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突撃!ハイダ語入門【①文字がない!?】

今学期、マセット村のハイダ語センターで提供されていた北部ハイダ語入門の授業が終わりました。九月から火曜・木曜の夜 19時から一時間半の授業。村のおばあちゃんと一緒に教室に通い詰め、何とかおとといの試験を終えました。やったね。

せっかく希少言語のテスト勉強をしたあとなので、今学期学んだことを残しておこうかと思います。南部ハイダ語に関しては日本人の研究者が調査しているらしいのですが、北部ハイダ語の紹介記事は本邦初?

このコンテンツは言語学者でもなく言語学のトレーニングも受けたことのないひとりの言語好きが、ハイダグワイ・マセット村におけるハイダ語(北部方言)継承の取り組みに自らも参加しながら、そこで得られた情報をまとめたものです。

ハイダ語は文字のない言語のため一定の表記形態もなく、そのネイティブスピーカーの少なさから教師・生徒らがともに学び合っている言語です。そのため、この記事は村のおばあちゃんたちから聞いたこと、先生から聞いたことが入り混じりあう一次情報の集積であり、多分に「諸説あり」「ソースなし」の情報が書かれています

ただ、この記事は学術論考ではなく、不思議な言語を学ぶプロセスの共有と記録に過ぎません。ハイダグワイにはこんな不思議な言語があって、その言語を育んだ特異な自然・文化環境があるのだなということを感じていただけたら幸いです。

また、この記事は寛大に私を受け入れ、学ぶ機会を与えてくれているハイダグワイとハイダ族への最大の敬意をもって書かれていることを示しておきます。
Hereby I acknowledge my biggest respect for the air, earth, and water of Haida Gwaii and the Haida Nation for giving me an honorable opportunity to learn prestigious Haida Language.

タイトルは僕の尊敬するノンフィクション作家・高野秀行氏のエピソードより拝借しました。彼は早稲田大学探検部にいた頃、コンゴの山奥の湖に怪獣を探しにいくのですが、その際に現地住民の言語「リンガラ語」を勝手に調査して隊員向けに作ったテキストブックが「突撃リンガラ語入門」だったそうです。大好きなエピソードです。詳細は「幻獣ムベンベを追え」(高野秀行  集英社文庫)をどうぞ。

突然なに!?ハイダ語って?

そもそも、なぜ僕たちは日本語を使っているのでしょうか。
それは日本に生まれ、日本人として育てられたから、というのがひとつの答えになるでしょう。「日本語」という言語は、日本人として教育を受け、日本の文化を享受することと切っても切り離せない関係にあります。

同じように、日本から見れば太平洋の対岸に位置する小さな孤島に暮らすひとびとにも、独自の文化があり、言語があります。

ハイダ語は、カナダ太平洋岸の島ハイダグワイ(ハイダ語で『人々の島』)とアラスカ南部に住んでいる先住民ハイダ族の言語です。
一万年以上前からハイダグワイで暮らしてきたハイダ族は独特の文化と世界観を築き上げ、それとともにハイダ語も世界でも稀な「孤立した言語」(似通ったのない言語)として長い歴史を持っています。

しかし、現代のハイダ族は英語でコミュニケーションを取り、ハイダ語を流暢に話せるのはほんの一握り。データにもよりますが、ネイティブの話者は 10人ほどだと言われています。そんなハイダ語話者もほとんどが高齢のおじいちゃんおばあちゃん達で、ハイダ語は消滅の危機にある言語です。

なぜハイダ語はそんな危機的な状況にあるのか?その背景には一筋縄には語れない、悲しい歴史があります。

ハイダ語の数奇な運命

ハイダグワイの地にハイダ族が住み着いたのは、少なくとも1万5千年前と考えられています。ユーラシア大陸と北米大陸を隔てるベーリング海が凍りついた最終氷期、日本人と同じ血を引いたモンゴロイドたちは凍った海を渡り、新大陸に進出しました。彼らのとあるグループは北極海沿岸に残り、別のグループは北米大陸の内陸に腰を据え、また別のグループは太平洋岸に棲みつきました。

そんなモンゴロイドたちの中で、当時はまだ大陸と地続きだった現在のハイダグワイの地で生活を始めた人々がいました。彼らこそがハイダ族でした。

最終氷期でも氷床に覆われることがなく、豊かな降水量と温暖な気候に恵まれたハイダグワイの島々は、ハイダ族の生活・文化にとっての最高のゆりかご。トーテム・ポールやカヌーをはじめとした巨木文化、生物のモチーフと大胆な色使いが目を惹くアート。経済・政治・文化を司る祭典の場「ポットラッチ」、そしてこの世の創世主をワタリガラスを仰ぐ独特の神話体系が花開きました。

そんな特筆すべき文化と切っても切り離せないのは、彼ら独自の言語「ハイダ語」。文字を持たない言語です。
文字がないからこそ、歴史や知恵を継承する方法として神話やアートが発達したのか。それとも口頭で語られるストーリーやアートの技術の高さから、記録するための文字なんて必要なかったのか。どちらが鶏でどちらが卵なのかは現代の我々には想像もつきませんが、ハイダ語はハイダ族の文化、ひいてはアイデンティティと不可分の存在にあります。

ハイダ族がハイダグワイの地で数千年のあいだ、持続可能な文明を築き上げていました。好奇心旺盛で好戦的なハイダ族は周辺の多民族と交易をし、時には戦を交えたこともあったようです。順調に人口も増えていき、ハイダグワイの北に位置するプリンス・オブ・ウェールズ島(アラスカ)に移住するハイダ族もいました。

アラスカハイダはカイガニハイダとも呼ばれます

時は流れ、大航海時代に次いで植民地主義の時代。西洋人が海に繰り出し、西洋文明が世界の様相を完全に変えてしまいます。ハイダも例外ではありませんでした。

ある時、クイーンシャーロット島のハイダインディアンの話を耳にした。十九世紀終わり頃、ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘がこの島の村々を襲い、当時暮らしていた六〇〇〇人のハイダ族の七割が死に、生き残った人々も村を捨てて別の場所に移り住んでいったという。そして百年以上も前のハイダ族の村の跡が今もそのまま残っている…。

「森と氷河と鯨」星野道夫

19世紀後半にハイダグワイを襲った天然痘のエピデミックは、「コロナ禍」なんて生ぬるく見えてしまうほど悲惨なものでした。当時のヨーロッパではワクチン接種や感染者隔離などの公衆衛生は普及していたのにも関わらず、植民地政府はただハイダ族を強制移住させ、村を焼き払うのみ。結果として、七千人弱いたハイダ族の人口は数百人まで落ち込むことになりました。生き残ったハイダの人々も、元住んでいた村を捨て、北島のマセットとスキドゲートという二つの村が残っただけでした。

ハイダ族の人口が大幅に減少したことは、カナダ政府の植民地主義政策にとって大きな追い風。ハイダ族の経済・政治・文化的な支柱だったポットラッチは禁止され、ことばや伝統の継承が行き止まります

特に悪名高いのは、カナダ政府による先住民の子供に対するレジデンシャル・スクール(寄宿校)政策。「子供のうちにインディアンを浄化する」をモットーに、先住民の子供はレジデンシャル・スクールに強制「修学」させられたのです。親元から引き離され、見ず知らずの地に送られる子供達。これまでの世界観が徹底的に否定され、身体的・精神的・性的虐待が横行し、数が分かっているだけで六千人もの子供たちが命を落としたといわれています。生き残ったものたちは知恵もお金もコミュニティの支えもなく、深いトラウマを負って社会へ放り出されたのです。

ハイダ族の子供達はハイダ語を話すことを禁止され、英語を使って生活するようになります。そうしてレジデンシャル・スクールを出た人々の子供達も英語しか話せなくなり、どんどんハイダ語を使うことのできる世代が失われていきました。

ことばを取り戻せ!ハイダ語復興の取り組み

長く禁止されていたポットラッチがようやく再開された1960年代からハイダ文化復興の動きが始まり、ハイダ語を継承する取り組みも進んでいきます。

村の人々や外部の言語学者が高齢のハイダ語話者のことばを記録・録音し、アルファベットで当て字をした筆記方法が作られました。村営のハイダ語センターと大学とが提携した教育プログラムや辞書の編纂も。

ただ、やはり生活の場面でもっぱら使われるのは英語。ハイダ語の新規学習者は一定数いるものの、流暢に操ることのできるハイダ語話者が増えているとはいえません。年々ネイティブスピーカーの長老達の数は減り、消滅の危機にある言語という状況に変わりはありません。

実際、村のハイダ族の方々に僕がハイダ語の授業に通っていると伝えると、喜ばれると同時に「行きたいんだけれどあまり時間が取れなくてね」と決まり悪そうにされます。

ハイダ語の特徴 

①三つも方言がある

現在、ハイダグワイにハイダ族の村は2つあります。ハイダグワイ北島の南部に位置するスキディゲート村と、北部のマセット村(オールド・マセット)です。そして海を跨いだアラスカ南部にも数箇所、ハイダ族のコミュニティがあります。

それらと対応するように、ハイダ語にも大きく分けて三つの方言があります。スキディゲート村の南部ハイダ語(ハイダ・キル X̱aayda Kil)、マセット村の北部ハイダ語(ハード・キル X̱aad Kil)、そしてアラスカハイダ語です。

僕が住んでいるのはマセット村。北部ハイダ語の初級・中級、そして会話のコースがバンクーバーにあるサイモン・フレイザー大学との協働コースとして提供されています。もちろん受講費用はバンド(先住民の自治会)によってカバーされるため、ハイダ族でもそうでない人も無料で受講できます。

文法的にはほとんど同じで、発音や単語が少しばかり異なるのみ。そのため、勉強する際に他の方言の辞書や教科書を使うこともできます。

特にアラスカハイダ語はハイダグワイ北部からアラスカに移住したハイダ族の方言であるため、北部ハイダ語と非常に似ています。僕が受けている北部ハイダ語の授業では、アラスカハイダ語の辞書を使って調べ物をしています。

②文字を持たないということ

僕たちの身近にある言語には、当たり前ですが文字があります。日本語の読み書きにおいてはひらがな、カタカナ、漢字(ローマ字も)が使われます。中国語や韓国語も独自の文字を持ち、英語やスペイン語はアルファベットを(多少の変更はあれ)共通で使用する言語です。

ただ、世界には文字を持たない言語も存在します。ハイダ語もそのひとつ。「話す」「聞く」のコミュニケーションのための言語です。「文字がないこと」はこの言語をさまざまな点で特異なものにしています。

文字を持たない=テキストブックがないため、話し手によって大きく発音・単語も異なります。辞書の編纂にあたっても、「これはスティーブンおじいちゃんの言い方」などの注釈がつけられます。

太字が現代北部ハイダ語表記、括弧内は七十年代のアラスカハイダ語表記。ひとつにしてくれ

また、本来文字のない言語にアルファベットで当て字をしているため、表記が一定ではありません。なんとかこの文字を持たない言語を継承していくため、アルファベットで当て字をして辞書やテキストブックのつくる取り組みがなされています。ただ、時代や研究者によって表記は異なり、また調査が進むにつれ表記もアップデートされていきます。

日本語で「あ、明日から『た』の文字は使いませんから、そこんとこよろしくです」とはならないですもんね。不思議な感覚です。

③ニュアンスが命

まずひとつめ。文字のない言語だからこそ、極めて記述的な言語(descriptive language)です。細かなニュアンスやモノの形など、きわめて詳細に言及します。簡単に言えば、話の長い言語、ということです。

文法についてここで詳らかにするのは避けますが、例として挙げられるのはシェイプ・マーカーの存在。単語の後ろについて、その単語のすがたカタチを説明します。

日本語で言えば、
ケータイを買う。→ケータイという四角いものを買う。
ボールを投げる。→ボールという丸いものを投げる。
(太字がシェイプ・マーカー)

日本語的に考えると、意味は通りますが必要のない説明ですね。ただ文字のない言語であるハイダ語においては、正確に意味を伝えるために細かいニュアンスを大切にします。

④フィジカルなことば

また、発音も特徴的。口から喉の奥まで、時には顔全体をつかって発音を使い分けます。極めて稀な「咽頭音(いんとうおん)」という、喉に引っかかった魚の骨を吐き出すような音(痰を吐くような音)も使われます。

例えば、子音「K」については3種類あり、

K’ - 口の真ん中あたりから突発的に空気を出し、破裂音を生じさせる音「ック。」

喉の奥を締めて空気を出し、生じさせる音「ゥク。」

そしてそのふたつを組み合わせ、

Ḵ́ - 喉の奥を締めて突発的に空気を出し、強い破裂音を生じさせる音「ックッ!」

のような音もあります。口と顔を大きく使って使い分けるのです。

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いかがでしたでしょうか。ハイダ語、チャーミングな言語だとは思いませんか?
次回は発音、ハイダ語での数え方や文章の構造などについて纏めてみようかと思います。どうぞお付き合いください!

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