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爪痕を残したかったと思うんだ/復学

兄妹間の骨髄移植を終えてもなお、
「いま退院しても、直ぐに入退院を繰り返す事になってしまう・・・」
と言う、主治医の言葉にすべてを悟ってしまう僕たち夫婦。
「それでも、とにかく一度、退院させて欲しい」
「そして、もう一度学校に通わせてやりた」と願う妻。

その願いは受け入れられ、美月(娘)は3月末に退院することとなった。
再発入院から、既に10ヶ月が経過していた。もうすっかり小児病棟のヌシだ。

退院が決まっても、晴れない妻の表情に、周囲も気遣いする状況だった。
事情を知る看護師さんたちは、給湯室で肩を落として洗い物をする妻を見つけると、声をかけて励ましてくれた。

妻は妻で、復学の事を心配していた。
大見えは切ったものの、現実的には免疫力が低下しているので感染のリスクが高い。
体格も細く、未だ髪が伸びていない。
何より、病気そのものに対して、無知がゆえの偏見とかイジメが怖かった。
かえって美月(娘)に、辛い思いをさせるのではないか?

妻はその事を担当看護師のhさんに相談した。
hさんは若いのにしっかり者で、僕達はすっかり信頼していたんだ。
すると、Hさんは
「それなら私が、ミーちゃん(娘)と一緒に学校に行って、生徒さんの前で説明します」と言ってくれた。

そこで、急遽、美月の通う小学校の校長先生に連絡をとってみたところ、
それならと、2学年の2クラス合同で、春休みの直前(退院前の外泊時)に説明会をしましょうと言う事になった。

当日、hさんは我が家で私服からナース姿に着替えると、美月の手を引いて学校に向かった。
僕たちも付き添いはしたが、前面には出ない様にした。
hさんは明るく、分かりやすく、病気のこと、美月のできること・できないことなどを、同級生に上手く伝えてくれた。
そのあとみんなから「世界に一つだけの花」の合唱があり、最後に美月が挨拶した。

この会は、美月にとっても、すごく前向きになれる体験だったに違いない。

妻にとっては、
復学という現実的な準備であったとともに、
たとえこの先治療がうまく行かなくなったとしても、娘が「いつのまにかいなくなった子」ではなく、
確実に2年2組に在籍した子として、
大袈裟にいえば、
現実にこの世に存在する子として、爪痕を残したかったんだと思うんだ。

〜復学〜
小児がんサバイバーの復学については、様々な問題が医療関係者から指摘されている。
感染対策などの現実的問題から
クラスメートとの関係性の再構築、患児の受ける精神的なストレス、疎外感など、、、
その対応として
医療側、教育側、相互の理解と連携が重要だと指摘されているが、
実際のところところ、教育の現場にそのような感覚はあるのだろうか?

小児がんの発症率は1万人あたり1.23人、仮に80%寛解して復学するとしても
ほぼ、1万人に0.99人の確率
小学校の1クラスを33人としても、300クラスに1人と言う計算
クラス担任は1年に1回の経験だから、勤続30年のベテラン教師にしても10人に1人の経験値。
一方で、
大学病院の小児病棟に居れば、
院内学級の先生は、もちろん専門職員だし
周りは皆、小児がんの患児とその親御さん
看護師さんも、医師たちもそれが日常。

つまり、一般社会と小児病棟とでは
地表と宇宙ステーションくらいの異世界だ。

その違いすぎる世界を行き来しなければならない、小児がんサバイバー
もし、あなたの近くにいるのなら、
どうか、その事を、気に留めてあげて欲しい。

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