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"2分の1の魔法"感想・考察 -反対を愛すること


ディズニー映画が大好きだ。

アクションとユーモアに溢れていて観てて飽きるヒマが無いし、様々な形の愛が語られていて絶対に泣ける。そして、「夢を叶えること」「ありのままの自分を愛すること」など、これぞディズニー!なメッセージが詰まっている。

「アナと雪の女王」を観てからどハマりして、「ズートピア」「モアナ」「リメンバーミー」「シュガーラッシュオンライン」「アナ雪2」、どれも最高に面白かった。特にディズニー&ピクサーは最近のお気に入りだ。

今回の「2分の1の魔法」もディズニー&ピクサーの映画。先ほどレイトショーで観てきて、期待に違わず面白かった。

鑑賞熱が冷めやらぬうちに、映画の考察をしていこうと思う。

———以下ネタバレあり———


あらすじ

主人公は内気な少年"イアン"と、その兄の"バーリー"。二人の父はイアンが生まれる前に病気で亡くなってしまった。イアンの16歳の誕生日に、父の下半身だけが魔法で復活する。残りの上半身を復活させるため、冒険の旅に出て兄弟が成長していくお話。


内気な自分を変えたい"イアン"

イアンは内気で自分に自信が無い少年だ。16歳の誕生日を機に新しい自分になろうとするが、友達を誕生日パーティーに誘うこともできず、変わらない自分に落胆する。

イアンは自分の父親にあった事がなく、心に父親の穴が空いている。男性性の不在と言ってもいいかもしれない。

兄バーリーと、父親の半身との冒険を通して、イアンは自身の男性性を取り戻していくことになる。


やんちゃな問題児"バーリー"

バーリーはイアンと正反対の破天荒な性格だ。20歳にして大学にも行かず(映画の中で大人と言っていたので多分20歳くらい)、自分の家でボードゲームをしたり、デカいバンを改造して乗り回してる。

ちなみに、このバーリーが乗り回してるダッジバンは、スクールオブロックのデューイのバンのオマージュと思われる。

落ち着きがなくいつまでも反抗期でいるようなバーリーの性格も、スクールオブロックのデューイから来ているのかもしれない。

そんなバーリーも父親のことで心にトラウマを抱えており、今回の旅でトラウマが解消されていく。


この映画はオマージュだらけ

兄バーリーは性格から乗ってる車からスクールオブロックのオマージュだったが、他にもオマージュが出てくる。拾いきれてないものもたくさんあると思うので教えていただけると嬉しいですm(_ _)m

(母ローレルとマンティコア"コーリー"が大剣を買うシーン、お店と蛇女はスターウォーズっぽいなーと思ったんですが、具体的なシーンが浮かばず)


天使にラブ・ソングを

まず、兄弟が宝の地図を手に入れるレストランのオーナーのマンティコア"コーリー"

その姿に似合わず穏やかなレストランを経営していたが、兄弟の登場によって、冒険好きだった以前の姿を思い出し、レストランを炎で焼き尽くしてしまう。

このマンティコアのコーリーは絶対"天使にラブ・ソングを"の"デロリス"のオマージュだと思う。目元口元がそっくりだ。

本来の自分の姿を解放して冒険へ向かう過程も、デロリスが教会で歌の力を発揮する構図と全く同じである。

(追記:マンティコア"コーリー"の声優さんの浦嶋りんこさん、天使にラブ・ソングをの舞台やってた。でもデロリスではなかった笑。)


質問には質問で返せ

兄弟がバンで高速道路を爆走していたところを警察に見つかってしまう。その時、魔法でブロンコ巡査に変身するのだが、警官に質問攻めにされる。

その時、兄バーリーが弟イアンにアドバイスするセリフが「質問には質問で返せ」

この下りは"ズートピア"のオマージュだ。ジュディが会見前にニックにされるアドバイスと同じ。そして、ジュディが肉食動物に対する安全性を問われた際、自身の肉食動物への偏見が露呈してしまう下りも全く同じなのだ。

この警官とのやりとりで、イアンは兄バーリーのことを厄介者だと思っていた事が露呈してしまう。

警官のシーンの前、バンがガス欠になる下りで、イアンが魔法でバーリーを小人化してしまうが、実はその時から魔法にケチをつけてくるバーリーのことを鬱陶しく思っていた。

父親とのダンスで一旦は和やかな雰囲気になるが、この時点ではイアンの兄に対するわだかまりは解消していない。

自身の男性性を認めることができないので、破天荒な兄のことも認める事ができなかったのだ。


見えない橋を渡ること

父親を復活させる"不死鳥の石"を探す旅の途中、イアンが魔法で見えない橋を渡るシーンがある。ここに二人の関係性がよく表れていると思う。

イアンは魔法で崖の上を浮きながら歩いていくのだが、ちょっと油断すれば崖に落ちる状況だ。崖に落ちたらバーリーが助けられるように命綱を付けていたのだが、崖の半分で命綱が解けてしまう。

命綱が解けてもなお、兄バーリーはイアンを信じて、命綱が付いてるからそのまま行けと言う。

しかし、イアンは最後の一歩で後ろを振り返り、命綱が解けていることに気付いて魔法が解けてしまう。

間一髪、崖につかまる事ができたが、ここでもまたイアンはバーリーへの不信感を募らせてしまう。

そして、イアンが兄の助けに気付くことなく、無意識に兄に依存していることも示唆している。

それでも、この見えない橋を渡るシーンは、魔法の中で一番感動した。


天国への階段

橋を渡ってもなお警察に終われるが、イアンは足止めのための雷の魔法を唱える事ができない。

そこでバーリーは自身のバンを犠牲に、岩に突っ込ませることで足止めに成功する。

この時、バンが犠牲になるシーンの曲は"Led Zeppelin"の"天国への階段"のオマージュに聴こえた。…ちょっと無理やりかも。

スクールオブロックではバンの中で"移民の歌"が流れるが、そのバンの追悼と言う事なんだろう。

ここでもイアンは兄バーリーに助けられている。


現実逃避した先の現実

イアンとバーリーはその後、洞窟の仕掛けを乗り越え、ようやく不死鳥の石の在り処まで辿り着く。

が、洞窟を抜けた先はイアンが通う学校だった。

自分を変えてくれるかもしれない魔法の石なんて無くて、ちゃんと現実に向き合いなさいって意味の"学校"という印象だ。

ここでもイアンは兄バーリーのせいにする。兄のせいで不死鳥の石の在り処に辿り着けなかった。お前のことなんかもう知らん、と。

日が沈みゆく海沿いの崖で、父親の半身と二人で座っている時、イアンは自身のメモを見て在る事に気付く。


イアンの呪い

父親と会えたらやりたかったことリスト、"キャッチボールをする"とか"人生の思い出を分かち合う"とかが、兄バーリーとの思い出で全て完了していたのだ。

芋づる式に、イアンが小さい頃の記憶を思い出す。プールに怖くて飛び込めなかった時も、自転車に乗れなかった時も、兄バーリーが背中を押して手伝ってくれた。

厄介者だと思っていたバーリーは、ずっと自分のことを助けてくれていた事に気付く。感動のシーンですね、バーリーマジいい奴。

これまでイアンは、自身のバーリー的な部分を認めることができなかったのだが、バーリーを認めることで自身の男性性を認める事ができた。


母は強し

そうこうしている間に、学校の側にあった建物に魔法の石があることを発見するバーリー。不死鳥の石を手に入れると、呪いで学校がドラゴンに姿を変え兄弟を襲い出す。

学校の壁でできたポップな顔のドラゴンは、イアンの恐怖心の象徴なのだろう。

イアンが唱える事ができる雷の魔法の使用条件は3つ

・心に火を灯すこと
・自分を信じること
・集中すること

自分を信じる事ができるようになったイアンは、兄がいなくても雷の魔法を使う事ができ、弱点が露出したドラゴンに、マンティコアに乗って登場した母親がトドメを刺す。母は強し。


バーリーの呪い

ドラゴンを倒して無事に父親の上半身も復活するが、ドラゴンとの戦いで瓦礫に囲まれたイアンは父親と再会することができなかった。

再会できたのは兄のバーリーだけ。バーリーのトラウマが解消するシーンだ。

バーリーは父親が病に倒れ死を前にした時、たくさんの管に繋がれた父親の姿を見て、怖くて別れの言葉を告げることができなかった。

そのことがトラウマで"もう何があっても怖がらない"と固く誓っていたのだ。

この呪いのために、自分の弱さを認めることができずに、いつまでも反抗的な態度を取り続けていたのだった。

父親とのシーンはアップで映ることはなく、何が語られたかはわからないが、無事にお別れの挨拶ができ、バーリーの呪いは解けたのだろう。


なりたい自分は自分の中に

こうして二人の呪いは解けて、新しい生活を送ることができるようになった。

結局この映画では、父親が復活して言葉を発するシーンは1つも無かったのだが、このようにストーリーを進行させるための動機付けとなるものを、マクガフィンと呼ぶらしい。

イアンは魔法使いとしての才能を開花させ、友達にも認められるようになった。

母親の恋人であるブロンコ巡査の、「ビシバシやってるか、それともダラダラやってるか」との質問にも「ダラダラやってるよ」と答えることができるようになった。

16歳の誕生日を迎えた際に、新しい自分になるためのチェックリストのうちの1つに"言いたいことが言えるようになる"があり、無意識のうちにこれも達成することができた。

イアンは、自信満々で力強い理想の男性になったというよりは、今までの内気な自分を認めることができた、という感じですね。


ラストシーン

ラストシーンでは父の遺影と、母のローレルとバーリー、イアン3人の家族写真が映し出される。

この写真を見ると、バーリーは母親似で、イアンは父親似だ。

破天荒なバーリーと、大剣を振り回しドラゴンに止めを刺す母親は確かに顔も性格もそっくりだった。

また、生前は会計士で若い頃は色々悩むことがあったという父親と、数学の成績が良く内気な自分に悩むイアンも、きっとそっくりなのだろう。

イアンもいつか下手くそなダンスで楽しめるようになるだろうか。


"2分の1"の魔法とは

この映画のタイトルになっている2分の1の魔法とはなんなのか。

もちろん下半身だけ登場する父親が2分の1なのは間違いないが、それ以外にもたくさん2分の1が登場している。

イアンとバーリー、兄弟の2分の1。イアンの中の父親的要素、バーリーの中の母親的要素としての2分の1。父親は亡くなってしまったが母親がいる2分の1。

ケンタウロスのブロンコ巡査も、最後は自分の2分の1である馬の下半身の能力を開花させる。

陰と陽、男と女、上半身と下半身?、2分の1の反対側を認めることで、自分と相手を愛することができる、というのがこの映画のメッセージだと感じた。これは魔法である。

ラストシーン前、イアンがバンに描く絵に、バーリーは戦士として、イアンは魔法使いとして描かれている。

外向的なバーリーは魔法は使えないし、内向的なイアンは破天荒な振る舞いはできない。しかし、今回の旅で、自分自身の弱さ(強さ)と向き合い認めることで、本来の自分の良さを発揮できるようになったのだ。


魔法とは何か

映画のイントロで、「昔は魔法が使われていたが、便利になった世の中では魔法が使われることが無くなった」と語られている。

ここでもう一度魔法の使用条件を確認する。

・心に火を灯すこと
・自分を信じること
・集中すること

つまり、想像力を働かせて夢を描き、自分を信じて、夢中になってやる、ということだ。ディズニー映画に通底するメッセージだと思う。

魔法とは、何も雷を打つとか物体を浮かせるとかでは無くて、想像力とか信念とか、人間が持つ意識の力を働かせることだ。


まとめと感想

レイトショーでこの映画を見た後、勢いでスクールオブロックを観た後に書いてるので、とにかく忘れないうちに思いつくままに書いた。

自分は完全にイアンに自己投影しながらこの映画を観てしまった。なかなかいつでも言いたいことを言うのは難しい。

それと、イアンを見ながらパーカーさんぽいなとも思っていた。

イアンとパーカーさんみたいに、自分を丸ごと受け入れて、さらけ出せるようになれればと思うばかりだ。

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