㌨ミクロン矮小

おれをころせ Twitter @genkideath_ENTP

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最近の記事

薔薇が憎い

母親がずっと部屋にこもる私のために置いていく薔薇。綺麗に育ったのよと自慢げに置いていく薔薇。心から美しいと思えるし感謝してる。 でも、少し触れただけでパラパラと崩れていくそれが憎い。惜しげも無く花びらを撒き散らすそれが憎い。その弱さが許されるのが憎い。 人間は崩れたら罵倒されるだけなのに花は惜しまれつつ「だからこそ儚くて美しいんだよ」なんてしたり顔で語られる。憎い。 「人間は考える葦である」 だなんて、有名な言葉も人は棘も美しさもない弱い存在として定義したのに。憎い。考え

    • 夏、雲、風。

      酷く蒸し暑い日に、ふと風が吹いてきて蒸発した私の汗とともに何かを奪い去って何かを与えていく感覚がどうしようもなく好き。 あの瞬間に今まで隠れていた夏の美しさが顔を出した気がして毎回空を見上げてしまう。当然そこには憎らしく輝く太陽と「あんな儚げになりたい」と思わせるような真っ白な雲しかないのだけど。 でもそれこそが美しさの本質で、それがあるから夏は輝いて記憶に残るんだ。 最近学校前や後にブランコに乗るのが習慣になっている。これも「風」を感じるためだ。それに幼少期の純粋だった心

      • 自己紹介vol2「はじめに」

        どうでもいいようなことはたくさん思いつくのに「はじめに」などと少し改まった感じになると途端に焦ってしまう。 軽いノリであるあるを話したら「例えば〜?」などと返されてしまった時の内心のようだ。(関係ないけど「あるある」って個別化せず話すからこそ「あるある」として成り立っているような気がする。具体例求めるのは何か違うような気がするのは私だけだろうか) これをミスったら全てが陳腐化してしまうのでは無いだろうかという不安、これがあるならいつか「終わり」も来るという寂しさ、何かが始まる

        • 瞼に映る眼球と視線

          基本的に知ることは大好きだけど、知りたくなかったことも邪魔なものも見たくなかったものも世の中には大量にあった。 「疲れたら目を瞑れ」とはよく聞くが、それは何も見ないんじゃなくて瞼の裏側を眺めているだけだと気づいてしまってからは毛細血管のような赤くてぐちゃぐちゃの線、眼球と密着してるし反射するほどの光なんてないからありえないのに瞼に自分の眼球が映って目が合うようになって眠れなくなった。 何も語らないのにずっと恨み節をぶつけて来るような目線が嫌だった。きっと自分を嫌う深層心理が

          自由でありたいね。あと魚かわいい。

          明日❓もう今日か。ぼっちで水族館と海に繰り出そうとしています。どうも、矮小です。 なんか水槽の中でただ廻り続けるだけの魚を見ると自由の意味がよくわからなくなります。 ソファに腰かけそれを眺めているだけの私からすると彼らは不自由であるのに、水の中でしか生きられずガラスを破る力もない彼らにとってはそこが全てで世界。ただ思うがままに泳いでいるだけなのです。 まぁ、魚界にもカーストとか上司部下の関係があったら別ですが。果てしなく嫌なのでもしそんな魚がいたら私が美味しく食べて懲らし

          自由でありたいね。あと魚かわいい。

          退化と記憶 散文

          私は少し頭を使うゲームが好きだ。テトリス、2048、チェスなど。テトリスは授業中にも狂ったようにやり込み、違反カードを何枚も切られそれでも尚やっていた。もちろんSwitchのテトリス99も。これのVIP部屋で平均順位がだいたい1桁。 チェスもchess.comというサイトで一時期狂ったようにやっていて1度ai分析正確度91くらいまで出せたことがある。 課金までしていたのに最近はめっきりやらなくなって、久しぶりに対戦したらクソザコナメクジになっていた。感覚で言うと始めて日が浅い

          退化と記憶 散文

          ずっと感じていたような考えていたようなガバガバ理論

          高校生の若造がふと思ったガバガバ理論に過ぎないが、内面というものが可視化できない以上、自分も他人も変わらないのではないかとずっと考えている。それでも他人と比べてしまうのは変わらないけれど。 わかりにくく過激な例えなのかもしれないが ハゲ臭いキモイと三拍子揃ったオッサンの隣に貴方はいるとする。一度意識すると、見下すなりドン引くなり、嫌悪、哀れみ、もしくは好意など何らかの感情をきっと抱くだろう でも、オッサンと貴方の中身が入れ替わったとしても、周りの人からすると何も変わらないの

          ずっと感じていたような考えていたようなガバガバ理論

          日々、ヒビ

          誰にも理解されないし幸せになれない気がするので死にたい。完全な理解なんて不可能だし求めていないが私という存在と考えを曲解されることや綺麗事や感情論、根性論ですまされることがどうしても耐えられないし、こんな思考のせいできっと何をしても生きることに希望を見いだせない。 親は中途半端にカスで、感情的で性格も合わず、家庭環境も良くない方だ。学校に友達は多かったが、本当に友達だと思っている人は片手で事足りる。 でも死にたい理由は他でもない自分自身だから逃げ場がない。環境などは割合にす

          死にたい癖に馬鹿面する

          東京恋慕のアルバムで、昔このタイトルの意味がよく分からなかった。「死にたくても馬鹿面していいだろ‼️俺なんてエブリデイ馬鹿だよ‼️」などと憤慨していた。本当の馬鹿である。 最近ふと意味がわかったような気がした。何故かLINEミュージックからは消えてしまっていたけれど。 人は日々いろいろな辛さや闇、を隠しながら生きている。でも自殺をすれば「するほど不幸だったんだな」と一瞬でバレてしまうし憐れまれる。(逆に考えると自殺は最高の自己表現なんだろうね。) 本当に勝手な解釈だけれど、

          死にたい癖に馬鹿面する

          言葉の重さ

          私は誰にでも「好き!」「愛してる😁🤟」「結婚しよ〜😍」などと抜かすカスで、いつも不真面目にヘラヘラとしているのでしょっちゅう「お前の言葉はティッシュより軽いな‼️」などと仲のいい友人に言われる。 涙と鼻水でも付けとけばティッシュでも少しは重くなるでしょうか? でもそんなことを言われる度になんとも言えない安心感があったのも事実だった。そんなイメージを持たれている方が自分を隠しやすい気がして。 友人に「あっこの人ちゃんと考えてるな、なんか重みあるな」って人が居る。 本当に好