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『嫌われる勇気』を誤解してた。自分も他人も許せる心を持つためのメソッドなんだ。

皆々様は『嫌われる勇気』を読んだでしょうか?
かなり遅ればせながら私も読んでみた。
(最近対人関係に疲れ果て、自分の性格が悪いんだ。と思い続けており、そう思うことにも疲れてきて、何もかも消し去る力が欲しい的なダークサイドに落ちたラスボスの心境だったので、なんか手に取ってた。)

今までタイトルだけの印象で、「自分勝手・自分本位・自己中心的」な考え方を推奨する胡散臭そうな本だと思って嫌厭していたのだ。

でも、それは大間違い。
そんな捻くれ者の私にこそ刺さり、納得できる、心理学入門書だった。

生きるのが少し楽になった、と感じる内容だったし、今後も実践したい内容だった。
そのためには、大事な部分が多すぎて忘れてしまわないよう、記事にまとめる。

今回のまとめは、あくまで私が特に「うわーー納得しかない。」と共感した部分であって、網羅性のあるあらすじではない。
当記事を読んで、興味が出た人はぜひ自身で一読を。
もっと多くの納得や共感に出会え、生きるのが楽になるはずだから。

読む時間がない、という人は移動時間とかに「聴く」でもいい。
Audibleの無料お試し期間で聞ける1冊に『嫌われる勇気』がある。

大前提として「アドラー心理学」の話である。

心理学と言うか、哲学というか、宗教というか。
「幸せとはなんだ?」という哲学的な「概念」を心理学として「実践」するための教本だな。

当書では繰り返し繰り返し、「人は変えられない。変えられるのは自分だけであり、自分が変われば、世界も変わる。」と伝えている。
そうなることによって、多くを幸せだと感じられる自分になるということだ。

同時に、すぐにアドラー心理学の全てを理解し実践するのは難しい。数年、数十年かけてできるようになっていくもの。とも言っているので、長期的に考え方が自分に馴染めばいいな、と思う。

以下の4点のポイントが、生きるのを楽にさせてくれた内容だった。

1.「他者は、あなたの期待を満たすために生きているのではない」

言葉にすると単純で、当たり前に見えるが、私はハッとした。
自分の期待通りに行動し、私を満たして欲しい、などと正面切って思ったことはないが、職場や家庭などで起こる不満はそれを意識できていないからだと気づいた。
「なぜ〇〇してくれないんだろう。」
「なぜ何度も同じことを言わせるんだろう」
「なぜいつまで経ってもこんな簡単なことができないんだろう」

私が勝手に相手に期待し、勝手にイライラしているだけだ。
相手にも期待に応えない自由がある。

そして、私自身もまた、常に誰かの期待に応え続けなければ、とプレッシャーを感じる必要はないのだ。
応えたいな、と思えばそうすればいいし、常に数手・数十手先を考えて仕事ができなければ使えないクズと自分を責める必要もない。
読んだ気になっている、その「数手先」も相手が本当に求めていることや正解とは限らない。

結局は、誰かの期待を満たすための生き方をするのではなく、相手やチーム(所属しているコミュニティー)のために自分はどんな貢献ができるだろう?ということに心を砕いていたほうが生きやすくなるということだ。

そうすれば相手が何もしてくれなくても当然で、してくれたことは感謝できる。イライラしない!!
逆もしかりで、自分の足りないところを数えるのではなく、貢献できた数を数えられるようになるのではないだろうか。

2.課題の分離

私は、これこそがアドラー心理学の肝だと思う。

「他者は自分の期待に応えるために生きているわけではない」ことを理解したとしても、悩みは尽きない。
例えば、あなたは職場の新人教育を任されているが、新人が一向にスキルアップしない。などの場合。

期待に応えない自由が相手にあるとはいえ、最低限のことはできるようになってもらわなければ、自分とチームが困る。こんな時はどう考えれば良いのか。
そこで、「課題の分離」をするということだ。

まず、「これは誰の課題なのか?」と考えてみる。
「相手の課題」なのに、自分がどうにかしようとして悩んでいないか?
だとすればそれは、相手の課題に口を出し土足で踏み込む行為である。だから相手の課題だと思うことは見守るしかない、という姿勢でいいのだと。

理解するのに私は多少時間がかかったが、この一文が出てきて納得した。

「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」

なるほど。
喉が乾いているだろうに、水をのみなさい!と馬の口に無理やり水を流し込もうとしていないだろうか?それは親切ではないかもしれない。
「相手の課題」まで、「自分の課題」と抱え込んでしまうことで、自分も相手も辛くなってしまってないだろうか?

ということは、いくら教えてもスキルアップしない新人には、「私は一生懸命教える」ことで十分というか、結局そうするしか貢献できないということだ。
結果、スキルアップするかどうかはその新人の課題である。
あなたは、一生懸命教えたという自負を持てるくらいしっかり教え、それを周りにも伝える。それまでが自分で変えられる範囲「自分の課題」だ。

また、他者の課題か、自分の課題かの切り分け方は、「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」
つまり、課題を解決した結果最終的に利益を得る帰結者は、他者か?自分か?と考えると分かるという。
この場合は、スキルアップすることで本人にも自分にも利益があるように思うので迷うが、私はスキルアップは最終的に本人の財産になる、と考えるので、やはり他者である「新人」の課題だと言えると思う。

しかし、突き放す・放置する、ということではない。とも言っている。

相手を信じ、見守り、助けが必要な時に言ってくれれば援助するとメッセージを送っておくこと。

そんなスタンスでいることが大切だ、ということだ。仏様ですね。うん。
理論はわかったんだけども、実行することは難しいなぁ・・・
ここは理解に時間をかけたほうがいい、と思っている。
本文を少し紹介しているサイトがあるので、導入に読んでみてはどうか。

3.「嫌われる勇気」とは「嫌われろ」ということではない

ここが本書で私が勘違いしてしまっていたところだ。
しっかり読んでみて、この部分を私なりにまとめるとこんな感じだ。

極論、人間が一番「自由な」状態なのは、周り全員に嫌われている状態であるか、世界にたった一人しかいない時だ。
すでに全員に嫌われているなら、世界に自分一人なら、どう振る舞おうとこれ以上嫌われようがないから。
だけれど人は一人で生きていけないから悩む。「幸せ」は「他者への貢献」「自分がここにいてもいい」という感覚から生まれるものだからである。

だから他者と関わりながら、それでも自由に生きるためには、時に「生き方」を自分で決断しなければいけない。相手の要求が、あなたの自由を脅かすと思うとき。つまり、他人の人生を生きることを強要された時は「嫌われる勇気を発動する勇気を持ちなさい」。
その結果をどう思うかは相手の課題である。好かれたい、と思ったって、自分に相手の感情をコントロールすることはできない。

積極的に嫌な奴になることで自由になりましょう、ではない。
どう生きても全ての人に好かれることはできないのだから、嫌われることを恐れて納得しないまま従い続けるのは他人の人生を生きることである。
自分の人生を自由に生きるためには、時には嫌われてもいい!と自分を信じて自分で生き方を選択する勇気も必要だよ、ということだった。

自分勝手とは全く違う話だった。
勘違いして読まないでいてごめんなさい!!!

4.他者に対して「叱って」も「褒めて」もいけない。

この考え方には驚いたが、至ってシンプルなことだった。

どんな人間も「対等」だから。

上司・同僚・部下、友人はもちろんのこと、子供と自分も対等だから、叱っても褒めてもいけないという。
そもそも、褒める・叱るという概念が上下の関係性という対等でない発想からくるものだという。

え?やっちゃってましたけど・・・
ではどうすればいいのだろうか。

答えは、素直な感想を伝える。
とてもシンプルだ。自分に貢献してくれたことに「ありがとう」という感謝を素直に伝えればいい。
そして(旧)叱りたいような場面では「残念」「悲しい」と、(旧)褒めたい場面では「すごいなぁ」「さすがだなぁ」「羨ましいよ」と、都度自分の感想を表現すればいいのだ。

それからというもの私は、4歳の息子に接する時も出来るだけ意識している。
「お手伝いありがとう!」「勉強頑張ってすごいなぁ〜」という感じで、あとは本当にそう思った時しか言わないという点に注意している。
そうでなければ、対等じゃない気がするから。褒めることで人を動かそうとしているにすぎない気がして。

とはいえ、余裕がない時は「おもちゃ片付けなさーーーーーい!!!」と「叱って」しまうので、まだまだですけれども。

<まとめ>普段そんな多くを意識できない。最低限、意識しておくべきことは何よ?

常にこの問題は他者?自分?とか、期待がどうとか、叱っても褒めてもいけないから、えーっと・・・となるじゃないですか?
少なくとも私はそう。
ここまでの話は、定期的に反芻すればいいと思う。

幸せになるために、普段心に止めておくことは「他者貢献」のみでOK!
それもまた3つに分類出来るそうだけど、心がけることとしては貢献しよう、と思い実際に行動することをまず考えておけば、あとは自ずとついてくるのではないかと思っている。

1.他者信頼・・・他者を無条件で信じること
2.他者貢献・・・他者に必要とされること
3.自己受容・・・自分には価値があると信じること

「他者信頼」が誤解を受けやすいかもしれない。
ここでの無条件とは、詐欺などに引っかかるほど「無防備に」無条件というのではなく、他人の能力によらず信じましょう、ということ。
人は誰しも不完全なのだから。

「他者貢献」
は、他者に貢献することで、自分は必要とされ、自分の居場所ができ、生きている意味や意義を実感できるということ。

「自己受容」を確信するために上記2点があるのかもしれない。
不完全な自分でも生きていていい。ここにいてもいい。誰かに少しでも貢献しているから、生きている価値がある。と信じること。
一番難しいことだけれど、心からそう思えると幸せだよなぁ。

そして、この考え方(アドラー心理学)を元にしながら自分の幸せを追い求めていけば、周りの人へも貢献できることになる。
そんな観点で生きていけば、確かにその中で時に「嫌われる勇気」を発動しても自分勝手な生き方をするわけではないと理解できた。

少しづつ、少しづつ自分の中で昇華しながら、今後を生きて行こうと思っている。


<終わりに>
他者貢献についてを漫画でめっちゃわかりやすく解説してくれているサイト。おすすめ!

最後の最後に、しっかりしたまとめも見てほしい。
『嫌われる勇気』の著者、岸見一郎氏のインタビュー記事。

もしよかったらあなたも読んで試してはどうだろうか。
それを決めるのは「あなたの課題」ですね!

私もまだまだ精進する。



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