもれず我が家もそうした。 渋滞の時間をさけて、開園前に到着したのは山間部のファミリーパーク。 ここは広大な敷地の中に、各種遊具施設、巨大なジャングルジム砦、池などが在る。 公営なので料金が安く、子育て世代では言わずと知れた存在だ。 だから混む。 ゴーカートに乗るにも30分待たされる。 並ばされるのに疲れたところで、池のほとりにやって来た。 こう言う施設の池に必ず在るのが鯉

4月_オオクママダラカゲロウ [フライフィッシング歳時記]

かなり昔の事だけど、会社勤めしていた時 職場の同僚達としたお花見で、エライ騒ぎに巻き込まれた事がある。 いや、正しくは、巻き込まれたのでは無く、巻き込んだ?のだ。 事の張本人は僕。どうもアルコールが入ると気が大きくなってしまうフシがある。 大いに盛り上がってほろ酔い気分。夜間照明が落ちて、どこの宴会もお開き。僕たちも帰り支度を始めた頃、茂みの向こうで数人のグループのケンカが始まった。 初めは皆んな無視していたが、多勢に無勢の余りに一方的な状態がかなり深刻な事態に思えて、 「

3月_解禁 [フライフィッシング 歳時記]

六年前の春、僕は母を亡くした。 その前の年、僕は勤めていた会社を辞め、独立して事業を始めていた。夏には長男も生まれ、慌ただしく、そして何かに焦っていた。 大好きな釣りにも行けない、いや行かなかった年だった。 年がかわって正月、実家に兄弟達が集まった時、母は身体の不調を訴えてあまり動こうとはしなかった。 ほどなくして父から、母が入院すると言う知らせを受けた。 膵臓癌と診断された母の身体には、その時すでに親指大程の腫瘍が在った。 末っ子の僕はおそらく一番手の掛かった子供だっ