恩の返し方【ハイダグワイ移住週報#6】
9/5(火)
朝から夕方まで一日中料理。タロンの繋がりのあるリカバリー・グループがハイダグワイを訪れているらしく、夜のセッションのディナーを提供することになるという。18人分のディナーを用意するのは同居人にとっても初めてのことらしく、二人で役割分担して進める。
考えに考え抜いたメニューは以下の通り。
前菜:サーモンアボカド寿司、ごま油をかけてオーブンでこんがりと仕上げる
スープ:レンズ豆のスープ、チャパティと一緒に
メイン:鹿肉のスパイスカレー、ジャスミンライスと一緒に
デザート:桃のコンポート
夕方にはゲストルームに泊まりにきていたダンとバーブも手伝ってくれる。雨も上がり、川沿いにテーブルを並べて、クロスの上をレッドシダーの葉で飾りつける。焚き火にカレーの鍋をかけて準備万端、というタイミングで一行が到着。
ちなみにリカバリー・グループというのは薬物依存やトラウマなどの精神疾患を克服したいという人々の団体だ。日本ではあまり聞いたことはなかったが、薬物などの依存症の蔓延が進む欧米では珍しくはない。僕も映画の中で、依存症やトラウマに苦しむ人々が輪になって自分のことを吐露するシーンを見たことがあった。
今回はハイダグワイ対岸の本土にある港町、プリンス・ルパートからのグループだった。後から聞いたことによると、大きな港町ではドラッグ問題が深刻なのだとか。身寄りのない人やコミュニティを追われた人、仕事のない人が集まり、その結果精神疾患やドラッグ依存に陥ってしまうのだとか。事実、北米ではフェンタニルという合成麻薬の一種が破竹の勢いで蔓延しており、その影響により平均寿命も低下を始めている。ルパートも、そんな薬物が猛威を振るう町の一つ。
焚き火を囲んで料理を提供していく。寿司もカレーもスープも好評。ひたすらチャパティを伸ばして焼き続けた。
食事が落ち着くと、おもむろに一人の老人が立ち上がって話しはじめた。「ここは私の、ハイダの祖国。あなたたちは定めのもと、我が土地より引き寄せられてここにいるのです」ハイダ族のエルダーの一人、ソロンリーはそう皆を迎え入れた。彼はゲストスピーカーとしてこのグループに招かれているようだった。
アート、歌、神話は宗教なんかではない。私たちの在り方そのものなのだ——彼はワタリガラスの柄のドラムを大切そうに持ちながらそう語ると、ゆっくりとしたリズムでドラムを叩き、歌い出す。彼が作った『ブラック・ベアのヒーリング・ソング』なのだという。彼の名前「ソロンリー」はハイダ語で「歌の護り人」という意味を持つ。ハイダ族のなかでは家族ごとに職業が決まっていた。ある家系は歴史家、ある家系は漁師、ある家系は彫刻家というように、彼は儀式で歌われる歌を作るソングライターの家系に生まれた。
「その昔、太平洋岸の各部族のチーフ(族長)たちはワシントン州あたりで会合を開いた。そこである部族が披露したヒーリング・ソングに、ハイダのチーフは度肝を抜かれたのだ」ソロンリーは『ブラック・ベアのヒーリング・ソング』のストーリーをぼそぼそと話し始める。「ブラック・ベアを崇めるそのヒーリングソングを歌いながら、彼らは大きな石を清めていた。その石は不思議な力を宿し、どんな怪我も病も治したのだという。チーフはハイダグワイに帰ってくるやいなや、僕にクマのヒーリングソングを作ってくれ、と頼んできたのだ」
彼は森の中で21日間を過ごし、この『ブラック・ベアのヒーリング・ソング』を書き上げた。初めてクランの会合で発表した際、焚き火がリズムと共に呼吸するかのように揺らぎ、人々は息を呑んでそれを見守っていたのだとか。ドラムの単調なリズムに、発声で大きな抑揚をつけて彼は歌う。こう日本語に起こしてみると、あたかもファンタジー。それでも、ハイダ語独特の上半身全体を使う発音と美しい歌声には、呪術的な力の存在を信じざるを得ない。
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全員が食事を終え、焚き火の周りに輪を作る。僕もキャンプ椅子を広げて中に入れてもらう。ひとりがイーグルの羽を片手に、おもむろに語りだす。場に流れる空気が音も立てずに一変する。セッションが始まったんだ、と直感する。
ここからはショッキングな話の連続だった。何を隠そう、グループの九割が先住民。「八歳でいとこから性的暴行を受けた。十四歳でお酒とドラッグに走るしかなかった」「二十代のことなんてほとんど覚えていない」「僕の人生は嘘でしかなかったんだ」
先住民のコミュニティは悲惨だよ、と会う人会う人にそう教えられた。本でも映画でも、植民地主義が残したトラウマの連鎖に苦しむファースト・ネーションの人々が描かれていた。そんな事前知識が全て吹き飛んでしまうような、ひとりひとりの独白。百聞は一見にしかずとはまさにその通り。実際に人の口から物事を聞くことがいかに力強いか、そしていかにこの国の負の歴史が今でも濃い影を落としているかを身に染みて感じる。
「子どもたちに、自分がされたことはしたくないし、自分が歩んできた道を進ませたくはないんだ」ひとりは言葉に詰まる。隣の人が背中を支え、彼はようやく続ける。僕の家庭のトラウマの連鎖は、絶対に僕で終わりにしたい。もうすでに遅いかもしれないけれど——
自分の番が回ってくる。僕が自分のトラウマの代わりになぜハイダグワイに来たかを語ると、彼らは真剣に聞いてくれた。「ようこそ、カナダ——いや、ハイダグワイへ。いい選択だね」焚き火の火の粉を目で追うと、空には満天の星空が広がっていた。いつもは心躍る光景だが、今日はひとつひとつの星々が暗闇に迷っているようで、なんだか寂しく見えた。彼らの人生が少しでも好転することを、祈らずにはいられなかった。
9/6(水)
朝日が気温をぐんと上げ、立ち込めていた霧が少しずつ晴れてゆく。村の船着場には多くのタグボートが泊まっている。コンクリ要員で手伝っていた建設現場での仕事も今日が最後。ここのところ雨が続いていたが、今朝は気持ちよく晴れている。
肉体労働と連日のサーフィン、イベント準備などが立て込んでめまぐるしい一週間だった。明日からは同居人が本土に一週間ほど戻るらしく、自分もオフ。
フィッシングライセンスを買いにいく。カナダではどこで釣りをしようと、ライセンスが必要である。ビジターライセンス(BC州外の人向け)はレジデンスライセンス(BC州居住者)の二倍以上するので、BC州運転免許を手に入れるまで買わずにいた。ついに淡水、海水両方でのフィッシングライセンスを手に入れた。来年三月末までの1シーズン分で100ドル弱。たくさん釣って元を取る。
9/7(木)
僕のカナダにおけるカヤックの師匠、洋二郎さんがマセットに遊びに来た。ハイダグワイ南部、ホットスプリングアイランドまでの往復10日間のシーカヤックの旅から町に帰ってきたばかり。七月にバンクーバーの近くでカヤックキャンプをして以来にお会いする。一緒にサーモン釣りに行こう、と話していたので張り切って釣りライセンスとロッドを手に入れた。
ふたりのキャンプ地に着いた途端、洋二郎さんはとても嬉しそうにカヤックのアドバイスをしてくれる。「ほんと会った途端、カヤック講義始めるよね」と美穂さんは苦笑していた。サラルベリーのパンケーキを食べながら、ふたりのハイダグワイでの旅や僕のマセットでの生活の話に花を咲かせる。
朝からふたりは僕の家の近くの川で二匹もコーホー・サーモン(銀鮭)を釣り上げたのだとか。一度家に来てもらって晩御飯用にサーモンを捌く。今後数ヶ月、死ぬほどサーモンを捌くだろうから、ということで捌き方を教えてもらう。明日のサーモン丼に使う切り身と筋子は冷凍し、マセットの町に向かう。
ワーホリを使ってカナダに来ることを、そしてマセットに住むことを提案してくれたのも洋二郎さんだった。今年の二月に写真家の石川直樹さんにハイダグワイ行きのことを相談しにいくと、こいつを一人で行かせたらまずいと思われたのだろうか、「現地でカヤックガイドしてたことのある日本人の友人がいるから、連絡してみなよ」ととあるカナダ在住のカヤッカーの名前を教えてもらった。
石川さんに教えてもらった名前を元になんとか連絡先を見つけ出し、メールを送ったのが三月の頭頃だっただろうか。その時から今に至るまで、カヤックや外遊びのこと、カナダで生活する上での情報など、さまざまな面でアドバイスを授けてくれるのが洋二郎さんだ。パートナーの美穂さんとバンクーバーから数時間北に走った山の麓に住んでいる。
後から聞いたことには、実際に会うまでは僕が何を考えているか見当もつかなかったらしい。「カヤックがしたいなら今すぐに来いって思ったよ」彼はカヤックがしたいという一心で東京の大学を卒業した後にカナダにやってきた。アラスカからバンクーバーを漕破し、カヤックガイドとしてカナダや南極などでのツアーをサポートしたりしつつ、さまざまな職を渡り歩いて彼は移民のチケットを手に入れた。
夕方には満ち潮を狙ってサンガン川へ。釣竿にリールをセットし、ピンクのルアーを慣れない手つきで糸先に結びつける。ルアーを垂らした釣り竿を持つと、幼い頃のあの興奮が蘇る。
祖父は釣りが大好きだった。熊本の人吉にあった祖父の家の前には清流・球磨川が流れていて、夏休みは延べ竿で小魚を釣った。竿が震え、糸の先にいのちを感じる。外さないように慎重に釣り上げた魚は、フライにして頂いた。その小魚が当時の自分には愛おしく、それでいてとてつもなく美味しかったことを覚えている。僕が外で遊ぶことが好きなのは、小さい頃に魚と戯れたところに原点があるのかもしれない。球磨川って文字も響きも本当に素敵な川ですね。いつかカヤックで旅したいな。
サーモンは目の前で飛び跳ねているのに、二時間粘って五匹大きいハゼがつれただけ。暗くなる前に切り上げる。夜には家の裏の河原で焚き火をしてサーモンを炙り焼きにし、塩だけでいただく。
炊き立ての白ごはんも一緒に。頬肉もバタリーで、とうもろこしも完熟で、地球に感謝せざるを得ないレベルのディナー。サウナに三人で入って今日も満腹熟睡である。明日は朝から釣り。楽しくてにこにこしながら寝る。
9/8(金)
朝六時にキッチンに降りると、洋二郎さんはすでに朝食の準備をしていた。昨日のサーモンのフレークをつかったケサディージャ。雨模様なのでレインジャケットを羽織り、またフィールドへ。
朝食を済ませた後は、昨晩と同じ場所で竿を繰り出す。目の前ではたくさんコーホーが跳ねているのにヒットもなし。後から来た男性たちは、ものの三十分で手際良くサーモンを釣り上げていく。マセットに駐在している警察官のふたりはずっとしかめっ面で川を睨んでいる僕たちを可哀想と思ったのか、親切に釣り糸と筋子を分けてくれた。カナダ人はいくらを食べない。もったいない。
洋二郎さんは段取りの男である。「僕が筋子を醤油漬けにするから、上村くんは寿司米をつくって、美穂ちゃんはお茶を沸かして」家に着く前にちゃんと指示が飛んでくる。カヤックの時もキャンプ地がまだ見えてもないのに上陸順、ハッチ解体、荷物運びとタープ設置の人員配置が行われた。
今日のランチはコーホー・サーモン(銀鮭)の親子丼。バターかと思うようなイクラはあくまで濃厚で、口の中にこってりとした甘みと旨みが広がる。日本人として生まれ、日本人としての味覚を持っていて良かったと思う瞬間である。
ランチの後はナヴィゲーション講習。ハイダグワイを取り巻く海や風の読み方や、局所的に気をつけるべきポイントなどの応用編。裏では美穂さんがサラルベリージャムを煮ていた。
「受け取った恩は返せないから、その分次の世代に何かを託せるといいよね」洋二郎さんは十九歳で初めてカナダに、ハイダグワイにやってきた。現地で出会ったとあるカヤッカーは若い彼を見て危なっかしいと思ったのか、彼をツーリングに誘ったのだという。数日間の旅で、そのカヤッカーからカナダでのカヤックの作法を叩き込まれたのだとか。「その人の名前も分からないし連絡の取りようもないから、若者が訪ねてきた時にはできるだけ力になろうと思っている」と洋二郎さんは語る。それが、僕のできる彼への恩返しだと思うから——
今年はたくさんのかっこいい大人に会いに行った。多くは喜んで知恵を、食事を、寝床を分け与えてくれ、僕の話に耳を傾け、これからのことを鼓舞してくれた。そのような大人たちのもとを巡礼することができたのは、僕のささやかな人生における幸運の一つだ。いつか僕のもとにも、若者が訪ねてきてくれる時が来るのだろうか。若い頃の自分のような人間が門を叩いた時、あたたかい食事を与え、知を授け、彼らの道を少しでも照らすことのできる人間でありたいと思う。
9/9(土)
午後にはスキディゲートに行く用事があり、途中のティレル川で数時間ルアーを投げる。ここでも釣れない。コーホーはこれでもかと跳ねているのに。煽られているような気分になる。
フェリーターミナルで本土から帰ってきた同居人をピックアップし、簡単な夜ご飯を済ませた後にまた近くのサンガン川へ。この三日間で四回目。今度こそコーホーを一匹でも釣り上げたい。日の入りは20:18、だいぶ早くなってきた。ゆっくりと満ちていく川は鏡のように穏やかで、ときどき飛び跳ねるコーホーが波紋を描く。息を呑むほど美しい日の入りだが、鮭は釣りたいし、蚊は顔にたかって鬱陶しいしでそれどころではない。
洋二郎さんが二匹サーモンを釣ったという岩の上で辛抱強くキャストしていると、岸から五メートルくらいの場所でゴツンと竿が引かれた。大きな魚影が見える。これまでに体感したことのない力強いファイト。間違いなくコーホー・サーモンだ。
ドラグが唸る。あくまでフックを外さないように走らせる。子孫を残すべく生まれ育った川を命がけで遡上しにきただけあって、彼らもなんとか針を外そうと頭を縦横無尽に振り回す。とはいえ、こちらも食料がかかっているので情けはかけられない。おそらくは一、二分ほどのファイトだっただろうが、二十分ほどに感じさせる時間だった。
浜に上がった魚を石で打って気絶させる。うっすらとピンク色の乗った銀模様が美しい。彼らの命がけの遡上が、ハイダグワイの窒素循環の根本をなし、豊かな森林と海洋の生態系を構築し、ハイダの文明を開花させる要因の一つとなった。この島を巡る物語の主人公のひとりに、ようやく対面できてとても嬉しい。
9/10(日)
早朝から立ち込めていた霧はじわじわと気温が上がるにつれて散ってゆく。犬二匹をつれて快調に海岸のトレイルを走った後は履歴書とカバーレター作成作業。やはり博物館の仕事にアプライしてみようかと思う。片道120kmの通勤はなかなか厳しいかもしれないが、間違いなく自分がやるべき・働くべきなのはあの施設だろう。そのために車も買ったんだし。兎にも角にも、そろそろ現金収入が必要だ。募った資金も底が見え始めている。
夕方にかけて天気が崩れ、南西の風が強く吹く。ヘケイト海峡側はひどい状況に違いない。幸い北部はそこまででもなく、夜ご飯前にまたサーモン釣りに行く。幸先よく三投目には強いヒットがあり、コーホーの姿もそこまで見えたのにも関わらず、ルアーがどこかの木に引っかかったのかバラしてしまった。無念。
9/11(月)
午後にいつもとは違うポイントへ。今日もコーホーがせわしなく跳ねている。大雨の中ひたすらロッドを振り続け、二つのヒットを両方ともちゃんとモノにして、今日は二匹の釣果。ずぶ濡れになる甲斐もあったというものだ。大きい釣果は嬉しい反面、捌いて切り身にしてちゃんとパックして冷凍しようと思えば一匹30分はかかってしまう。効率化して食料確保に努めたい。
やりたいことが多すぎる。本も読みたいし、カヤックもしたいし、釣りもハンティングもしたいし、仕事もしたいし、文章も書きたい。こう今書いているのも、「1日に数パラグラフ分の文章は必ず書く」と決めているから。これまでのところいいルーティンになっている。
気がつけば九月も半ばに差し掛かろうとしている。
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🏝️カナダ最果ての地、ハイダグワイに移住しました。
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