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ならば、どうする/インフォームドコンセント

主治医に、「どうしてもとミニ移植を希望するなら、転院してもらうしか無い」
と言われたその日、僕たち(夫婦)は消灯時間になるまで話し合ったんだ。

妻は僕の意見にある程度の理解を示してくれたものの、
転院と言う重大な結論に至るにはあまりに遠すぎた。

当時、成人の白血病も含めて、ミニ移植をしている施設は全国でもほんのわずか。
当然、県外に移転しなければならなかった。
自宅から車でわずか20分の恵まれた地理的環境。
そして、娘にとっても、
3年前の元疾患発症から今日までに築いた、H先生や看護士さんとの信頼関係。
それらを考えると、転院はあまりに非現実的だった。

僕にしても、可能な限り移植前処置を弱めて欲しいと言う気持ちはあっても、
転院してまで、、、となると
そこまで押し切るには、自信も根拠も無かった。

結局、僕たちはH先生の元で移植を受ける事にした。

きびしい場面ではあったが、最終的に我が家は同意して次のステップに進むことができた。
その意味で、インフォームドコンセントは在ったと思うし、
H先生に対して反感を抱いた訳でもない。

しかし、その日を境に
僕はもう、治療の知識を、求める事を辞めたんだ。

〜コンセント〜
インフォームドコンセントとは本来、
患者・家族と医療従事者との間の相互理解と合意形成に至るプロセスのはず
しかし、現実には
単なる説明、納得、同意と言う一方的な関係になっている場合が、まだまだ多いのではなうだろうか?
医療従事者側からすれば
「時間がない」とか「説明したところで相手に理解力がない」などの状況があるのだろうが、
想像してほしい
そもそも、色々な立場で医師と患者・家族は対等ではない。
その関係性の中で、相互理解と合意形成を得るなど、江戸時代の農民一揆のようなものだ。
結局、理想は掲げても現実には、医師個人のキャラクターに依存しているのではないだろうか?
医師各位と言うよりは、さらにその上層の機関で、そのような環境作りに取り組んで欲しいと願うばかりた。

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