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先祖の話 父母と祖父母の時代

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#明治時代

祖母の出産と明治40年の手紙

祖母の出産と明治40年の手紙

祖母笠松はる(晴)は、明治40年4月に長男を出産した。これは、その頃に池田はるから送られた安産を祈る手紙だが、当時の交信は、今と比べると随分とのんびりしていたのか、出した頃にはすでに出産が終わっていた。

手紙を読む前に、当時の祖父母の住所を確認するのが、分かりやすい。

明治37年 祖父近次郎が大井村大仏(おおぼとけ)に養豚業を営む
明治39年 近次郎とはるの結婚
明治40年 祖父母が四谷伝馬町

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明治の手紙 姉からまつへ

明治の手紙 姉からまつへ

祖母田中はると姉妹は、明治30年代に神田区西小川町の佐々木慎思郎家に奉公に上がっていた。この手紙は、長女から、まつ(次女)に宛てたものだが、文面で、かつ(四女)のことに触れている。

内容は、
時候不順ですが、(佐々木家の)奥様の病状は如何ですか。私か母かでお見舞いに伺いましょうか。お知らせ下さい。そのときに、かつさんに先方からの帯と下駄をお目にかけましょうか。これについてもご返事を下さい。

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松本ことから田中はるへの手紙(明治◯年11月9日)

松本ことから田中はるへの手紙(明治◯年11月9日)

神田区西小川町の佐々木家に奉公に上がっている田中はる宛の、日本橋区田所町の幼なじみ松本ことからの手紙である。

先日(夏の宿下りにか)会った頃に田中はるは、病気だったのか、その後の病気の具合を案じている。また、松本ことが日中は裁縫の仕事をして、夜は学校に通っていることが知られる。封筒が松本ことから田中はるへの明治34年1月7日の年賀状のものと同じであるので、その頃の手紙だろうか。

以下、手紙の内

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明治時代の判じ物のような姉からの手紙 佐々木家奉公の事

明治時代の判じ物のような姉からの手紙 佐々木家奉公の事

母の実家に残されていた手紙で、田中家の長女から次女まつに出したものである。複数の手紙から、田中家は、長女、まつ、はる(祖母)、かつの四姉妹だったと推測する。

手紙の内容は、判じ物のようでわかりにくい。岩田さんが祖母たちが奉公している佐々木家に女中の件で電話をしたことが騒ぎの発端である。推測するならこういうことだろう。

昨晩、父(田中平吉)が玉子屋の忠さんからこんな話を聞いてきた。

「橋本さん

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祖母への明治時代の手紙にみる呼称の変化

祖母への明治時代の手紙にみる呼称の変化

【ことから田中お春、田中おかつ宛の手紙】
松本こと子から田中はる子とかつの姉妹に宛てた9月12日の手紙だが、何年のものか分からない。併せて、かつからはる子への手紙を載せた。

文面にある田中お春は、私の祖母で、戸籍はセイであるが、晴を当てて、晴=はると呼ばれていた。晴子と公家風に言ったり、おはるさんと呼ばれたりしていた。セイ→晴→はる→春の変化に明治時代の女性たちの名前の面白さを感じる。

差し出

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祖母への明治時代の残暑見舞い

祖母への明治時代の残暑見舞い

8月17日付の松本こと子から祖母田中はる子に出された残暑見舞いである。立秋を過ぎ、暦の上では、まだ暑い日が続いていて、いわゆる残暑である。二人は日本橋田所町に生まれ育ち、共に書が好きだったようで、手紙のやりとりで、互いの様子を知らせ合っていた。SNSがない時代の少女たちの楽しみにも思える。

祖母からの手紙の返事(多分、暑中見舞い)だが、病の為、不在のことが多く、返事が遅くなり申し訳ないとある。病

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祖母の縁談話―父からの明治36年の手紙

祖母の縁談話―父からの明治36年の手紙

神田区西小川町一丁目三番地の佐々木家に奉公している祖母田中はる子に父田中平吉から来た縁談の手紙である。

昔は町中に世話好きの人が必ずいた。
昨日、仕立屋の婦人から父親に縁談が持ち込まれた。縁談先は、日本橋本石町4丁目(現在は日本橋本町3、4丁目)の新道に昨年引っ越してきた京屋という太物問屋である。元は本石町の目立て屋の隣に店を構えていたが、兄が相場に手を出して出奔、その後に亡くなり、今は古くから

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祖母の手紙の下書き

祖母の手紙の下書き

祖母の手紙の下書きだが、断片なので、推測しかできない。(1)〜(3)は同じ菖蒲の用紙を使っているので、同じ時に両親や幼なじみの松本こと子に出した手紙の下書きだろう。

(1)では、指折り数えれば5年昔(いつとせむかし)とあるが、ずいぶん昔のことと思えるの意味で、学校を出て、春に奉公に上がった時には山桜の花が咲いていたが、今は葉桜になった頃なので、数日後の便りの下書きらしい。「戸田様」は奉公の仲介者

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明治35年の祖母と幼なじみとの手紙の往来

明治35年の祖母と幼なじみとの手紙の往来

祖母田中はる子は、日本橋人形町(田所町)で生まれ育ち、同所に住む幼なじみの松本こと子とは、十代には手紙のやりとりをする間柄だった。明治35年には、祖母は神田区西小川町の佐々木家に奉公に出ていたが、3月から4月にけての祖母と松本こと子との往来の手紙がわが家に残っている。内容が関連しているので、並べてみたが、一応、流れはつながっているようだが、どんなものだろう。

こと子の明治35年3月8日付の手紙で

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明治34年の祖母への暑中見舞

明治34年の祖母への暑中見舞

祖母田中はるに出した幼なじみの松本こと子からの暑中見舞の手紙が残っている。明治34年8月、祖母16歳の夏の手紙だが、その頃、祖母は封筒の宛先にある神田区西小川町1-3の佐々木慎思郎宅に奉公に出ていた。佐々木慎思郎は、沼津兵学校第一期資業生で、第2代第一銀行頭取の佐々木勇之介の兄にあたり、同様に金融界で活躍した人物である。

祖母は日本橋田所町(現在東京都中央区堀留町)に生まれ育ったが、松本琴子の住

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