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鼻歌交じりでキッチンに立ちたいの。(食欲と食事と料理について)

食事をすること、ましてや食事をつくることはとても難しいと感じる。そもそも自分の食欲というものが正しく発動しているのかよくわからず、食欲というのは本来は本能の一つであるはずだが現代では純粋な本能だけで構成されているとも言えず、食欲とそれ以外の要因を重ね合わせて自分に適した食事を選ぶのに苦労し、ましてや自分の食欲と他人の食欲とそれ以外の数多の要因を踏まえて用意しなければならない家族の食卓となると複雑極まりなく、キッチンでの格闘のあとはほとんどの場合敗北感に打ちひしがれる。

まず、食欲を素直に楽しむことができないのにはいろいろな要因がある。
ひとつめは6歳から罹患している慢性腎炎による食事制限が課せられていたこと。当初は塩分をなるべく控えるように言われ、最近になると医療の常識が変わり塩分よりたんぱく質を控えるように言われている。成分表示のある加工食品を買うときは必ず塩分とたんぱく質の量をチェックして多すぎるものはアウト。作るときは塩分を控えて調理、食べるときはスープを残し多すぎる肉や魚は家族に食べてもらう。スナック菓子を袋ごと食べるなんて有り得ないし流行りの糖質制限なんてのも、もってのほかだ。

もうひとつはダイエット指向。みんなちがってみんないい、と思えるようになる以前に刷り込まれた世間的な常識の枠にずっととらわれたまま、カロリー過多を気にして生きている。小学生の頃発育が良くて高学年になると同級生に比べてむっちり感があり、ぜんぜん太ってなかったのにもかかわらず子どもらしく華奢な同級生が羨ましく中学入学あたりから少なめに食べるのが癖になった。極端な少食は中学の3年間くらいで脱したけれど、いまでも食べすぎると小さな罪悪感を感じるので、食べたいけどこれを食べると食べすぎかなと控えることは日常だ。

更に最近は、今の食欲は本能に則しているものなのか、現代社会が生む妄想としての食欲なのかと考えてしまう。
たとえばうちの夫はテレビのグルメ番組が大好きで、うわっ美味そう、これ食べたいな〜を連発する。ファーストフードやファミレスのCMが流れればその度に、ナゲット食べたくなった!焼肉ガッツリ食べたいな〜、等々。
夕食を食べながら、あるいは満腹食べた後にその調子で、それって食欲じゃないよね?妄想だよね??
これほど極端ではないけれど自分にも似たようなことがあり、おしゃれなカフェの手の込んだケーキと丁寧なハンドドリップで淹れた珈琲の写真を見て美味しそう〜ご褒美に食べに行きた〜い♡などと思うのはあきらかに食欲ではなくて妄想、だいたいご褒美にケーキを食べるって何の連想ゲームなんだ??

なにか食べたいなと考えると同時にこれらの因子が頭の中でぐるぐると渦巻くので、何が食べたいのか何を食べるべきなのかわからなくなる。食べたい→食べるまでに右往左往する自分が面倒くさいし醜さも感じる。

さらに、自分が主婦として台所を任されていると料理についても悩む。何を作れば正解なのか。家族の喜ぶ食卓を作るのが大きなミッションではあるけれど、栄養バランスのこと、カロリーのこと、家計のこと、農薬のことや地産地消のこと、肉や魚を調理する度に感じる罪悪感(食べるときより調理するときのほうが殺してる感が生々しいから)などなど、はたまた娘の味覚形成に与える影響や、何でも好きなものばかり食べさせたら性格形成にも影響するかもとか、考え出すと何を作ればいいのか、どんな食材を買えばいいのかさえもわからなくなる。

カレー、シチュー、ハンバーグ、餃子などわかりやすく娘と夫が喜ぶ記号を食卓に並べる日は楽ちん。でも同じものばかりもね、とレシピ検索したりするとドツボにハマる。時短、簡単と銘打って「なになに風」料理が並ぶ。簡単な手間で本格的なレストランみたいな料理?なになに風の見た目、なになに風の味が所狭しと並ぶ食卓って魅力的?文句は言われなさそうだし安心だけれど。
個人的には根源的な人間的な食卓として土井善晴さんの「一汁一菜のすすめ」にひどく共感するのだけれど、現代人丸出しのうちの人たちにはそのまま認めてもらうのは難しく。

つらつらと考えながら今日もしかめっ面でキッチンに立つわけです。ほんとうは、鼻歌交じりに料理を作ったり食べたりしたいのです。


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