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6月_ 梅雨の合間の深山の気配[フライフィッシング歳時記]

兄から「お前、フライフィッシングをやってみたら」と勧められたて始めたこの趣味。しばらくしてたまたま会社の後輩のK君が釣りキチだと知った。
彼は海釣りがメインだったが、半ば強引に渓流に誘い込んだ。
彼は餌釣り、僕はフライ。互いの釣法に向いたポイント(狙いどころ)を攻めながらあちこちの渓流をさまよった。

しかし彼とて川は素人。二人合わせてもつ抜けできない(一桁の意味)釣行だった。
そんな釣れない僕たちの事は職場でも知られる所となり、そのおかげでとんでもない渓流釣りのエキスパートを紹介された。
その人はスポーツ紙の釣り欄に毎週名前が載る様な人で、渓流の中でも人里離れた源流域を専門とする猛者だった。

「お前ら、そんなに釣れんのだったら、一回だけ連れてってやる」と見事に同情をかい、
本来なら決して自分の釣り場を明かさない源流師から同行のお許しを頂いた。


行き先は長良川の一大支流板取川の源流域。
深夜に会社近くで待ち合わせ、ひたすらに師匠の4躯のあとを追った。
途中、最後の集落辺りで釣り券を購入してからは、いよいよ道も険しさを増した。
谷側にガードレールは無く、山側はコンクリートで固められたオーバーハング。
前日までの雨で山肌から染み出た水はちょっとした流れとなって未舗装の林道を寸断する。
辺りには霧が立ち込め、師匠のテールランプを追うのがやっとだった。

難所らしきエリアを通過して間もなく、ようやく師匠の4躯が空き地に止まり、僕も車を寄せた。
エンジンを切ると、耳鳴りがした。
「なんか、凄い所に来ちゃいましたねー」Kが無意識に呟いた。
ドアを開けると瀬音が聞こえた。
どうやら目的の川はすぐ下に在るらしい。

「そこに橋があって、そのたもとから川に降りられる。橋から下流はだんだん谷が険しくなるからお前らは行ったらいかん。とりあえず朝までここで待って明るくなってから釣り上がれ」
「えっ**さんは?」
「俺たちは別の谷に行く。昼にここで落ち合おう」
そう言って地図を広げた。
「じゃあな、あんまり無茶はするなよ!」
<イヤイヤ、ここにいること自体が無茶でしょ>
僕らは大きくうなづいてUターンする師匠の4躯を見送った。

辺りが白みはじめるとようやく周りの景色が見えて来た。
確かに、来た道方向は険しそうだが、上流方向はミズナラやカエデなどの、美しい広葉樹の森だった。
橋から眺めると、流れは思った程にキツくはなく、適度に落ち込みと開きが連続する絵に描いたような渓だった。
僕は俄然やる気が湧いた。
振り返るとKはもうウエーダー(腰まである長靴)を履いていた。

川幅は数メートル、普段行く川に比べると小さな流れだ。
「ここは別れて釣りましょう」
そう言うと、彼はスタスタと林道を歩いて行った。

僕は橋のたもとから入川した。
微かな踏み跡を辿り、もう少しで川原に降りると言う所で、巨大なゴキブリサイズの虫がこっちに向って飛んで来た。
「うっわ〜、?」
余りの薄気味悪さに転げ落ちた。
気を取り直して、恐る恐るリールからラインを引き出した。
フォルスキャスト(素振り)をしながら静かに目の前のポイントに近づき、さあ第1投と思ったその時
ドッボン
今度は背中で何かが川に飛び込む音がした。
振り返るとハンドボールほどのカエルが泳いで行った。
まるで「もののけ姫」の世界だな。
ここでは何もかもが特大サイズ。
あらためて、深山の気配に恐れ慄いた。

毛鉤にも良く反応した。
川面まで茂った木々には手を焼いたが、それでもKの足跡が現れるまでに二匹のあまアマゴが釣れた。
僕は気を良くして先を急いだ。
すると
「わーっ!」
Kの悲鳴にも似た叫び声に差が、谷間にこだました。
駆けつけると
「い、今、鹿が出たとです!」
彼は興奮すると博多弁になる。

そこからは交互に釣り上がった。
仕掛けを絡ましたり、魚をかけ損なったりしたら交代と言うシステム。
人の釣りを見るのも悪くない。
相変わらず魚の反応は良く、Kも数匹のイワナを手にしていた。

先行して大岩をよじ登っていたKが竿を出さずに降りて来た。
「センパイ、あの岩の向こうにめちゃめちゃ大きいのがおるとです!」
ただ、Kが言うには、対岸からの木の枝が覆っていて、餌釣りの竿では振れない。
代わりにフライのサイドキャストでやってみろと言うことだった。

しからば、お言葉に甘えて、、、
僕は静かに大岩を登った。
居た!明らかに尺サイズの大物。
大岩に挟まれて狭くなった長トロ。
その深さと厚みのある流れの中央でゆらゆらと流れに身を預けている。
心臓がバクバクなった。
ほぼ水平に竿を振って投じた毛針は頼りなく魚の後方に落ちた。
<くぅー>
更にライン(ミチ糸)を引き出して2投目。
今度は左にそれた。
ダメかと思った次の瞬間、まるで離陸直後の大型旅客機の様に、
その魚は左旋回して僕の毛針を口にした。
僕は慌てて竿を上げた。
バキバキ!
<しまった!何やってんだか>
振り上げた竿先が木に絡まってしまった。
テンションのかかった糸の先で狂った様に大暴れする渓魚。
ついには糸を切って、深みに消えて行った。

「センパイ、なんばしよっとですか!」
大岩の上、で放心状態でへたり込む僕に、Kの容赦のない博多弁が炸裂した。


翌年、僕もKも会社を辞めた。彼は博多に帰って家業をついだ。
あの谷は、落石事故で学校行事の中学生が命を落とし、それ以後入山規制となってしまった。
相棒を無くしてた僕は、その後、安直単の釣行が主となり、あの日のトキメキは遠い記憶の中に潜ってしまったままだ。

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