#154 密教と修験道【宮沢賢治とシャーマンと山 その27】
(続き)
仏教が生まれた大陸では、長い年月を経て密教が発展する。
仏教を学ぶため同時期に中国に渡った最澄と空海は、密教を日本へ持ち帰った。特に空海は、当時の中国で最先端だった密教の教えを受け、日本へ帰った後、密教を最上位に置いた思想体系を持つ真言宗を開く。
天台宗を開いた最澄も密教を取り入れ、真言宗と天台宗はそれぞれ東密、台密と呼ばれ、日本の密教の大きな流れを形作っていく。
密教は、文字通り「秘密の教え」という側面を持つ。多くの人々に広く門戸を開くのではなく、限定された構成員に対し、秘密の教義や儀礼を伝えていく。言語的な教義の伝承よりも、身体性を伴った儀式が重視され、火の前で祈る「護摩祈祷」は、密教の代表的な儀式の1つだ。
密教は修験道とよく似た側面を持つ。と言うより、長い歴史の中で、修験道を形づくった大きな流れの1つは、密教である。天台密教は本山派、真言密教は当山派として、修験道の二大宗派を形づくっている。
このように、修験道は、山岳信仰や神道的な信仰をルーツに持ちつつ、大陸から伝来した仏教、そしてその中でも密教もルーツに持っている。
修験道の中に、神道、仏教、土着的な山岳信仰等々、様々な信仰がミックスされ、修験道は「神仏習合」の象徴的な存在とも言える。
仏教、神道、修験道は微妙なバランスを保ちながら、長きにわたり、神仏が習合する日本人の信仰を支え続けてきた。
そして、これらの信仰において、山は重要な存在であり続けた。
【写真は、奈良県桜井市 談山神社の摩尼輪塔の梵字】
(続く)
2024(令和6)年3 月17日(日)
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