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「八正道」「戒定慧」とは何なのか❓ 『ブッダが説いた幸せな生き方』⑧

前回は『ブッダが説いた幸せな生き方』(岩波新書)を読みながら、ニルヴァーナとは何なのかということについて述べました。


この本の著者である今枝由郎氏は、

 ニルヴァーナは、この先で説明する八正道を私たちが根気よく熱心に歩み、自らを修養し、浄化し、必要な精神的発達を遂げれば、現世においてある日、自らの内に体現できるものであって、ことばで論ずることがらではありません。それはことばを超えたもので、「賢者が自らの内に体現すべきもの」です。

と述べていますが、それでは、ニルヴァーナを体現するためのカギを握る、私たちが根気よく熱心に歩むべき「八正道」とは一体何なのでしょうか?

この「八正道」については、以前に書いたことがありましたが、

今枝氏は、「八正道」の八項目を、

①正見=ものごとのありのままの姿を透視・理解する叡智。
②正思惟=正しい思考、善悪の判断。
③正語=嘘をついたり、粗悪なことばを用いない。
④正業=命を傷つけたり、盗みを働いたり、不誠実なことをしない。
⑤正命=他者を害することによって生計を立てない。
⑥正精進=邪で不健全な心を持たず、努力する。
⑦正念=身体、ことば、心による行いをはっきりと意識し注意する。
⑧正定=正しい精神統一、集中力。

と簡潔に説明しています。

また、

 この八つの項目は、上に列挙した順に一つずつ実践していくものではありません。それらは、各人の能力に応じて、すべてを同時に実践しなくてはならないものです。八つは各々繋がっており、一つの実践が他の実践に役立ちますが、ブッダが重視したのはあくまですべての項目の実践です。

と述べられていることは傾聴に値します。

さらに八正道は、

(一)戒(シーラ、倫理的行動)
(二)定(サマーディ、集中力)
(三)慧(パンニャー、智慧)

という「戒定慧」(かいじょうえ)の三学に分類されるとしています。

「戒定慧」(かいじょうえ)とは何なのか?

このうち「」(かい)については、「八正道の内の③正語、④正業、⑤正命」であり、

この三つの項目は、倫理的行動を形成するもので、個人および社会にとっての幸せで、調和のとれた生活を促進することを目的としています。

と説明しています。

 「戒」は、元来習慣を意味します。言うまでもなく良い習慣のことで、身につけるべき正しい行動様式を指しています。日常生活のなかで自らを律して、安易に流れたり、だらしなく崩れたりしないように心がけることで、次の「定」をするために必要な基礎的準備です。

 こうした心構えからなされる倫理的行動は、ブッダの教えの基盤を形成する、生きとし生けるものへの普遍的愛と慈しみという広大な概念の上に構築されています。ブッダによれば、人間が完全であるためには、注意深く啓発しなくてはならない二つの資質があり、一つは慈しみであり、一つは叡智です。慈しみは、愛、慈善、親切さ、寛容といった情緒的な気高い資質であり、叡智とは、人間の知的な心の資質です。

今枝由郎『ブッダが説いた幸せな生き方』 144頁


次の「」(じょう)に関しては、今枝氏は、八正道の内の「⑥正精進」、「⑦正念」、「⑧正定」が含まれるとし、

この三項目は心的規律であり、これらによって心は律せられ、啓発され、修養されます。心がこうした状態になって初めて、人はものごとをありのままに透視する叡智を獲得するための基盤を整えることができるようになります。ですから「定」は次の最終目的である「慧」を得るための不可欠な準備段階です。

と説明しています。

また近年「マインドフルネス」に関心を持たれている方は多くいらっしゃると思いますが、今枝氏は八正道の「正念」の「念」に関して、

これはパーリ語でサティであり、最近になって欧米でmindfullnessという英語名で知られるようになったものの原語です。日本では適切な訳語がありませんので、英語をそのままカタカナ表記してマインドフルネスとして知られるようになりました。しかし、日本はもちろんのこと、欧米でも、それが仏教起源のものであることはほとんど知られていません。

としつつ、そのうえで、

仏教の八正道での「正念」は、自分が身体、ことば、心で行うすべてのことを、はっきりと意識し、注意することで、「気づきの状態」「目覚めの状態」と言えるでしょう。

と述べています。

最後の「」(え)は、「八正道の内の残り二項目、①正見と②正思惟」であり、

正見とは、ものごとのありのままの姿を理解することです。そして正思惟は、すべての生きものに対する無私無欲な放棄あるいは無執着、愛の思い、非暴力の思いです。

と、氏によって説明されていることは、ブッダの教えを学ぶうえで大変重要です。

 仏教では、二種類の理解があります。私たちが一般に理解と呼んでいるのは、知識、すなわちある種のデータに基づいた、あることがらの知的把握です。これは深いものではありません。

 もう一つの本当の深い理解は「透視」「洞察」と呼ばれ、ものごとの本質を、名前とかレッテルなしで見抜くことで、これが如実知見です。この「透視」「洞察」は、三学の内の最初の二項目である「戒」と「定」が正しく実践され、心にいっさいの汚れがなくなり、心が完全に啓発されて初めて可能となるものです。

今枝由郎『ブッダが説いた幸せな生き方』 146頁


……次回へと続きます。

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