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8月18日。私の人生を30年に渡って導き、時に狂わせた「あの人」について話してみよう。

「俺さ、これから体を張って頑張るから。いつまでも見守っていてくれよな?」

それは、小6の冬の事だった。
近所のCDショップ(懐かしい)に、何故かその人は立っていた。

有名人である筈の彼が。
何故か、こんな田舎の片隅にあるCDショップにSPもマネージャーも不在な状態でただ1人で立っている。


そして目が合うと、いきなり私に向かって言ったのだ。

あまりにも唐突。
不自然。

驚きながらも私は「はい」とだけ、返事をした。

すると目が覚めた。

つまり夢だったのだ。

「そりゃそうだよ。こんな田舎の店に来るワケないよ」

よく分らない夢に困惑しながらも起き上がり、いつもの支度を始めた。
リビングのTVは、毎日見ている朝の情報番組が流れている。

すると、突然現れたのだ。

さっき、夢に出てきた彼が。

その日からずっと、私の毎日にはの存在がいる。

こんなに長く想い続けるなんて


情報番組に「彼」が登場したのは、その日から始まる主演ドラマの番宣だった。
そのドラマは「味いちもんめ」。


彼はSMAPのメンバー。
前年に「がんばりましょう」というシングルが「まずまずのヒット」となり、年明け早々に阪神淡路大震災が起きた。

その震災直後の「Mステ」でSMAPが「がんばりましょう」を歌っている姿を見て徐々に彼を認知していた所だった。

それが突然、夢に現れた。
翌朝にTVに登場して、その日の夜に主演ドラマ「味いちもんめ」がスタートした。

もう30年余り、彼を追いかけている。
一体どこにそんなに惹かれたのか?

正直、目が♡だった時期は最初の10年位。
その後はずっと3つの視点で彼の生き様を追いかけている。

立ち位置を知り、咲く場所を切り拓く。


彼がジャニーズ事務所へ入所したのは、中学生の頃。
「女の子にモテたい」という理由で応募した事からも、「王道のアイドル」を志していたのではないかと思う。

よくSMAPがバラエティに活路を見出した理由に「CDデビューした年は歌番組が少なくなり、ヒットに恵まれったから」と語られる。

でも彼は、CDデビューした19歳より3年程前から
「俺はMCで一人前になる」と宣言していた(らしい)。


SMAPが結成されて、比較的早い段階から「二枚目ヒーロー」的な役割を同い年の木村拓哉に任せていた。

MCとして
SMAPの中で一番になり、
ジャニーズの中で一番になり、
芸能界の中で一番になりたい。

そう思っていたそうだ。

「女の子にモテたい」が入所理由だった彼が三枚目路線に行く事にした理由は、子供の頃に野球チームに所属していた事が大きいようだ。

SMAPというチームとして、誰がヒーローにふさわしくて
自分が一番活かせるポジティブはどこか?を16歳にして理解していたのだ。


1980年代に結成し、1991年にCDデビュー。
当時のアイドルと言えば、メインの活動は「歌番組」に出る事。
そして「アイドル」とかグループ名がタイトルに入った「中高生向け」の番組で、歌ったり、コントをしたり、ドラマ風なコーナーを設けてみたり。

あくまでも「アイドル番組」の中で、2枚目、3枚目の役割を担っていた。

SMAPも「アイドル共和国」「アイドルオンステージ」「愛ラブSMAP」等「いかにもジャニーズアイドル」な番組を先輩から受け継いでいた。


そんなSMAPが「他と違う」事を示し始めたのは「夢がMORIMORI」でお笑い芸人と一緒になって真剣にコントを始めた事。

1994年。
彼が21歳の時に「笑っていいとも!」にジャニーズタレントとして初めてレギュラー出演し始める。

22歳でニュースキャスターデビュー。
そこから「FNS番組対抗XX」等の大型クイズ番組の司会、「かくし芸大会」の司会等、芸歴も年齢も年上のタレントが一同に集まる大型番組でMCを務めるようになる。

そして1997年 25歳でNHK紅白歌合戦 初司会。
当時、ジャニーズ初。
男性司会者としては歴代最年少。


SMAPがバラエティに進出した当時、お笑いを本業にする人からとてつもなく「目の敵」にされていた。

今では「仲良し」の印象が強いナインティナインも、番組で一緒になった時にあからさまに彼に対して攻撃をしてきた。

ダウンタウンも歌番組のゲストに来たSMAPに向かって「お前ら、面白いと思ってコントやってるのか?」と苦言を呈していた。

初めてキャスターに就任した当時も、TVのコメンテーター、週刊誌、沢山のメディアから「知識のないアイドルがニュース番組に出るなんて…」と相当批判をされていた。

それでも、どんなに批判をされても彼は道を切り拓き「当たり前」を作ってきた。


だって、考えてみてほしい。
SMAPが「がんばりましょう」で初めてFNS歌謡祭に出演した時。

当時の司会者はアナウンサーの露木茂さんと楠田枝里子さんだった。
それくらい今と当時では、司会者のイメージ?人選が違ったのだ。

SMAPの、彼の並大抵ではない努力を感じられる。

可哀想な程、優しい。


そんな彼は、とにかく「優しい人」だ。
元ヤンで喧嘩ばかりしていたとは、思えない位。

SMAPがデビュー当時、既に大スターで常に比較をされていた光GENJIが解散したのは、1995年だった。

当時、光GENJIの中には彼よりも若いメンバーもいた事から、「解散」は残酷に思えたそうでジャニーズ事務所に抗議をしたらしい。

解散コンサートに駆け付け、ラジオで光GENJIの曲を流していた。


その後、ジャニーズの後輩が体調不良を理由に活動休止したり、退所をすると聞けば直筆の手紙を添えてプレゼントを送っていた。

ジャニーズにとどまらず番組で共演した大物タレントがコロナに感染し自宅待機をしていた時には、自宅前まで直接食料を届けたりもしている。

更には、震災の被災地には芸能人仲間や地元の友人と一緒に何度も炊き出しに駆け付けている。
コロナ禍には、医療従事者に焼肉弁当の差し入れもしている。

天災が起きた時は、億単位の寄付もしている。

それでも自分自身には殆どお金を使わない。
「千円前後の食事が一番美味しい」と、いつも呟いている。

知名度が高すぎる彼は、マスコミにも散々追いかけられた。
自宅のベランダにマスコミとファンが侵入してきて、カーテンを全く開けない生活をしていた時期もある。

それでもマスコミに対して「仕事なんだから仕方ないよね。大変だよね」と気遣っていた。

あまりにも優しくて、こちらの胃が痛くなる。

SMAP最大のミステリー

SMAPの中で「ミステリアス」と言われたら、多くの人は稲垣吾郎を思い浮かべるだろう。

だけど、コアなファンの間では彼も相当なミステリーだ。

売れる前、彼は「元気キャラ」だった。
だけど、SMAPの控室で、プライベートな場面で。
彼はあまりお喋りをしない。

趣味は読書。
書店へ行けば数十冊まとめ買いをするそうだ。
そして常に鞄の中には本が入っている。

しかも、好んで読むのはミステリーらしい。

「リーダー」と呼ばれる彼は、実はメンバーの前に立ち先導するタイプではない。
どちらかと言えば、それは木村拓哉がやっている。

彼は常に後ろからメンバーを見ている
1人が右に寄れば、自分は左に行く。
髪型が被らないように、髪色が被らないように。
踊りのフォーメーションがおかしく見えないように。

冷静に俯瞰的にグループを見つめて。
沢山の気遣い、気配りをして。
彼は色々な事を背負い、自分の胸の中にしまっていた。


25歳で紅白歌合戦の初司会を見事にやり遂げた。
それから暫く経ってから、実は初司会を務めた日は40度近い高熱があった事を周りの人の証言によって知らされた。

元気キャラだった彼は、この30年あまりの間に何度も体を壊している。
初めての仕事に立ち向かう時は、何度もトイレで嘔吐を繰り返す。
内臓系の病気で入院した事も、何度もある。

そういう事が明るみになるのは、いつも「時が過ぎてから」。
「実はあの時~」と、突然語られる。


彼、最大のミステリーと言えば
「SMAP解散」と「体調不良による休業」だろう。

これだって解散の真相は今もよく分らない。
だけど、去年「まつもtoなかい」に香取慎吾がゲスト出演した際に
「休業中、毎日連絡を取り合っていた」事が明かされた。
しかも自分の「体調」について、事実を伝えたのは香取慎吾と松本人志だけだと言う。

「SMAPって仲が悪いから解散したんじゃないの?」
「香取慎吾に病気を伝えるって事は、よっぽど繋がりが深いの?」
「結局、どこが悪かったの?」


「SMAPが繋がっていた」という興奮と同時に、混乱や戸惑いも広がった。

それでも彼の口から「真相」は中々語られない。


彼は「嘘をつかない」事を大事にしている。
そして、同時に「誰かを傷つけない、悪く言わない」事も大事にしている。

解散の真相に触れれば、誰かが悪者になる。
病名を知られたくない。
そして「嘘」をつきたくない。

だから「言えない事は言わない」という姿勢と貫いている。


解散当時。
ラジオで「自分が悪者になってすむなら、いくらでも悪者になる」と言っていた。

沢山のアイドルが「リーダー論」やら「アイドル論」等の著書を出版する中。
彼は「自分自身」について語る様な本を一冊も出した事がない。


「自分で自分の事を語るのは、まだちょっと早い」と言う。

控え目に言って、謙遜しすぎである。

今、浮気中。


今日、この記事を書くにあたっていくつかの年号や年齢が出てきた。
殆どは私の記憶である。

それ位 私の記憶に残り、私の人生にはいつも彼がいた。

そんな私も2016年に母親となり、彼はソロになった。

正直、今はもう彼のレギュラー番組を欠かさず見る事もなければ、ファンクラブ?にも入っていない。

かつて、一日中SMAP見てた私は本を読むようになり、SMAPの曲ばかり聞いていた私は、政治や経済のYouTubeを聞くようになった。

でも、社会勉強を終えたら。
母親としての役目が一息ついたら。

必ず「あなた」の所に戻ってくる。
だから、その日まで元気でいて下さい。

happybirthday 中居正広。





<あとがき>
久しぶりに「味いちもんめ」と検索してみたら、1話の動画が見つかったので貼り付けたついでに少し見てみた。

前半のシーンで専門学校の先生に、就職先?の料亭を紹介された主人公(中居君)が、料亭の評判をスマホではなく本で調べる辺りにも時代を感じる(笑)
更には1話から主人公の入浴シーンがあり、裸を可愛い女の子に見られる…という「昭和のノリ」が満載で面白かった。

因みに、この当時「親方」役で出演していた小林稔二さんは恐らく当時54歳。中居君は今日52歳になったらしいので、ほぼ「同世代」である。
イメージ違いすぎないだろうか?(笑)


今回の記事は、殆どを「記憶任せ」で書いた。
また、本人の口からは語られていない事や、都市伝説的な内容も含まれている。
浮気を一切した事がない、一途な人が読んだら「そこは間違っている!」というご批判を受ける点もあるかもしれない。
もし、そういう場面を見つけたら中居正広さんのお誕生日に免じて許して頂きたい。

今日も有難うございました。



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