見出し画像

3月_解禁 [フライフィッシング 歳時記]

六年前の春、僕は母を亡くした。

その前の年、僕は勤めていた会社を辞め、独立して事業を始めていた。夏には長男も生まれ、慌ただしく、そして何かに焦っていた。
大好きな釣りにも行けない、いや行かなかった年だった。

年がかわって正月、実家に兄弟達が集まった時、母は身体の不調を訴えてあまり動こうとはしなかった。
ほどなくして父から、母が入院すると言う知らせを受けた。
膵臓癌と診断された母の身体には、その時すでに親指大程の腫瘍が在った。

末っ子の僕はおそらく一番手の掛かった子供だっただろう。
兄弟の中ではいちばん実家に近いこともあって、仕事の合間をみては母を見舞った。

しだいに弛んでくる季節とは裏腹に、母の容態はまるで階段から転げ落ちる様に日ごと悪くなっていった。
もはや手術さえ許されなかった。

いよいよその時が迫って、母が大部屋から個室に移された四日後、
僕は母の夢をみた。
幼い頃の自分が母の膝枕に抱かれ、「お母さんお母さん」と言って甘える夢だった。
目が覚めた後もしばらく、その幸福感から抜け出すことができなかった。

ようやく正気に戻ると、僕は母のいる病院へ向かった。
生暖かい春の夜明けだった。
庭で沈丁花の優しい香りがしていた。

その日の朝、母は逝った。

男子にとって母親を亡くすと言うことは、何かしらのし絡みから解き放たれた様な、それでいて、あるいはそう感じる事への罪悪感からか、そこに冷静になった自分を見つけた様な気がするのは僕だけだろうか。
それはまるで、その年初めて河原に立ち、フォルスキャストを始めた時の期待とためらいにも似ている。

あれから六度目の春、仕事もなんとか続けて来れた。
今朝、沈丁花の優しい風が吹いた。明日は釣りに行こう。
なあ母さん、もう行っても良いだろう。

ここ何年か、僕の解禁日は、あの日と同じ、沈丁花の香りがする優しい春の日と決めている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?