見出し画像

カオス(混沌)/キメリズム

2003年の年が明けた。
骨髄移植後、順調に白血球数が回復してもなお、H先生の表情は冴えなかった。

理由は2つ。
一つは、回復する白血球とは裏腹に、血小板の数が上がってこなかったこと。

もう一つは、キメリズム(*文末参照)の結果、2ヶ月が経過してもなお、混合キメラの状態だったからだ。

この二つの結果から導かれる今の状況は?
白血病細胞が残存している可能性が高いと言うことだ。

ただ、それは、あれから15年が経過した今の僕が言えることで
当時、H先生からそれについての説明はなかったんだ。

H先生は、ただ首を傾げ、血小板の輸血を繰り返すだけ。

骨髄移植が終われば退院できる。
もとの暮らしに戻れる。
娘も妻も、そう信じていた。
だからこそ、あの過酷な日々を耐えてきた。

そしてその事は、H先生にしても重々承知していてくれたと
今にして思えば、
それはH先生の、僕たちへの気遣いだったかもしれない。

そして、2月のある日、
僕たち夫婦はH先生に呼ばれた。
面談の内容は、今後の治療についてだった。

H先生としては、
妻が、退院して新年度から復学させたい、と言う希望を持っていることは重々承知している。
ただ、「いま退院しても、昨年春の様にすぐに体調を崩して、入退院を繰り返すことになる
なので、このまま残って治療を続けてはどうか?」と言う提案だった。

H先生は割と表情に出るタイプだ。
「再々発」と言う言葉こそ発せられなかったものの
この2ヶ月のことを考えれば、「退院の延期」が何を意味するのか、自ずと理解してしまう。

その時、妻がきっぱりと言った。
「先生!今日まで美月(娘)は退院することだけを楽しみに頑張ってきました。その為に辛い治療にも耐えてきました。なのに、今さら退院できなくなったなんて、とてもじゃ無いけど言えません。
お願いですから、とにかく一度、退院させて下さい。
お願いですから。」

僕はあわてて妻の顔を見た。
目には、大粒の涙が溢れていたんだ。

〜キメリズム〜
キメラとは一つの固体の中に異なる組成の細胞が同居している状態、つまり異種同体のこと。
造血幹細胞移植後では、レシピエントの体にドナー由来の血液が流れているので、このキメラと言われる状態になる。
特に、完治した患者の血液は完全にドナー由来の物に置き換わっている(=完全キメラ)ことが知られている。
一方で、移植後必ずしも全てで完全キメラに移行するわけではなく、ドナー由来の血液と、レシピエント(患者)の元々の血液が拮抗している状態(=混合キメラ)もある。
混合キメラの状態と言うことはレシピエント由来の血液に微笑残存病変を残している可能性が示唆される。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?