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あぁ、親子だなぁ。

最近よく感じることだが、私と父親は、いろんな状況においてシンクロ率が高い。これまでにも、数え切れないほど、息が合うというか、行動や考えがあまりにも被りすぎた経験がたくさんある。

初めて驚いたのは、高校時代のこのエピソードから。
高校生の頃からスマホを持つことを許された私。持たされた目的は、これから帰ることを父親に伝えるために電話をすることであった。(当時、母親はスマホはおろか、携帯電話すら持っていなかった。いわゆるアナログ人間である。)
「今から帰りまーす。」
「はいよ、わかった。」
電話の内容は、いつもこれだけ。
そんなある日、高校の最寄り駅で、父親とのいつも通りのやりとりを終え、一緒に帰っている友達とたわいもない話をする。その中で私はふと、心の中で思った。その言葉は、口に出すこともなく、ただただ頭の中で考えていることだった。
そうして家に着き、荷物を自分の部屋に置いて食卓に向かうと、私は驚愕した。目の前に、天津飯が置いてあったのである。そして、椅子に座った状態の父親に一言。
「父さん。なんで私が、今日の帰りに、あー、今日は天津飯食べたいなぁって思ったこと知ってたん?」
そして父親も一言。
「……ほんまか。何も知らんかったわ。」
目の前に天津飯が置かれている状況から、私と父親の間にはテレパシーでつながる何かがあるのかと、不思議な気持ちになった。そんな夜の話であった。

父親とのこのような、気持ち悪いほどに思考が同じなシチュエーションが、たまーに、いや割と頻繁にある。この他にも。

次は、ちゃんとシンクロしてる感じのエピソード。
これもまた食卓での話。うちの母親は、突然何かを言い出したかと思えば、急に全く関係の無い話を持ち出したりする、予測不可能な面白い生き物である。そんな習性を持つこの人に、私も父親もいつも振り回されているのだ。
この日の食卓でも、相変わらずの母親フリートークがずっと続いていた。食事中にかかっているテレビの内容にツッコんだり、それに関係あるのか無いのかよく分からん話をしたり。そんな中、クイズのような話し方で、私たち2人を惹きつけた母親。
「これの正解は、というとな……」
ゴクリ。(ここで結構、溜めの時間を作る母親)
「……あ、アイス食べようっと♪」
いや、そんな気になる言い方して、答えは言うてくれへんのかい!!!
父と娘の2人、全く同じタイミングで、全く同じ文言で、それもズッコケる素振りを見せながら、アイスを取りに行く母にツッコんだ。やはり関西の血が色濃い我が家。とはいえ、タイミングも言葉も同じというのは珍しく、思わず2人で笑ってしまった。「なんでいっつも、お前は俺と同じこと言うんや!」父親は、私と行動や言葉が揃うと、決まってこのセリフを言う。つまり、我が家は平和である。

そして今日、またヘンテコなバッチリタイミングエピソードの記録が更新された。これは家の中ではなく、外出先(スーパーマーケット)での話である。

最近、近所にできた、価格の安さを売りにしている某スーパー。家族3人での、久々の買い物。家族で買い物に行くと、私は必ず1人行動をとる。私の買いたい(=父親に買ってもらいたい)ものを手に取って、親が持つカートに入れる。わたしのお金じゃないから、手に取ったものに対して私が払う料金は0円。私はウキウキかつルンルンな子ども気分で、生鮮食品コーナーやおかずのコーナー、カップ麺コーナーなどを徘徊する。
そうして目に入ったのは、粉チーズの2個セット売り。3人家族で消費するには、賞味期限が近いような気もしたが、あまりにも安すぎるので手に取ることにした。その後に、粉チーズの少し近くに、2つセットの仲良しこよし某洞窟のパスタソースが、こちらを見ていた。その青い視線に気づいた私は、賞味期限がジリジリ迫る粉チーズとの抜群の相性に思いを馳せ、家でパスタを頬張る自分の姿を想像しながらパスタソースを手に取った。そうして私は、スーパー内で、チーズとソースを両手に抱えたまま、カートを引いてスーパー内をウロチョロしているであろう父親の姿を探した。
勘のいいガキの皆さんなら、ここから先の展開は分かることであろう。そう、父親が引きづりまわしていたカートの中には、既に粉チーズとパスタソースが入っていたのだ。これも2人して、目があった瞬間に思わず吹き出してしまった。こんなことってある?それが私の第一声だった。
よくよく話を聞いてみると、私と父親は、結果的に同じ2つの商品を手に取ったが、実は、2つの商品を手に取る順番は異なっていたことが判明した。
私は、まず粉チーズを手に持ってから、パスタソースへと手を伸ばした。一方の父親は、パスタソースの方が先に目につき、それに合うチーズも必要だろうという考えで、次に粉チーズをカートに入れたという。つまり、私たち2人は「過程は違えど、結果は同じ」であったのだ。

この最後のエピソード、自分の人生においても、似たような境遇のようで、今の自分にとって重要な価値を持つものに思えてならない。
端的に言えば、私にとって、父親は尊敬の対象であり、憧れの存在である。父親のようなすげぇ人になって、面白くて楽しい人生(もちろん辛いことだってあるはずだろうけど)を過ごしたい。そんなことを、常日頃考えている。けれども、私の人生は私の人生であり、父親と全く同じ人生を歩むことは不可能だ。
だからこそ、私なりに歩みたいと思える人生を、生きがいを、幸せを、これからも追い求めていきたい。
そう、強く思った日になった。





今日のところは、こんなもので。

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