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#178 偉大なる父と賢治【宮沢賢治とシャーマンと山 その51】

(続き)

宮沢賢治が生きた時代は、信仰が大きく揺らいだ時代でもある。明治維新による神仏分離は、仏教の衰退、神道の復権へ向けた一本道だったわけではなく、揺り戻しも見せる。

賢治の父・政次郎が花巻に招いて講習会を行った暁烏敏や、交流を持っていた近角常観などは、浄土真宗復権の新たなリーダーでもあり、賢治が信仰した日蓮主義の国柱会のリーダー田中智学も、国家との距離を縮めていった。

驚くべきは、賢治の父・政次郎が花巻に招いた暁烏敏などが、明治期仏教の指導的立場として今も語り継がれる人物達で、そのような全国的に著名な指導者を花巻に招く政次郎の、信仰に対する深い関心や経済力の高さである。そういった人物達に幼少期から触れていた賢治は、当時としては最新の仏教思想を学び、その経験は、その後の賢治の宗教的な興味に多大な影響を与えたと思われる。その後の賢治が、より新しい仏教思想として台頭した日蓮主義に興味を示し、父への対抗と相まって、その信仰に深く関わろうする事もまた、自然の流れのようにも見える。

このように、明治維新の神仏分離や廃仏希釈を経ても国内の仏教は消滅せず、日蓮主義に代表されるように、明治~昭和初期の日本の帝国主義政策との接点を保ちながら勢力を拡大する宗派も存在した。その一方、これまで見てきたような、明治維新以前に存在していた、神とも仏とも区分できないような無数の信仰の数々は、明治維新によってどこへ行ったのであろうか?そういった信仰は、仏教以上の大きな打撃を受けたとも言われ、修験道は、明治維新により打撃を受けた信仰の代表格でもある。花巻の早池峰山に存在した修験道も、明治維新をきっかけに壊滅状態となったようだ。他方で、花巻でも維新以前から脈々と密かに信仰され続けたと言われる「隠し念仏」などは、大正期でもなお一定の勢力を保っていたとも言われる。

【写真は、花巻市大迫地域の早池峰神社】

(続く)

2024(令和6)年4月30日(火)


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