見出し画像

#150 修験道がつなぐ神仏の和?【宮沢賢治とシャーマンと山 その23】

(続き)

そして、これまで見てきた神仏習合と、かつて花巻の早池峰にも存在した修験道には、強い結びつきが感じられる。

以前、奈良の若草山の山焼きを、偶然に見る機会があった。
予備知識なしで見て驚いたのだが、若草山焼きは、若草山周辺に位置する春日大社・興福寺・東大寺という、神社と寺が習合して祈る祭だった。山に火をつける松明が山へと運ばれる際には、春日大社・興福寺・東大寺の神官や僧侶と思しき人々が行列するが、吉野金峯山寺の山伏らしき人々が先導し、法螺貝の音が響く。

吉野金峯山寺は、奈良市南方の吉野町にある修験道の寺だが、吉野は、真言宗系の修験道の当山派にゆかりの深い土地で、金峯山寺は現在でも修験道の一派の総本山として重要な地位を占める。

若草山焼きでは、春日大社・興福寺・東大寺の神仏を習合する役割を、修験道の寺である金峯山寺が担っている図式に見えた。

若草山焼きの例は一例だが、修験道は、仏教と神道が習合する際の、架け橋のような役割を果たしているように見えることがしばしばある。

神道が持っているシャーマニズム性、呪術性、誤解を恐れずに言えば非論理的な世界観と、仏教が持っている規範性、法(ダルマ)など論理的な世界観は、本来、相容れない側面を持っている。

しかし、修験道は、その両方を兼ね備えているように見え、神道と仏教の架け橋的な役割を果たすという考え方は、あながち的外れでもないように思われる。

修験道は早池峰の文化にも強く影響を与えていると思われる。

そして、期せずして、修験道と賢治との繋がりを感じられる瞬間もしばしば現れる。

【写真は、奈良若草山の山焼き】

(続く)

2024(令和6)年3月13日(水)

この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?