かみぞの

東京在住、HBOC(遺伝性乳がん卵巣がん症候群)の乳がんサバイバーです。自分の経験を残…

かみぞの

東京在住、HBOC(遺伝性乳がん卵巣がん症候群)の乳がんサバイバーです。自分の経験を残していきたいと思います。どなたかのお役に立てると嬉しいです。

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はじめに

40代で乳がんと診断されました。その後の検査でHBOC(遺伝性乳がん卵巣がん症候群)とわかりました。 がんは治る時代と言われていますが、実際になってみるとそんなに簡単な病気では無いと感じています。簡単で無いからこそ、診断・治療を通じて考え、感じ、向き合う機会をもらいました。 乳がんがわかった時、その後HBOCであると知った時、とても不安になりました。今は人生に起こった一つの出来事として、受け入れることができています。 がんになる前よりも、なった後の方が私は健康的になりまし

    • 女性ホルモンに頼らずに健やかに美しく

      HBOCが判明し、卵巣癌のリスクを下げるには卵巣を取るのが一番と知った時、ちょっとしたパニックになりました。 卵巣を取る→女性ホルモンが無くなる=閉経です。本やネットで見る更年期障害の症状は肌のハリが無くなる、シミが増える、髪がパサつく、情緒不安定になる、物忘れが起こる、太りやすくなるなど。 いずれは来る状態であり、命が一番とは理解しつつも、すんなり受け入れる事はできませんでした。 手術後、髪はパサつき、ホットフラッシュ、気分の上下が激しい、などの症状、起こりました。肌のハ

      • Going flat !

        海外では乳房の全摘後、再建を選択しない人達の行動を Going flat というそうです。 私は両側乳房を全摘しましたが、再建をしていません。ポリシーがあって選択したというより、結果的にそのような状態になりました。 まず乳がんになった胸を全摘しました。 主治医は、若いので当然再建するでしょう、という前提で話してくださいましたが、HBOCが判明したので、同時再建は一旦見送りました。 対側への乳がん発生の可能性が一定程度あり、定期的なMRI検査が必要でした。同時再建の為のエクス

        • 予防切除手術を受ける

          予防切除を受ける事を決め主治医に伝えると、手術説明、検査と通常の手術と同じルートを辿りました。 私は乳がんになった対側乳房の全摘と卵巣・卵管の予防切除を同時に受けることを選択しました。全身麻酔が一度で済み体への負担が少ないと思ったのです。 卵巣摘出は腹腔鏡手術です。 入院後、主治医が様子を見にきてくれました。外来ではクールな女医さんですが、メンタルを含め調子を気にしてくださっているのがわかり、お気遣いが嬉しかったです。今回も何も不安を持たずに手術を受けられる状況を整えて頂き

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        はじめに

          リスク低減乳房切除術(RRM)リスク低減卵管卵巣摘出術(RRSO)を受けることを決める

          アンジェリーナジョリーがHBOCによるRRM、RRSOを公表したのが2013年と2015年。 がんに罹患していな状況で、将来の可能性の為に両乳房と卵巣を摘出した彼女の行動は、日本でもセンセーショナルに伝えられた。 まだ癌になっていない臓器を摘出するとは随分思い切った、ロジカルな判断をするな、と驚いたのを覚えている。 それから8年ほど経って、自分が同じ選択をするとは 今はアンジーの気持ちが理解できる。 HBOCとわかった後、乳房と卵巣の定期チェックが始まりました。 癌になる

          リスク低減乳房切除術(RRM)リスク低減卵管卵巣摘出術(RRSO)を受けることを決める

          可能性にかけ、可能性を手放す

          HBOCの卵巣予防切除の推奨は40歳まで、または最後の出産が済んだ後。 遺伝子検査の結果を知った時、もう既に推奨年齢を経過していた。 抗がん剤治療前に凍結していた受精卵が2個あった。 万が一妊娠した場合、出産までは予防切除はできない、その間癌になるリスクはある。卵巣癌の発症グラフが上昇し始める年齢だった。 卵巣癌は有効な検査方法が無く、かなりステージが進んだ状態で発見される事が多い。子供を授かる事ができても、育つ前に私がいなくなるかもしれないと思った。 もし妊娠したら、私

          可能性にかけ、可能性を手放す

          理由を求めて遺伝子検査を受ける

          家族で乳がんの罹患者がいたため、遺伝子検査を勧められた 私自身、がんになった理由が思い当たらず、理由を知りたかった。 ある程度健康的な食生活をし、適度な運動で標準体型を保っていた。 ストレスか、遺伝か、放射能か…。 私の通う病院は遺伝カウンセラーがおり、 遺伝子検査のできる病院だった。 遺伝検査の前にカウンセリングを受け 複数の遺伝子を検査できるパネル検査を受けた。 検査自体は採血をするだけなので数分あれば終わる。 血液はアメリカに送られ、2ヶ月後結果がわかった。 B

          理由を求めて遺伝子検査を受ける

          抗がん剤中の不思議な食欲

          抗がん剤中の食事はとても大切だと思います。 かなり強い薬を入れます。がん細胞を狙い撃つ抗がん剤もあるようですが、私の使用した抗がん剤は細胞分裂が活発なものに効くタイプ、がん細胞以外の正常細胞も関係なく攻撃します。 病院の方は「食べられるものを、食べられる時に」とおっしゃいます。 何も食べられない時はそうかもしれません。 ある程度食べられる時は栄養バランスを考えた方が良い気がします。 抗がん剤を点滴した後は、気分が悪くなります。吐き気と倦怠感がありました。 大量のお薬を頂き

          抗がん剤中の不思議な食欲

          がんになると世界との境目が薄れていく

          毎月払う結構な額の健康保険料、健康過ぎて元が取れない 今思えば、こんな恥ずかしすぎる事を思ったことがある。 大きな病気になって、世の中に病気の人が多くいる そんな当たり前のことに気づいた。 自分が病気ではない期間に 病気になっている人がいる 今は、自分の代わりに病気になってくれていたのだと感じる。 福岡伸一さんの「動的平衡」を思い出す。 私の体が平衡を保って存在しているように、社会も、地球も、様々な単位で平衡を保って存在している。 私もあなたなのだ。 病気の人も、高齢

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          抗がん剤による脱毛

          術後に抗がん剤治療を受けました。 抗がん剤治療が必要と告げられて最初にしたのが帽子を買うことでした。 脱毛が恐怖だった。 胸を失うことよりも怖かった。 髪をことさら大切にしていた訳ではないのに 髪の毛が抜けることが嫌でした。 抗がん剤治療の前に先生から、髪は抜けます、とはっきり言われました。 脱毛に備えると同時に髪の毛を残す方法を探し 人参ジュースを飲んだり、海藻を食べたり 海外で使われている頭を冷やす機械を参考に 抗がん剤点滴後に頭を冷やしたり(血流が悪くなり抗がん剤

          抗がん剤による脱毛

          抗がん剤前の妊孕性温存

          抗がん剤を使用すると、高い確率で生理が止まる。 子供を望む場合は、治療前に卵子を凍結することが望ましい。 乳がん確定後、混乱の中、治療に関する判断と同時に 妊娠の可能性を残すかどうかも決断する必要がありました。 妊娠を希望するにはぎりぎりの年齢。 可能性を残しておきたいので、受精卵を凍結保存する事にした。 (私は結婚をしていたので受精卵を保存しましたが、パートナーのいない人は将来の為に卵子を保存できます。) 手術後、抗がん剤治療が始まる約1ヶ月の間に 採卵し、受精卵を作る

          抗がん剤前の妊孕性温存

          当たり前だけど手術は眠っているうちに終わる

          全身麻酔が点滴で落ちてくるのを眺め 手術室の天井の電気に目を移すと 次の瞬間名前が呼ばれ、手術が終わっていた。 手術で大変なのは医師と看護師さん、 バックヤードで検査等をする技師さん達である。 私はただ、寝ていただけだった。 3時間程の手術が終わったら病室に戻り しばらく寒さや体の違和感でうーんうーん言っていたが眠ることはできた。 定期的に看護師さんが様子を見にきてくれる。 安心感の中で、不安なく具合が悪い状態でいられた。 当日はシャワーも食事もナシ。翌朝から普通に食事

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          女子寮のような入院生活

          入院生活は最終日にはもう少し居たくなるような居心地だった。 入院病棟の同じフロアの患者さんの多くは乳がん患者だった。 ここでの自己紹介は、術式、発見の経緯、担当医など病気に関すること。 名前や職業、年齢はそれほど重要では無いので話す人はあまりいない。 ここで出会った先輩患者の方々にはとてもよくしていただいた。 シニアな方が多く、その何とも言えないお心遣いに 感動と同時に、私もこんな素敵な人になりたいと思った。 ある再発の先輩は、抗がん剤治療を心配する私に ご自分の抗がん

          女子寮のような入院生活

          病気を知ることは真剣に生きること

          世の中の風潮として、がんは早期発見すれば完全に治るように思われていますが がんはまだ人類が克服していない病気です。 現時点で一番効果のありそうな治療を行いますが、それで完治する事が保証されてはいないと私は理解しています。 克服に向けて、医師と患者が一緒に病に取り組む姿勢が大切だと感じます。 どうこが痛いのか、何が困るのか、どうしたいのか、何が不安なのか 患者本人が医師に伝えていくことで治療が変わっていくのです。 「自分の病気を知ろうとしないことは、真剣に生きていないのと同

          病気を知ることは真剣に生きること

          病院を必死に探してよかった

          乳がんを告知されてからは、重要な判断を早期にすることが求められます。 まずは治療する病院を決めること。 私の検査を担当した先生は望む病院どこにでも紹介状を書いてくれると言ってくれました。 そして「一番大切なのは信頼出来る先生にお願いすること」 今思えばこれが全てだと思えるアドバイスもくださいました。 私は今まで大きな病気をしたことがなく、お医者さんにお世話になるのも定期健診くらい。 信頼できるお医者さんにどうやって出会えば良いのか… 乳がんの執刀件数のランキングを見て、上

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          ファイティングポーズになるには少し時間がいるのです

          人が不安になるのは、あやふやな状態であることが大きいと思う。 乳がんと告げられた時、覚悟はしていたものの ただただ「癌」という文字に混乱していた。 具体的に自分に何が起こるのかわかっていなかったのです。 公園の日差しの中で楽しそうに遊ぶ親子を見ていたら涙が出たり… ただ涙が出る理由が自分では分からなかった。 悲しいと思うわけでもなく、混乱して涙が出てくるのです。 乳がんの本を買って、症状やこれからの治療などある程度情報を入れても そんな状態が続いていました。 変わったの

          ファイティングポーズになるには少し時間がいるのです