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坐禅とAI

AIはDeepLearningにより出力する際に推論を行っている
これは人の脳のやり方に似せているのだが推論はある意味学習(経験)結果の「思い込み」である


その過程で人には「心」(感情)ができる
AIには心も感情も生まれない

なぜ人やAIは推論を行うのかそれは脳を省エネに使うためである
エンジン音やワンワンと聞いた際にあれは犬だな、車だなと推論するのである
そして実際に目にしてその差分を埋める

しかし本当に車だろうか?
犬だろうか?

この思い込みというのは人を病ませる

思い込みというのは過去の経験によって作られた人格が作り出す「心の癖」でもある
日々行われる推論(思い込み)によりどんどんその性格は固定されていく

会社に行きいつも挨拶を適当にされる上司に対して「嫌われているのかな」と思ったりする

これは心の癖から生まれた思い込みである
上司はただ朝が弱く眠たいだけかもしれない

AIはこの推論の過程で感情が生まれたりしないが
この過程により心が作られていく人間は病んでいく

禅の世界ではこの思い込みを手放す
坐禅をしながらエンジン音が聞こえても車だと決めつけずに

ただ、そのまま、ありのまま
エンジン音を聞く
エンジン音はエンジン音でしかないのだ


AIは人の脳のシステムをマネて作られている
人の脳は非常に複雑だ

その複雑さから離れシンプルにただありのまま受け取る
受け止めたらそこで終わりにする
そこから考えればそれが悩みの世界への扉となる


AIと坐禅
今日は全く遠い世界にいる二つを繋げて考察してみました

思い込みを手放して生きていけたら良いなと思う毎日です

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