日々、ヒビ

誰にも理解されないし幸せになれない気がするので死にたい。完全な理解なんて不可能だし求めていないが私という存在と考えを曲解されることや綺麗事や感情論、根性論ですまされることがどうしても耐えられないし、こんな思考のせいできっと何をしても生きることに希望を見いだせない。

親は中途半端にカスで、感情的で性格も合わず、家庭環境も良くない方だ。学校に友達は多かったが、本当に友達だと思っている人は片手で事足りる。
でも死にたい理由は他でもない自分自身だから逃げ場がない。環境などは割合にすると1割にも満たないだろう。
当事者にはとても失礼で惨い言葉かもしれないが、この希死念慮が消えないのなら虐待や虐めなどの明確な外的要因が欲しかった。傷つける意図は無いがもし傷ついたら申し訳ない。当事者はきっと「そうじゃない!」と声を大にして言いたいのだろうが、私からすると「コレから逃げさえすれば」という希望を持てる気がする。これは浅はかな考えであり実際はPTSDなどで苦しむのだろうが。

主観的なものを幾ら言語化したところで陳腐化するだけだから遺書もうまく書けそうにない。友人には「お前の自伝あったら買うわ」と複数回言われたことがあるが、自分でもうまくまとめられないことを本レベルの文量にしても何も伝わらないだろう。

もしやるとしたら生い立ちから書くべきなのだろうか。先程大発狂をかまし泣きながら「純粋な疑問でなんで産んだの?」と半ば強引に親から聞き出したところ「お前に会いたかったからだよ!」とブチ切れつつ綺麗事に包まれた快楽と欲望と浅慮の塊を投げつけられた。鼻血の代わりに涙が出た。私の文体では多分伝わらないだろうが、メンヘラガイジの相手をするのが面倒になって捻り出した答えなのが透けて見える。
挙句の果て、「家がない人や高校に通えない人、酷い虐待を受けている人だっているんだぞ!お前は幸せだ!」と言われたがそんなガチのクズ親と比べ自分は良い親だと主張して虚しくならないのだろうか。

でもこの発狂の理由も全て自分自身に有る。
無いのは希望と幸せと生きる意思だ。
逃避には死か酩酊か淫夢動画しかない。


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