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人生

こめい!

近頃のわてしは
「生きてる意味」毎日、検索してますSafariで
検索履歴は殆ど自分との闘いと救いを求めてる何かです

朝起きると朝日が窓の外眩しくて、今日もこの身体で意識を取り戻してしまったことがとてつもなく 怖いです 


うまく行く時はたくさんあるのに、一つうまくいかなかったら自己人格否定してうまく行ってたこと、
私のいいところとか できたこととかしてる事とか全部忘れて 人に大丈夫違うって言葉をもらうまで自分自身は自分をよくやったって言えることが殆どなくてさ、

近頃はまたこの時期で鬱なのかホルモンなのか、できれば1秒でも長く眠っていたい
こんな自分が心底、大嫌い って思うのはきっと今で今日で毎月この期間で周期なのかもうなんなのか長年精神病と思わしき何かと戦って負けて飲み込まれて復活してそんな繰り返し何十年してきてるんだって話なんですけど 苦笑 って感じ!

本題は
悲劇のヒロインとか思ってるんだろ、違えよふざけるな同じ光景見てみろとか思ってきたけど
それは間違いない部分もあるけど主語が大きくて
人それぞれ抱えてる何かとちゃんと向き合って生きた、生きようとしてる人こそかっこいい大人なんじゃないかなぁって、考え方変わって

だから実際しょーもない悲劇のヒロインぶって生きてきた部分あるなって、やっと思った
ていうかそれが守り方で時にすっごくダサくてキモい部分 なのは今は本当にそう思うけど
それも若さのご愛嬌かな、、

人にそう言われても違うと声を大にして言いたいなんてそれはプライドで 真実で 言われたく無い痛いところだなぁって そこから逃げるため+それだけじゃこの全てのやるさなさをゴミ箱に捨てちゃうような過去の自分への労りも含めた複雑な感情で
言語化はしてきたけど、幼い考え方というか
まだ保守的で自分が可愛くて、そこが前面にじわじわ漏れ出してるのが私の理論とか文章とか思想だった気がします。
自分が、まぁ自分なりに目を背けたいことや生き辛さに対して選んできた逃げ方で 守り方だった事も認めてやっと次に進めるかなって今は考えてるところ

一人一人生きるし生きてきた時間 環境 大人 周り 男と女 色々あるよね

病気だとか薬だとかでごちゃ混ぜにしてきた曲げられない過去だけは確かに、消したり否定したらあの日の私もあの日の私もあの日の私も可哀想だから 悪いけど守ってあげたい私もいて だからきっとそこに関しては私だけじゃなくて他の子や人のそれも誰も何一つ口出しはしないでほしい ていうか出来ない しちゃいけない 私も人に絶対にしない 出来るわけないって思います。

私みたいなしょーもない人間なりに
いろんな光景をこの目で見てきてそれを写真にして。映像にして。見せたいとか思ってたけど
のうのうと生きてきた訳ではないと声を大にして言ってたけど
それとベクトルが違って光景が景色が環境がタイミングが次元とか生活が違うだけでみんな地獄を見てきてるんじゃないかな、
というか私の周りは少なくともそういう人が多くて
なぜそういう人が好きかっていうと、人の痛みを知って自分の痛みのように労われて、それを無碍にしないで
自分も傷だらけなのに人のこと守ろうとするような優しい人ばーーっかだから

過去を引きずって、過去のせいにして、とかすごく保守的に私生きて行けてたけど
だんだんとそのまま変わらず生きてたら
もしもいつかそのままでいて大切な人に愛想を尽かされた時、助けてくれる人がいなくなった時変なところだけ強くて、でも素直に寂しくて素直に助けてほしいわたしは置いてけぼりになって 年老いて行ったとき、首を絞めるなってなんとなく
意地張りババアになるなって 

ならば今のうちに今までの全てを含めて、それを抱きしめてカバンに詰めれど、重い過去は少しずつ断捨離していって一つ大人になれたら、もっと生きやすくてこの地獄も終わるのかなとか、思ったりしました

自分のことを自分でわかってその上で人のことも分かれて、その余裕がある人間になりたいなって思ってるんだぁ

何かあった時1人でもちゃんと完結できる女の人の方がゆるやかで大きくて余裕があって豊かで
みてて気持ちいいし素敵だなぁって

具体的にどうするこうするって話になるとまた無限大に課題と取り組みと悩みと不感化してる今とかなんとか、たくさん考えることがあるから追々一つづつ整理したいのだけど

悩みがなさそうキラキラ明るいいいね!とか言われる人に限ってそうではない っていうこの常識 私の中の 悩みやすい人の、同じ感性の人たちが思う一般論に対する”違うよ”はもちろん変わらないけど

次は自分がどう生きたいか、
どう思って生きてたけどそれって根元まで辿ったらそれは本当にそうだったのか?って考えた時
考え方がちょっとずつ大きく変わってきたなぁって

だから、小中学生の時よくやってたんだけど
自分の日記に少し年齢重ねた私が赤ペンでいや違えよとかきもいよとか赤ペン先生してたんだけど
同じように過去に書いてきた記事に今私はこう思うよって書き足したりもしてみたい


そんな感じに今は少しずつ歳を重ねていくことを見越して、全てをアップデートしたりしないとなのかな

若い時こう思う鋭利な衝動は間違いなく正しくて(生き抜くために)だけどそこからそれを経て何も得ないまま同じように生きてたら価値がどんどんなくなっていくのではないかなって
思うんだな

自分を可愛いと思いコメ!!とかは確実に今の若い子等にも口を酸っぱくして言いたいし変わらないけど

私自身すこし一つ新しく”自分”を見直すことが増えてきています けどぜんぜんそれに負けてます

キモい大人になりたくないけど、その要素たくさん含んでるのやっと分かったから、というか目を背けてたのか脳がそこはだめ!って避けてたのか分からないけど
近頃そこに考えがいくようになってうーーってなってみたり、このままじゃ、あかん!!!!!!!と
いろんな勉強したりしている青木です。


今日ののーと!

自分の欠点とか恥ずかしい部分 損する部分 縛ってる部分 とかにちゃんと目を向けたら
すげー恥ずかしいほどキモい女な部分がたくさんまぁ気付いてはいたけどいやだ!見ない!してた部分に向き合う を今からしておかないと、しておけば、いやしておかないと老後お漬物つけたりお花育てたりコオロギとメダカ飼う素敵なおばさまになる夢は叶わないと思ったのだぜ。!


そんななんかよく分からない記事ですまぬ


今日もみんなお疲れ様でした!

明日また朝起きて死にたかったらベランダに20分出てみることから始てみようと思うよ

歯医者もちゃんと通ってます
けどちゃんと毎月希死念慮に飲み込まれてます

少しずつ苦手 から逃げないでやる を出来るようになったらいいなぁ



おわり

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