瞼に映る眼球と視線

基本的に知ることは大好きだけど、知りたくなかったことも邪魔なものも見たくなかったものも世の中には大量にあった。

「疲れたら目を瞑れ」とはよく聞くが、それは何も見ないんじゃなくて瞼の裏側を眺めているだけだと気づいてしまってからは毛細血管のような赤くてぐちゃぐちゃの線、眼球と密着してるし反射するほどの光なんてないからありえないのに瞼に自分の眼球が映って目が合うようになって眠れなくなった。
何も語らないのにずっと恨み節をぶつけて来るような目線が嫌だった。きっと自分を嫌う深層心理がそうさせているんだと思うけど別に自分の全てが嫌いな訳じゃない。友達になったら絶対楽しいと思う。

じゃああの目線は私のどの部分に向けられたものだったのだろうか。
認知が歪みすぎていてそれがどこなのか、自分を憎む原因が何なのかわからない。でもたしかにあの目はこちらを睨んでいた。
いくら振り返ってもわからない。
「思春期とは自分の心に鏡が設置される時期なのかもしれない」みたいなツイートが好きでずっと覚えている。
もう今年で19になる。そこからはとっくに脱していないとおかしいのに未だに前に進めていないことの現れなのだろうか。わからない。
インナーチャイルドというにはアレは成熟していた。

小学校高学年辺りから本来の自我と当時の家庭環境とか、明るくいないといけないという半ば強迫観念から生まれたであろうキャラが癒着し始め、どうしようもなくなった。
そして常に客観的な自分が行動と思考を否定してくる。きっとあの目の正体はこれなんだろうと思うけれど、其れが本来の自我であって欲しくない。

もしそうであったらメインの私は無理やり生み出されたキャラということになる。多重人格とかでは全く無いけれど

それだけは本当に嫌なんだ。
どうしても嫌なんだ。

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