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僕は東京が嫌いだった

今日は2022年3月31日。僕は今、藤沢に向かう電車の中にいる。

朝は7:30に起き、隅田川沿いを30分ほど走った。日も高くなり、呼応するように気温も高くなってきている。スカイツリーは心なしか霞んで見える。水面が太陽を淡く反射させる。心持ちの良いランだった。


いつものように、一枚のトーストにピーナッツ・バターを塗りたくる。

いつものように、シトラスが香るシャワージェルで体を洗う。

いつものように、馬喰横山駅から池尻大橋まで向かう。

ただ今日は、なぜか藤沢に向かっている。


今日は2022年3月31日。僕は今日、学生というアイデンティティを失うことになる。

そして今、少し何かを書きつけるには十分な、ささやかな移動時間がある。


***


4年前、二つの大きなスーツケースと、穏やかでない不安を抱えて、東京行きののぞみ号に乗った。

鮮明に覚えているのは、新幹線が新横浜を出て品川に近づいていく区間。あの東京の摩天楼が見え始める瞬間に、Yuiの『TOKYO』という曲を聴いたこと。

同時に、こう強く決意していたことも覚えている。今日からの自分は、大阪にいたときの自分ではない。高校時代までの狭い狭い環境を脱出し、確かな成長と成功を掴むのだ、と。

3年前、目黒川にて。今年も綺麗だった。


僕は人一倍プライド、というよりはコンプレックスの強い人間なので、何かを否定し、何かを覆し、時には何かに逆張りをすることで前に進んでいると言う感覚を掴む人間だった。

弁証法的に成長してきた、といえば何か聞こえの良いものに思えるが、必死に過去の自分自身を拒絶し、破壊することでしか自我を保てなかったのだ。


そんな儚く、危うい自我をもつ人間だったので、僕が東京を嫌いになるのはある意味自明なことだった。

ある時点でーー特に大学1−2年の時点でーー東京に対して持っていた幻想はあっさり反故にされ、現実と理想のギャップに苛まれることになる。話せば長いので、ここでは詳にしない。


僕を理解してくれる場所、受け入れてくれる場所は世界のどこかにあるはずなのであり、ここにはないと思い込んでいた。

だから、僕はいささか熱心に旅に出ることになった。


***


僕の東京での4年間を定義するものは、「旅」だ。それも、鉤括弧付きの。


バーテンからカメ磨きまでいろんな仕事をこなし、社会性を身につけた。

カリブ海からカスピ海まで、世界の広さを噛み締めた。

図書館に入り浸り、人類が積み上げた知性に慄いた。

そんな数多なる「旅」を媒介に、僕は意気揚々とさまざまな火に飛び入りながら、人間性を軌道修正していった。


バクーの路地で見つけた、眠そうな猫


もちろん、そういった実務訓練の原動力は時代ごとに異なっていただろう。「東京」性を身につけるために。他者に見せつけるために。自分自身を正当化するために。時には、自分自身を大切にするために。

それでも、いつも貫通的に存在していたのは、僕のアイデンティティの形成・破壊・再生は「旅」的な営みーー未知と遭遇し、知的渇望を満たし、自己を相対化するという営みによるものだという事実だ。


ここで僕はそうした「『旅』的な営み」を大旗を振って薦めようとしているわけではない。「旅は素晴らしいことなので、みなさんも積極的に旅をしましょう」なんてプロパガンダ、今ではどう転んでも掲げられない。

旅人になる素質を持った人間は放っておいても時期に旅をするようになるし、そうでない人間に旅をさせてもただただ苦痛になるだけである。

旅をするという行為は、おおよそ全ての人間に向いた営みではない。文章を書くという行為が、万人に受け入れられる営みではないのと同じように。


なんせ、旅は孤独である。自分自身の根底にある何かを見透かされ、さらけ出される。

その地で自分が異物であると言う感覚。

自分が見えていない場所でも、自分抜きで日々は回っているという感覚。

そして、自分が発った場所でもおそらく、自分抜きでも問題なく日々は回っているという感覚。


いつもなら気にもとめないようなうっすらとした不安だったり、気前の良さで受け流してきた焦燥がじわじわと滲み出される。

それが「旅」が僕たちに否が応でも投げかけてくる孤独だ。


旅人には、帰る場所が必要だった。

先月初めて東北に行った。寒さと孤独を噛みしめざるを得ない場所だった。


***


東京という街を象徴するのは、その匿名性だろう。


ここには数千万という数の人間が、数千万という種類の生き方をしている。

僕は地元の友人から、東京はどんなところか、と聞かれた時に、かつては「人が死ぬほど多いところだよ(笑)」と言っていたが、今ではそれはある点で的を射ていないと思える。あの頃は東京を拒否しなければならないという、いわば強迫観念的な使命感を持っていたので、あのように冷笑的な表現をしていた。


この街には、生き方については無数のオプションがある。

この街では、そういったさまざまな生き方が時にくっついたり、時に分離してゆく。

この街には、どんな生き方をしていても許容される。

これが、今の僕が東京について言えるところだ。


ここは、決して「変わらない場所」だったり、「いつものふるさと」にはなりえない。湯気のように掴みようがなく、息をつく間もなくそのかたちを変え、針葉樹林のように色彩をもたない場所だ。同時に、「旅」的な営みを経てよりどころを求める旅人を、いかようにでも包み込み、ゆらぎながらも受け入れてくれる場所でもある。


この4年間、僕はこの社会中、世界中のさまざまな角に足をぶつけ、天井に額を打ちつけ、床に這いつくばった。痛みと孤独を抱えながら「旅」を続け、生きていくコツを掴んでいった。時間はかかったし、いまでも苦労することばかりだが、要領が悪いながらもそれなりに必死だったのだ。

時にひんまがったり、丸まってみたり。出る杭になってみたり、打たれる杭になってみたり、出過ぎた杭になってみたり。OJTーーオン・ザ・ジャーニー・トレーニングを通して、僕のアイデンティティは混沌とし、錯綜し、時に洗練され、形作られた。

そんな傷だらけの自我に、いつも帰るべき場所として存在し、会うべき人間と合わせてくれたのは、形式的に住所を置いていた東京という街だった。


ちょっとずつ東京が憎めない、帰るべき場所になっていったのかもしれない。

早稲田は美しい。


***


僕はあと数週間すれば、いったんこの街での生活を終えることになる。

なにかに強要されるわけではない。辞令を出されたわけでもない。ただ、久しぶりに旅に出ようと思っただけだ。

そんなフロンティアに向かわんとするワクワク感と、うっすらとした不安とがせめぎ合う。そこに、東京という場所を離れるという一種の寂しさも同居しはじめている。


ここには、大切なものができすぎた。やれやれ。


***

siroao.

あったかくなってきた。神保町で古本買って、喫茶店でカレーを食べるという優勝ムーブをする季節ですね。ルーローハンでもいいな。

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