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78)「楽しめ」ば「できる」から「楽」になる
楽しんで何かをしていると、そこに苦労がないのでスイスイとコトが進んでいく。
「楽しんで」できることは「楽」にできるので、「楽しむ」と「楽(らく)」は同じ意味といっていい。
人が楽(りらっくす)しているときは、楽しんでいるときでもあるから、楽しんで何かをしているときも楽しているときも、いい波動(氣)が出ている。
手を抜いて楽をしているときは、実は楽しめていないときだったりする。
手を抜きたいと思うときは、あまりいい波動が出ていないから、「楽」か「手抜き」かは、その時の出ている波動で分かるもの。
手を抜きたいという思いは「楽になりたい」という願望がそうさせている。
「好きこそものの上手なれ」という言葉があるが、好きなことに夢中になって楽しんでいると、自分の可能性を自然と広げていけるようになっていく。
「好きこそものの上手なれ」は、自分の可能性を広げるための最強の方法だと思う。
また楽しんで出来ることがあると、その行為がその人の個性にもなるし、その人の生き方の軸にもなる。
「〇〇の何々さん」というように名前の前に形容詞を付けて貰えるようになる。
いずれにせよ、好きなことを楽しんでいたら、楽々と生きていけるようになっていくから、人生が楽しくなっていくのも当然のことといっていいだろう。
成功者の像は、時代によって変わっていく。
楽しんでいる人が成功者のイメージになってきたのは、最近のことなのかもしれない。
苦労に耐えて何かを成し遂げるというやり方は、今の時代にはマッチしていないのかと思う。
たとえ苦しい状況でも楽しめることを見つけることができると、それだけで自分の可能性を広げてくれるようになる。
辛い思いで何かを続けるよりも当然、効率がいい。
ここ数年は、大谷選手や藤井棋聖のような人が出てきたことで、成功者のイメージが大きく変わってきたといってもいいかもしれない。
彼らは苦労して野球や将棋に向き合っているわけでなく、ただ好きなことに夢中になっているだけだったりする。
楽しいと思うからこそ、楽にその対象に向かい合うことができるから、ますます出来ることが増えてく。
何かを極めるには、好きなことでないと難しい。
何かを極めるためには、ある程度の期間の持続が必要であり、持続させる力は楽しむことで生まれてくるもの。
しかも、楽しんで楽々と自分の道を進んでいると、負荷もなく進むことができるから、その可能性は無限大といっていい。
もちろん、楽しんでいればすべてが順調に進むというわけでもないし、挫折することもある。
しかし、そういった挫折を乗り越えてでも「やっていきたい」という思いがあれば挫折はすぐに乗り越えられる。
挫折は、ある意味で、自分の本気度を試されているときだから、物事が上手く運ばないようなときでも「それでもやりたい」と思えることが「好きなこと」といってもいいし、そういった「好き」の度合いが、自然と結果に繋がっていく。
挫折は自分に対するお試しであり、挫折しても続けたいことは、続けていけばいいし、続けたいと思わなければ、シンプルに新しいことを始めればいい。
挫折したときは、自分自身を見つめるチャンスでもあり、新たに方向転換する機会でもある。
好きなことは、たとえば野球や将棋といった対象がなくても構わない。
自分を好きになること、自分を楽しむことができるだけで人生が楽になっていく。
自分を嫌って、することの一つひとつにダメ出しをしていたら、生きることが辛くなるのは当然のこと。
その反対に、自分を好きになって、自分の行為のすべてにOKを出せるようになると、人生が楽しくなって楽に進んでいくようになる。
たとえ自分を好きになれなくとも、自分の行為にOKを出すことはできるし、自分がした行為にOKを出し続ければ自分を好きになれるようになっていく。
まず自分にOKを出すことに夢中になって、自分を好きになって自分を極めていけるようになるだけでも、人生の成功者になることができるだろう。
成功とは、他者から賛辞されることではない。
自分を好きになって、自分で自分を賛辞できるようになることが成功なのだ。
周りから評価を得ることができても自分を好きになれなかったら、それは成功とはいえない。
自分を好きになるためにも、自分にダメ出しは止めて、その時々にすべきことを楽しんですることができるようになると、やがて自分が好きになっていく。
そのためにも目の前のことを楽しんですること、楽しんでする習慣を身に付けられるようになれると、それが最強の武器になるだろう。
結果は二の次にして行為を楽しむ。
楽しめないことでも、楽しもうという思いを持てるだけでも、結果は違ってくるし、結果的にそれでも楽しめなかったとしても、精一杯することで自分自身を賛辞できる。
一番の理想は、どんなことでも楽しんでできるようになること。
結果はともかく、姿勢だけでも楽しんでみるだけで、する前と後での意味は変わってくる。
とはいえ人は誰しも得意不得意があるから、まずはやっていて楽しいことから最善を尽くしていくのが自分を好きになる方法になるだろう。
どんなことでも自分を肯定出来ることは、氣後れすることなくどんどんするべきなのだ。
毎日を楽しんで生きることが、人の根源的な願いだ。
そういった根源的な願いを達成するには、楽に出来ることから楽しんでいくといいのかもしれない。
楽しめば心が軽くなる。
心が軽くなると、前に進めるようになるもの。
前に進むためにも、楽しみながら楽に生きていけばいい。
楽しいことをしていると、我を忘れることができるから楽になる。
自我を離れて夢中になって忘我になると、自分を好きになれたりするから、心の仕組みは、実に不思議なものだ。
「楽しめ」ば「できる」ようになるものだから「楽」なのだ。
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