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実態のないホームシック~私のホームシックへの向き合い方~

実家にいながらホームシックである。



私は2週間後、海外に旅立ち、そこで半年と少し滞在することが決定している。




それならシックの原因がはっきりしてるじゃぁないの、そんな状況なら寂しくなるのも当然よ、と思われるかもしれない。


もちろん海外生活へのシンプルな不安というのも少なからず存在するが、

私のホームシックを侮らないでほしい。(強気な態度をどうかお許しください。)


私とホームシックの歴史を記そう。


実家の家族と長期間離れて暮らすのはこれが二度目ということになる。

一度目は関東にある実家を出て大学の4年間を九州で暮らした時。


酷く、とてつもなく、ホームシックになった。

ホームシックが理由で、部活を辞めた。
大学の授業や試験の時間以外は、昼間でも一人でいると泣きはらしていた。

新たな環境に無理に適応しようとしていたこと、急に自由を手にしても何をして良いのかわからなかったこと、サークルだと思って良くしてもらっていた場所がカルトで思い返せば人間不信になっていたこと等、原因は様々に考えられる。

きっと書き出せば、まだまだ出てきて、言語化や認識ができていないものも数多く存在するだろう。


そういえば、それ以前にも自身がホームシックになりやすい人間なのではないかという兆候はあった。



おそらく初めてホームシックを経験したのは高校生の頃。

ニュージーランドで約1週間、ホームステイをした時だ。(お金がかかるのに様々な経験をさせてくれた両親ありがとうございます。)

悪い思いをした覚えは全くないのだけれど、とにかく早く帰りたかった。

先日、海外で生活する人に向けたメンタルヘルスに関する研修の場で、「海外で生活してホームシックになったことがある人はいるか」という講師の問いがあった。ニュージーランドでの経験が脳裏に浮かび、迷わず真っ直ぐに手を挙げると、講師から経験を語るよう促された。

講師に「どのようにホームシックを乗り越えたのか」と尋ねられたが、「乗り越える前に帰国しました」と答えた。

ちょっとウケたから良かったものの(良くはない)、講師が求めていたものとは異なる答えをしてしまったと思う。



そして私は自身で言葉にして発することで、とても重要なことを痛感した…



ホームシックを乗り越えた経験がない。


生まれてこの方、ここが私の居場所だと心から思えたことがあっただろうか。


いや、うん、きっとあった。(あったんかい)


でも!どこにいても、日本のあるいは世界の、どこか、その、どの場所にいても、どこかに郷愁を感じ寂しさを覚える。(覚えている、気がする…)

それを常に感じているというよりは、忘れることはあっても解き放たれている時間はないという感覚が近い。

友達と楽しく食事をし、語り合い、幸せなまま眠りについても、夢うつつな時間にどこかに帰りたいと願い、夢をみて、眠りから覚めれば、また身体に寂しさを感じるのだ。昨日の喜びは確かに存在しているにも関わらず…


日常生活を送っていると、ふと押し寄せる帰りたいという気持ちが身体中に染みてくる。
この度に、私の居場所は地球上にはないのかもしれない。
と本気で何度も考えた。

派生して、私は宇宙のどこからかやってきた存在なのかもしれない。
とも考えた。

もしくはかぐや姫的に、いつかどこか宇宙の果ての誰かがお迎えに来るのかもしれない。というかお迎えは来なくとも、私の本当の居場所、本当の故郷は地球外の場所なのかな。
と本気で幾度も考えて生きてきた。

(不思議ちゃんとかではなく)(この訂正が更に不思議ちゃんっぽくさせているというのであれば、もうそれでいいけれど、ごく自然にその思考に至るということにも思いを巡らせてみてほしい。)(そんなに不思議ちゃんを押し付けられるのが嫌かと思われるかもしれない。嫌ではないが不思議ちゃんでまとめられたくはない。というか人から受ける印象に何か既存の言葉を当てはめて理解した気になるのはあまり粋ではないのではないかと思う。わかりやすくて便利ではあるけれど)(強気な態度をどうかお許しください。再)


括弧書きにより話が逸れてしまったが、
もしかしたら私は、人生においてふと感じる悲しさや侘しさ、孤独、やりきれなさ、世の無常を、ホームシックだと感じているのかもしれない。


86歳になり初めて一人暮らしを送っている祖母が言っていた。
夕方になると、何か変な感じになる。と…

祖母が言った、変な感じ、とは何を指すのか、その他の言葉に言い換えることは容易ではない。

しかしあえて言葉にすると、86年生きてきた祖母も感じているであろう寂しさや、孤独、夕方に浮かぶ何とも言えない感情…

それは人生を送る人にとって、切り離すことのできないものなのだろう。

祖母は人のために生きたと言っても過言ではない人生を送ってきた。これからは祖母の人生を祖母のために送ってほしいと心から願っている。

一人暮らしは自由で気ままで、だけど、寂しいものなのだ。きっと。


そんな孤独の時間が、解き放たれない孤独が、哀愁となって、一人一人の人間の魅力となれば良い。


結局、ホームシックへの向き合い方に関して何の提案もできなかったが、人間は殊に私は地球のどこにいてもホームシックを感じるのだ。感じてきたのだ。

人間とはそういうものだ。少なくとも私はそういう人間だと半ば諦め半分で、その土地土地で生きる自分を、時間を、感情を飼い慣らしていきたい。

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