最近、『孤独の科学 人はなぜ寂しくなるのか』(ジョン・T. カシオポ、ウィリアム・パトリック 著 柴田 裕之 訳 河出文庫) を読み終えました。
この本は、単行本の邦訳は2010年に出版されていますが、社会的な「孤立」や自ら選択した生き方としての「孤高」も含め、広い意味での<孤独>というものを、感情的になることなく、距離を置いて客観的に考察するために最適であるように思いました。
社会的に孤立してしまうことは、個人が主体的に選択したわけではなく、また、周りと協調して生活するのが難しいという場合は、遺伝や環境、発達のことも関係してくるため、いわゆる「自己責任」(ひとりぼっちになったのは全部自分のせい)で簡単に片づけることも出来ないように思います。
しかし、社会的に孤立していることによる弊害というのは、少なからずあるのだと考えられます。
『孤独の科学』のなかで著者らは、「孤独感の強大な影響力は、三つの複雑な要因の相互作用から生まれる」として、
「一 社会的な断絶に対する弱さ」
「二 孤立感にまつわる情動を自己調節する能力」
「三 他者についての心的表象、予期、推論」
を挙げています。
特に「二 孤立感にまつわる情動を自己調節する能力」については、著者は以下のように説明しています。
そして、これら三つの要因を踏まえたうえで、
と述べていますが、「孤独感につきまとわれると、社会的認知が歪むとともに自己調節の能力も弱まるので、ほかの人の物の見方を受け入れにくくなりがち」になってしまうというのは、私自身、孤独感に苛まれていた20代の頃は思い込みが激しかったという経験を想い起せば、思い当たるふしがあります。
また、「社会的技能が鈍る上、本心を隠して近づく人間に手玉に取られやすくなる」とありますが、もし長い期間、孤立によって本当に信頼できる他者とのつながりを欠いているならば、ひとりでいる時に悪徳商法詐欺などに引っかかる危険性が高まるのは確かであるように思います。
さらに、近くに自分のことを気にかけてくれる人がおらず、一人でいる時間が長いと自己管理(セルフ・コントロール)が難しくなるため、精神的なストレスが生じた場合は、つい食べ過ぎてしまったり、飲酒に溺れてしまったり、延々とゲームをし続けたりしてしまいやすくなります。
それでは、社会的孤立を乗り越え、社会的「つながり」によって、孤立している時とは違った安心感を得るためには、どうすれば良いのでしょうか?
このことに関して、本書の後半部では「EASE(ゆっくり事を進める)」といった、「適切な社会的つながりを築くため」のアドバイスがなされていますので、興味がある方は実際に手に取って読んでみてはいかがでしょうか?
ちなみに私自身は、孤立を乗り越え、自己肯定感がともなう「良質な孤独」へと向かっていくためには、誰かと無理につながろうとするよりも、まずは、この本が取り上げている「自己調節の能力」を回復したり、向上させたりすることが重要になってくるように思いました。
そしてそのためには、日々の瞑想の実践や、自分自身を大切にすること、前回の記事で取り上げた「マイ・スペース」を見つけ、外部ではなく、自分自身の内面と向き合い、対話することが鍵になるように思います。
お忙しい中ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます😊
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