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#167 熊野と奥州平泉・秀衡と弁慶【宮沢賢治とシャーマンと山 その40】

(続き)

熊野には、他にも興味深い足跡が残されている。前に触れたが、奥州平泉の盟主・藤原秀衡に由来する名所で、「秀衡の乳のみ石」や「秀衡桜」の名が残る。

また、熊野三宮のうち、熊野速玉神社には、現在の岩手県の久慈市から熊野を訪れた老婆に由来する塔が経つなど、熊野と奥州の強い結びつきが推察される。また、前にも触れた通り、平泉で義経とともに命を落とした武蔵坊弁慶は、熊野の田辺の生まれとの伝承も残る。

そして、出羽や日光の周辺と同様に、熊野もまた、かつては様々な鉱物資源を算出したようだ。熊野山中には、石炭が道路脇に露出している場所があるほどで、他の修験道の聖地と同様、修験道と鉱山の繋がりを思い起こさせる。

そして、賢治が生まれた岩手は、熊野神社が非常に多い土地であり、県内の神社に占める熊野神社の割合は20%を超え、全国の県で最も割合が高いとのことだ。

ここまで見ていくと、以前に、早池峰にある「注文の多い料理店の舞台」と言われる「猫底」で聞いた、「鉱山のある場所に熊野神社が多い」という話にも、説得力が感じられる。

【写真は、熊野の入り口 田辺市にある「鬪雞神社」の、弁慶とその父の像】

(続く)

2024(令和6)年3月30日(土)


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