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38年前に伝えられなかった言葉

「ねぇ、洋子ちゃんってから電話だけど」
「あぁ、なんだよぉ、今風呂入ってるから後でかけ直すって伝えて、あぁ、それと電話番号も聞いといて」
「はいはい」


その日は忘れもしない1984年2月12日の日曜日、朝から学校の部活と体操クラブの練習でくったくた。やっとの思いで帰宅し、どっぷり湯船に浸かりながら1日の疲労を癒していた。そんな時に母が洋子からの電話を知らせてくれたんだ。


洋子から電話をもらったことなんてこれまで一度もない。それどころか同級生の女子から自宅に電話が来たことなんて記憶すらない。でも、その内容はなんとなく察しがついていた。


少し開いている風呂窓の隙間から、時折ヒューッと冷たい風が入り込んでくる。暖かいお湯に身体が溶け込んで行く一方で、冷ややかな風が顔にあたるとしっかりと頭が冴えてくる。


考え事をしながら風呂から上がり脱衣場で家着に着替えていると、母がひょっこり怪訝そうな顔を出す。


「まさかあんた、なんか変なことしたんやないだろうねぇ」としかめ面。
「はぁ、うっせえなぁ、あっちいけよぉ」と言って追い払った。


洋子というのは同じクラスの女子。普段は硬派一直線の僕ですが、何故か彼女だけとはよく話す。席替えをする度にどういう訳かいつも近くになるんだ。連続して隣同士になることもあれば、前後になったこともある。だからなのか、自然と仲良くなっていた。


笑うとくっきりした八重歯が特徴で、とっても可愛らしい女の子。背が低かったけど部活はバレー部で運動神経は抜群に良い。男女の友達も多くて人気者。何より、僕の親友の初恋の相手だったから。


彼女には「リスの父さん」という小学校時代からのあだ名があった。
同じ小学校出身の女子は、決まって彼女をそう呼んでいた。確かにリスっぽいけど、なんで父さんなのかは分からない。オッサンっぽい性格だからなのか。


更に、体操部だった僕とは偶然にも部室も近かった。だから部活が終わった後も、しばしば部室の前で顔を合わせたこともある。そんな彼女から秘密を共有したいと言われたとき、何となく僕の苦手な恋愛関係の話なんだろうって察しがついていた。


誰かにこくるから手伝えって言われるのだろうか。
やだなぁ。。。
そんな思いもあり、複雑な気分だったのを今でも覚えています。


自宅の電話機は1階の廊下にしかなく、話している声は居間までしっかり届く。その居間には母だけでなく、父も妹もいて今日に限って何故だかテレビがついていない。電話をかけようとする僕の会話を盗み聞こうとでもいうのか。


「聞くなよ!」とも言えず、母から渡されたメモ書きを眺め、記載しある通りの番号にダイヤルしようとしたら、再び母が顔を出してきた。


「さっきは公衆電話っぽかったから、もう少し後の方が良いんじゃない」
「公衆電話?、、、」
手に取った受話器を戻した途端、電話のベルがなった。洋子からだった。


「ごめん、お風呂だったのね」
「あぁ、別に、大丈夫だけど」


依然として居間が静まり返っている。
本当に僕の会話聞いてんのかな。


「お前まだ公衆電話か?」
「今は違うよ、でもさっきはそうだった。そっか、公衆電話だと音が鳴るもんね、バレバレだね」
「、、、で、何の用や」
ドックン、ドックン心臓が爆発しそうだ。



居間で家族が聞いているかも知れないと想像すると、自分でもびっくりするくらいに冷たいセリフだって感じた。逆に、心臓の音が居間まで届くのではないかとビクビクしていたんだ。


「うん、前言ってたことだけど、、、」
「あーぁ、共有のことだろ」


ドックン、ドックン、何だろう。



「うん、そう、、、言うね。私ね、、、あんたが好き」
「はぁ、、、」
「・・・・・」
しばらく沈黙が続きましたが、そのうち電話が切れた。
ツーツーツー


電話が切れた後、どうやって自分の部屋に戻ったのか全く思い出せない。
家族と何かを話したっぽいけど、それも全く覚えていない。
てっきり「告る手伝いをして」と言われると思ってた。バレンタインデーなるものが近かったせいもあり、面倒だなぁって勝手に思ってた。親友の顔がちらつき、申し訳ない気持ちと、面倒な手伝いではなかった安堵感、そして何より初めて女子から告白された喜びを同時に経験した瞬間でもあった。


翌日の月曜日、洋子は学校に来なかった。
14日の火曜日、つまりバレンタインデー当日も洋子は学校を休んだ。先生の話だとインフルエンザということだったけど、原因はきっと僕のせいだと思う。


本当は踊りだしたいほど嬉しかったのに。
教室で2人っきりになったときや部活が終わったときにでも、僕の気持ちを伝えようと思っていたのに。


実際に洋子が学校に登校してきたのは、バレンタインが終わった翌週あたり。時間が経ちすぎたせいで、何となく気まずい空気が流れはじめ、目を合わせることもできない状態。怖かったのか、恥ずかしかったのか、よく分からない。今更ながら、僕がちょっとだけ勇気を出せば良かったんだ。


その後の席替えも洋子とはいつも近くの席。
だけど違ったのは、めっきり会話がなくなっていたこと。僕は別の女子と話す機会が増え、彼女も別の男子と話すことが多くなった。


3年生に進級すると、洋子とはクラスが別れてしまった。
部室は隣同士だったけど、夏の全国大会に向け、体操部もバレー部も毎日練習三昧。終了時刻が違うので、当然洋子と顔を合わせることはなかった。


そして、お互い別々の高校へ進学した。
共通の友人もいなく、中学を卒業以降、洋子と会ったことはない。
24歳の時、中学2年生の同窓会が催された。当時のクラスメイトとは実に10年ぶりの再会になる。僕は、もしかしてと思い参加してみたけど、そこにはやっぱり洋子の姿はなかった。あのとき以降、僕は同窓会に参加していない。


息子が幼い時にリスの絵を描いていた。
「パパ、リスってどんなお髭だっけ」と訴えるので、
「リスはね、こんなお髭だよ」ってオッサンの下ひげを付け加えてみせた。
「違うよぉ〜〜」ってケラケラ笑っている息子を眺めながら、息子の描いたリスの絵と洋子を重ねていました。


あのとき「はぁ」と言い放ってしまった電話口。
どうして素直に伝えられなかったんだろう。
「俺もだよ」って。



最後まで読み進めて頂きありがとうございました。34年前のしょっぱい思い出を記事にしたためてみました。


note友達のとき子さんの綴った記事になぞって僕も書いてみました。
たられば、なんて誰にでもあると思いますが、しょっぱい経験が重なって、今を生きているんだって実感する今日この頃です。


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