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#152 修験道とは何なのか?【宮沢賢治とシャーマンと山 その25】

(続き)
ここまで、宮沢賢治が暮らした現在の花巻市にある早池峰山や、東北地方にある出羽三山にゆかりが深い修験道について度々触れてきた。

しかし、修験道は、令和の現代においては馴染み深い信仰とは言えない。

ここで一旦、賢治からはやや離れるかもしれないが、現代では実態が掴みづらい修験道について、簡単に整理してみたい。

先に触れた通り、修験道は非言語的な「実践」を重視するとともに、その実践も、集団内で秘されている部分が多い。修験道を本当に理解するためには、それらの集団に所属し、山へ入りながら修行等の実践を行う必要があると思われる。しかし、もちろん私に修行の経験はないので、以下の内容は、私が浅く理解した修験道の姿だ。

まず、一般的に「修験道」と聞いて連想するのは「山伏」の姿であろうか。白や黒の装束を身に着け、頭には小箱のような帽子、杖を持ち、山々を駆け巡り、まじないを唱え、不思議な呪術を使う。そんなイメージだろうか。

このようなイメージの中には、山岳信仰、呪術や祈祷、過酷な修行や身体性の重視、といった、修験道が持つ一面が含まれている。

古代の原始的な信仰においては、太陽、月、星、山、川、巨石、巨木といった、天体や自然が信仰の対象となるとともに、シャーマン達は、祈祷や修行などを通じて、一般の人々が持っていない特殊な力を手にしようとしていたと思われる。
その能力とは、現代でいう医療の分野であったり、天文学、気象学など様々な分野へ及び、場合によっては呪詛で人に不幸をもたらすといった、オカルト的な分野へも及んでいた。

現代の科学的な分野と、それ以外の非科学的な分野が混然一体となり、民衆も信仰を通じシャーマン達の力を信じ、その力を求めた。

権力者達にとって、その力が権力の源の1つでもあった。

そのような有象無象の雑然とした信仰は、時代が下るに従って少しずつ体系化されていくとともに、日本国内の統一が進む中で徐々に整理される。

その一つの形が、「古事記」や「日本書記」の「記紀神話」と呼ばれる日本の古代史で、記紀神話などを拠り所とする日本の神道は呪術的な側面も持っていた。

【写真は、奥日光・半月山の道】

(続く)

2024(令和6)年3月15日(金)

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