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自殺未遂をする意味


こめい!

久しぶりの投稿になた!!

私はおととい絶対に今までなら自殺未遂とは行かずとも自傷行為とか破壊的な行動するであろう、出来事があったのですが

死ね!!!!!!に対して死なないね!!!!と返した時喧嘩中なのにあれ?私、死ぬ!消える!側だったけど死なないね!!!とかパワー系のこと言ってる、すげぇ!

となりました。

なんか成長です。笑


そこで自殺未遂なんかをした時の思惑とか気持ちとか望みとか、何だったんだろうと考えたところ
今だからちゃんとおさらいできることは、
行動原理というか、きっかけは私は9割彼氏との喧嘩の流れでのメンヘラで発狂をし、考えすぎによる不安などから、フルメイクの状態で死ぬ!!!と、気狂い行動を始めるか
1割本当に鬱で人生に絶望して風呂入ってないボロボロのすっぴんで死のう。でしたね


どれもこれも全然失敗というか、本気で臨んでないのでそりゃそうだという様な感じです


そして自殺に憧れを持つ、ゴールと設定する、夢をみる私の ”自殺”  というものの価値は、
私は自殺をするなら配信で死ぬと、気持ち悪い憧れと決め事をしていて
その理由も結局自殺をすることで勝ち逃げができる、
人の記憶に残ることができる、羨望の眼差しすらもらえるかもしれぬ!とか、救済やそれこそ自分の人生への価値を後付けできる、みたいな
そんな変な憧れを強く抱いていました。

そんな残り方悲しいのにね

若くて馬鹿な私の頭ではそれが正義で正解で助けで保険で逃げ道でした

今になって思うと、たくさんの同じ気持ちでの死に方をしている子がいるけれど
確かに、死ぬなら、残した方がいい、というのは今でもわかるかもしれない
見せてやらなきゃわからないだろって
たしかに人って誰か死んでも、近くの人でも、話に聞いたくらいならニュースで見たくらいなら全然1週間後とかに忘れかけて忘れるし
絶対人生を誰かにどこかに焼き付けたい、とかそういう執念があるなら絶対、自分の勝手だからしていいとも思う。ある意味のその人の芸術みたいな儚い精神世界のお話があるんだと思う。
遺書だっていいし、それが遺書みたいなもので、それを覚えてる人がいるだけで私ならいいもん

でも死ぬにあたっての衝動や理由は軽率じゃいけなくて、

昨今の自殺の理由も、自殺者が増えてることも、自殺が多い国である日本で、自殺者の年齢も若すぎたり、
それを助長する可能性もあるのが怖いなとも思う。

こういった考え方が一定数いるのだと考えているけど、自殺が救済みたいな考え方 自殺に対する憧れのような拡散によってそれが文化の様に、自殺がキャッチーになってしまったら
生きることよりも死ぬことのブランディングじゃないけど流行りじゃないけど
なんか昔より自殺が選択肢の中にぽんって入ってくる世界なの、シンプルに怖い。


わたしはもう死なないね!!!!の人になったわけで、これまでは死を夢見て生きていたけれど
もうこれからは生きることのブランディングしていきたいナ。

生きるっていいのよ、何だってできるんだもん
ゲームみたいになんでもできるのにそれを忘れて、何もできなくしちゃって、されちゃって 
何もできないと思い込んで疲れ切ってログアウトしちゃったら勿体ないと、わたしは思うんだな。






おわり


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