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『いきなりはじめる仏教生活』は、生きづらさを抱える現代人にとっての最良の仏教入門書。

先日、『ブッダの智恵で、脳ストレスを減らす生き方』についてお知らせしましたが、この電子書籍を執筆しているあいだお世話になったのは、『いきなりはじめる仏教生活』(釈徹宗 著 新潮文庫、単行本はバジリコ)です。

特に「四聖諦」について説明する際に、

「〈四聖諦〉とは、「なぜ苦悩は生じるのか」「どうすれば苦悩を解体できるのか」という仏教の根幹を、因果律の構図で説明したものです」

という一節を引用させていただきましたが、「四聖諦」の説明はこの『いきなりはじめる仏教生活』が最も分かりやすかった記憶があります。


実はこの『いきなりはじめる仏教生活』は、今よりも生きづらさを抱えていた30歳の時、ぐるぐると心や魂とは何かとさまよったあげく、最終的に瞬間を生きるしかないと決意し、仏教や瞑想に関心を持ち始め、手に取ってみた一冊なのです。

いまはブッダ(お釈迦さま)の教えを正しく実践すれば、心の悩み苦しみを減らしていくことができると確信していますが、「仏教」=「宗教」であると思い込んでいる限り、最初からおよそ2500年前のブッダ(お釈迦様)の教えと現代社会に生きる私たちをダイレクトに結びつけて語られたとしても、ブッダの教えがなぜいま重要になってくるのか、理解するのは難しいかもしれない、というのが正直なところです。

(もし私が20代前半に、第三者からブッダの教えや原始仏教の話をされたとしても、宗教の勧誘だと思い、敬遠していたかもしれません。)

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しかし僧侶であり宗教学者である釈徹宗氏が書いた『いきなりはじめる仏教生活』を2011年に文庫化された際に手に取ってみたとき、この本は現代人にとっての最良の仏教入門書であると感じたものでした。

というのは、本書においては、

 二十世紀終盤になって、近代の行き詰まりを克服しようとする動きが顕著になってきました。近代社会がもつ構造的な問題点が目に見えて噴出してきたからです。人間の欲望を推進力として突っ走った結果生み出された環境破壊が、近代というシステムを根本的に考え直す契機となったことは、みなさんもよくご存知の通りです。(24頁)

というように、「近代」の話題から始まるからです。また、

そもそも、近代という社会システムは、基本的に欲望を煽る構造をもっています。なぜなら「進歩」や「効率」という価値基底によって成立しているからです。(25頁)

としたうえで、

 煽られることによって〝自分というもの〟は肥大化する、それは誰しも容易にイメージできます。でも仏教では、そもそも「自覚的に調えない限り、放っておいたら〝自分というもの〟は肥大化し、暴れる」と考えます。そして、〝自分というもの〟が肥大することと、生きる上での苦悩が肥大化することは比例する、と説いています。仏教は、「苦はどのようにして生起するかというメカニズムを自覚することによって苦を克服する」というなかなか興味深い手法を実践する「宗教」です。

(33‐34頁)

と述べられています。


つまり、

「仏教は、「苦はどのようにして生起するかというメカニズムを自覚することによって苦を克服する」というなかなか興味深い手法を実践する「宗教」です」

とあるように、近代という生きづらさから脱却するためには、「仏教」の世界観から世界を眺めるという戦略が有効であるように思うのです。

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具体的には、弟子のマールンキヤの「霊魂は不滅か、不滅でないのか?」といった形而上学的質問に対して、ブッダが「まず、先に、毒矢を抜け」と答えた、「戦略的判断中止」「思考停止して宗教実践を選ぶ態度」のことです。

ちなみに「進歩」「発展」「効率」「成長」「確固たる自我」などは、どれも近代社会において前提とされているものであるように思います。

そして、今に始まったことではないかもしれませんが、そのような前提を疑わずにすがり続けているかぎり、社会のひずみは大きくなり、息苦しさや生きづらさは増すばかりであるように感じられます。


では、はたして「仏教」の世界観によって「近代」という枠組みを揺さぶるとはどういうことなのか? そのことを考えるうえで、特に本書の以下のくだりが参考になるように思います。


 仏教では、「すべてのものはさまざまな条件やきっかけで成立している。すべては独立して存在するのではなく、お互いにつながりあって一時的に成立している」と考えます。仏教のベース、〈縁起〉です。つまり、絶対なる神や不滅の霊魂などというものは存在しないことになります。仏教が「神なき『宗教』」といわれるゆえんです。

 そして、「この現象の原因は何か」を見抜く目を養うトレーニングをするわけです。たとえば、「私が現在直面している苦しみ」の原因をさぐります。さぐってみると、苦しみの原因は「自分の都合」だったりします。それならば、都合を小さくすると苦も小さくなります。

(127頁)
仏教を生活に活用する場合、「こうあるべき」という枠組みをとにかく一度はずしてみること、ここが肝要になります。今まで重要だと思っていたもの、大切だと考えていたものに懐疑の目を向けます。いわゆる「相対化のプロセス」ですね。

 自分自身やこの世界を相対化するプロセスを経て、私たちはもう一度、この世界を生き抜く軸を再形成するのです。ここがキモです。ばくぜんと、しかも結構強固になってしまっている枠を点検し、いったんはずして、もう一度自分の立ち位置を選び取るのです。そして、今度はできるだけ枠組みが強くならないような生活をする。これが出世の智慧です。

(142頁)


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「近代」という枠組みを前提としているがゆえに、「自分」や「私」の居場所を見つけることに苦労し、生きづらさを抱えているという場合に、この『いきなりはじめる仏教生活』はたいへんおすすめしたい一冊です。

また、「普通」に生活しようとすればするほど生じてしまう、いまの社会の生きづらさ、「苦」を解体していくための仏教入門として『いきなりはじめる仏教生活』は最適であるように思います。

(現在は品切れのようですが、手に取りにくい場合は古本や図書館などで本書を読むことで、いきなり仏教生活、始めてみてはいかがでしょうか?


 私たちの人生はこの世界の外部とつながらなければ苦しくて生きていけません。でもその外部だって、どこか別の場所にぽっかりと浮かんであるんじゃないんです。その人その人にとっての外部への回路はありますが、間違いなく言えることは、今、立っているところからつながっているということです。だから、決して今を踏みにじっちゃいけません。

 何度も繰り返してマコトにみっともないのですが、外部の回路を開いて、いま立っている場がどれほど多様で重層的で豊かであるかを読み解き、自ら手を伸ばして〈縁〉をクリエイトしてみてください。

 仏教は、今生きているこの場この時間だけが真実だと語ります。そしてその今を最大限生かすのが仏教です。歩くときは全身全霊で歩く。ごはんを食べるときは、ごはんと自分との境目がなくなるほど食べることに集中する。念仏するときは念仏に成りきる。それだけです。それですべてです。

(360‐361頁)



ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます(^^♪


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