見出し画像

ニーチェさん本当に神は死んだのかい?


「科学」とは聖書を疑い
客観的にものを見て法則を見い出し、合理的な行動を取るもの
心理学や精神医学はそれを人間の心や行動に当てはめる

心理学や精神医学が出てくる前人々の心を救っていたのは信仰であった

しかし科学が出てきてソレらは聖書を疑った
人々は信仰を胸に医者の話しを聞くようになった

神の「おつげ」では助からなかった人々は
精神科医や心理士により主観+神や仏が答えの全てであった世界から
科学的合理性のある客観的な視野が入る事で
それが救済に繋がっていく世界になっていった


しかし信じるだけでは救われない事を知ってなお多くの人類は神や仏に教授される

日々心が楽になっていく生き方は何かを通して心理学を学んでいく中で
知識やノウハウは身についていくし
それは論文や文献になるようなものなので
確かな知見の広がりも感じる

しかし知識は知識なのだ
知識は「言葉」であり続ける

相変わらず心は苦しいし不安は募る
薬を飲んだり知識がつくだけではダメなのだ

マザーテレサは「習慣に気をつけなさい
それはいつか性格になるから」といったが

たしかにセッションを組みちゃんと認知行動療法などを行えば行動と習慣が人格を変え
それで心は助かっていくだろう


知識があるだけではダメだという中で
最近座禅を始めた私には知識や心理療法では得られない

「感覚」というものの確かな実感があった

和尚さんは座禅をする中で思い込みは心の癖であります
座禅中は例え周りで物音がしても音の正体を考えず音を音としてただ受け取る
この時間は何ものにもとらわれない練習だと思ってくださいと言った

今ここに集中する(マインドフルネス)感覚と思い込みにとらわれない(認知行動療法)という感覚

マインドフルネスや認知行動療法を知識として学んでいた私には
座禅を通してなにか「感覚」としてとても深まるものを感じた

その禅の思想から体験したあぐらを組みただ一点を見つめ続けた静寂な時間の「感覚」は
科学的な「知識」以上に私を一歩前に進ませた

座禅をした日より私の中で何かが確かに変わって行くのを感じていた
脳の扁桃体(不安、恐怖を感じる部位)が穏やかになるような
マイナスな思い込みにとらわれすぎないように自分が在る感覚が身につき始めていた

それは心の歪みを取っていく心理療法とはまた違う角度からの

確かな心の救済であった

神はまだ死んでいないのではないだろうか

非科学的だとかスピリチュアルなものより
私はどちらかというと現実的で論理的矛盾のない世界の方が信じられる人間だが

物理学者のアインシュタインは「スピノザの神なら信じる」といった

仏様の前で信仰の中で深まる科学というのを確かに感じた私は
心の救済とはについてもっとジャンルを問わず多角的に探求していきたくなった

信仰による救済の本質は学問に通じる

良き行いで天国に行けるのではなく
心を変えればこの世が天国なのである

信じるものが救われるのではなく

何かを信じようとする素直な心が救われていくのである

この記事が参加している募集

#最近の学び

181,393件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?