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猫のような小学生

みぃは小学校で特別支援教室(通級)には週に二時間通っていました。(個別の時間と小集団でのSSTの時間です。) また、コロナ禍で給食費が無料となった時には毎日給食だけ通級に食べに行かせていただきました。

通級以外にも、在籍の普通学級の授業に時々参加したり、音楽鑑賞などの行事など、面白そうなものは参加していました。

わたしはよく教室まで送迎をしていたので、通級の教室でも、普通学級の教室でも、同級生たたちから「⚪⚪さん来た!」と迎えられる姿を見ました。行くだけで喜んでもらえるのです。有難いことです。ある時、給食を食べに通級教室に送り届けたら、先生方(通級には3~4人の先生が常駐しています)が「⚪⚪さ~ん、いらっしゃーい」とか「待ってたよ」とか、あたたかい笑顔で迎えてくれました。給食を食べにだけ学校に行かせている時点で、それでいいのかなという心もとない気持ちが私にはありましたが、給食だけでも快く歓迎してくださる姿を見て、有難い気持ちと共に、みぃってまるで猫のようだなと思いました。たまにふらっと庭先に現れる地域猫。


猫って、来てくれるだけで嬉しい存在じゃないですか。わたしは大の猫好きなのでそう思います。
前触れなく現れて、普通の顔してそこにいる。気ままに、無理に群れず、マイペース。そんな猫の生き方に、そんな生き方もあるんだと人間は時に学び、癒される。

みぃが癒しの存在だったかどうかは解らないけれど、通級の先生たちはいつも「よく来たね」という雰囲気で温かく迎えてくれて、「また来週」と笑顔で送り出してくれました。

みぃの学年のみんなも、何で来たの?とか、何で学校来ないの?とか、次いつ来る?とか聞くことなく、ふらっと出入りする同級生のみぃを、「なんかよく事情は知らないけど教室にたまに来る子」という存在として受け止めてくれているようでした。こどもたちにとって、生き方の多様性をふわっと感じさせる存在であったのではないかと思います。「そんな子もいるよね」という。そしてある意味、そんなに気にも留めないでいてくれました。

わたしはみぃに「みぃって猫みたいな小学生だね」と言いました。みぃちゃんって名前も猫っぽいし。  


図工の授業だけやってきて、楽しんで帰っていく。
ごはんを食べにやってきて、お喋りして帰っていく。
体育館でやる音楽家の演奏会の時は見に来てる。
社会の授業に来て、挙手してハキハキと発言して、また来るかと思ったら、来ない。
七輪でお餅を焼いて食べるというイベントの時は、その時間だけやってきて、食べ終わったら「さようならー」と帰っていく。



猫みたいな小学生を、猫みたいなまま受け入れてくれた小学校に感謝しています。


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