ジェットシン(弱者代表)

弱者が贈る! 派遣社員のアラサー男子が大阪市内で一人暮らしをするドキュメンタリーです。…

ジェットシン(弱者代表)

弱者が贈る! 派遣社員のアラサー男子が大阪市内で一人暮らしをするドキュメンタリーです。 一番のネックである経済面での乗り越え方を一緒に見つけていきましょう。https://www.youtube.com/channel/UCZ6PqcuH9NAd_TXC2eB5vEA

最近の記事

【2日目】最後の休日

令和2年5月24日 4月9日から自宅待機を命じられ、一切の仕事がなく自宅での自粛を約1ヶ月と3週間ほどしていた私も、この日が最後の自宅での自粛となった。 当初は、この1ヶ月でやりたいことがたくさんあり、将来へのステップアップの期間にしようと決意し、ある意味大人の夏休みに突入しました。 みんなが遊んでいる間に、なにかを得てやろうと。 しかし。毎日感じることは、気がつけば夕方、気がつけば深夜、気がつけば朝という日の繰り返し。 できたことというと、 ・新しい動画編集ソフ

    • 【1日目】検査結果

      令和2年5月23日 前日派遣切りにあい、この日から就活を含めた今後の進路を決めていかなければいけないのだが、もう一つこの日は大切な日であった。 前の月から、耳の下の首のほうにできものができており、最初は蚊にさされたのかと思っていたが、3週間ほどし、ふと触るとまだ晴れている。よく確認すると、これは皮膚の中だとわかった。しこりがある。 軽い気持ちでウェブで調べてみると、悪性リンパ腫の初期症状などと出てきた。怖くなり私はひたすら調べた。調べれば調べるほど不安な情報のみを摂取し

      • 【最終日】派遣切り

        令和2年年5月22日。 当時、日本では全国で新型コロナウイルスが蔓延し、緊急事態宣言なるものが発令され、5月6日を期限とされていたが、さらに延長された。外出自粛が継続され、学校、店などはすべて休業状態であった。 そして東京、北海道を除く、大阪などの地域も5月21日についに解除された。 当時の私は派遣社員という雇用形態で不動産関係の会社に勤務し、休日にはホテルのベッドメイクなどのアルバイトをしていた。 しかし、コロナ渦の影響で派遣の仕事は自宅待機を命じられていた。収入は

        • 【20日目】テレビリモコン

          令和2年年5月9日。 当時、日本では全国で新型コロナウイルスが蔓延し、緊急事態宣言なるものが発令され、5月6日を期限とされていたが、さらに延長された。外出自粛が継続され、学校、店などはすべて休業状態であった。 当時のテレビの人気番組は、クイズ番組、健康情報を扱った番組、報道番組であった。特に朝から深夜までニュースを取り扱った番組が大半を占めており、その合間に娯楽を流すというのが当時の日本のテレビ事情である。 チャンネルの数でいうと主に4~6チャンネルという今では信じられ

        【2日目】最後の休日

          【19日目】テレビ

          令和2年年5月8日。 当時、日本では全国で新型コロナウイルスが蔓延し、緊急事態宣言なるものが発令され、5月6日を期限とされていたが、さらに延長された。外出自粛が継続され、学校、店などはすべて休業状態であった。 このとき、ありとあらゆる営業活動が停止されてわけだが、演芸、スポーツ、音楽などのエンタメ業界は大打撃を受けたようである。 ここで、当時のエンタメ事情を調べてみたのでご紹介する。 当時もテレビはあったようだが、今とは役割が全く違う。地域によって内容が異なる時間帯も

          【18日目】自動車の手動運転

          令和2年年5月7日。 当時、日本では全国で新型コロナウイルスが蔓延し、緊急事態宣言なるものが発令され、5月6日を期限とされていたが、さらに延長された。外出自粛が継続され、学校、店などはすべて休業状態であった。 その時期は公共交通も利用者がかなり減っていたと記録されている。 交通機関でいうと、当時の自動車運転はすべて手動運転がなされていた。今のように誰でも自動車を運転できるものではなく、特別な訓練を受け国家試験のような試験を合格した者に資格が与えられるというものであった。

          【18日目】自動車の手動運転

          【17日目】通勤ストレスとわんこそば

          令和2年年5月6日。 当時、日本では、緊急事態宣言なるものが発令され、街中のお店、会社はほぼ閉鎖。学校も休校。人も街から消えていた。 その緊急事態宣言の期限というのは、5月6日。そうGWの最終日まで。 当時は、まだゴールデンウイークという4月末から5月頭までの期間、祝日に合わせてに全国的に休みを取るというのが一般的であった。 その6日がとうとうやってきた。当然その前日までに延長が発表されており、この日はではいつ解除されるのかが議論されていた。 当時の大阪都知事が感染症

          【17日目】通勤ストレスとわんこそば

          【16日目】こどもの日

          令和2年年5月5日。 当時、日本では、緊急事態宣言なるものが発令され、街中のお店、会社はほぼ閉鎖。学校も休校。人も街から消えていた。 その緊急事態宣言の期限というのは、5月6日。そうGWの最終日まで。 当時は、まだゴールデンウイークという4月末から5月頭までの期間、祝日に合わせてに全国的に休みを取るというのが一般的であった。 日本には子供の日と呼ばれる祝日がありました。それが5月5日です。 確かな記録は残ってはいませんが、全家庭の入り口に鯉を模様した布を吊す日だったよ

          【16日目】こどもの日

          【15日目】自粛延長

          令和2年年5月4日。 当時、日本では、緊急事態宣言なるものが発令され、街中のお店、会社はほぼ閉鎖。学校も休校。人も街から消えていた。 その緊急事態宣言の期限というのは、5月6日。そうGWの最終日まで。 当時は、まだゴールデンウイークという4月末から5月頭までの期間、祝日に合わせてに全国的に休みを取るというのが一般的であった。 そしてこの日、当時の首相安倍晋三が全国民に向け演説を行ったのである。 内容は、緊急事態宣言の期間延長である。 自粛により営業活動ができない社会の

          【14日目】Twitter

          令和2年年5月3日。 当時、日本では、緊急事態宣言なるものが発令され、街中のお店、会社はほぼ閉鎖。学校も休校。人も街から消えていた。 その緊急事態宣言の期限というのは、5月6日。そうGWの最終日まで。 当時は、まだゴールデンウイークという4月末から5月頭までの期間、祝日に合わせてに全国的に休みを取るというのが一般的であった。 その当時、Twitterと呼ばれるコミュニケーションサービスが彼らの生活の中心になっていた。 なんとも説明しづらいサービスだが、限られた文字数の

          【13日目】デリバリー

          令和2年年5月2日。 当時、日本では、緊急事態宣言なるものが発令され、街中のお店、会社はほぼ閉鎖。学校も休校。人も街から消えていた。 その緊急事態宣言の期限というのは、5月6日。そうGWの最終日まで。 当時は、まだゴールデンウイークという4月末から5月頭までの期間、祝日に合わせてに全国的に休みを取るというのが一般的であった。 休業要請が出ており、お店は閉店や時間短縮を求められたのだが、そこで課題になるのが食事である。約一ヶ月もの間、外食ができずスーパーへの買い物に行き自

          【13日目】デリバリー

          【12日目】9月新学期スタート

          令和2年年5月1日。 当時、日本では、緊急事態宣言なるものが発令され、街中のお店、会社はほぼ閉鎖。学校も休校。人も街から消えていた。 その緊急事態宣言の期限というのは、5月6日。そうGWの最終日まで。 当時は、まだゴールデンウイークという4月末から5月頭までの期間、祝日に合わせてに全国的に休みを取るというのが一般的であった。 その期間は大勢の人が旅行やレジャーを楽しむ期間でもあるので、コロナ感染を警戒した政府が人の移動を抑えるためにこの期限を設けた。 しかし、4月30

          【12日目】9月新学期スタート

          【10日目】試行錯誤

          令和2年年4月29日。 当時、日本全土で緊急事態宣言なるものが発令され、街中のお店、会社はほぼ閉鎖。人も街から消えていた。 私は、当時花粉症の治療シダキャアというだ舌下免疫の薬を飲んでおり、その薬をもらうため病院へ向かった。 そこでは、病院入り口の横に発熱患者用のテントが張られており、物々しい雰囲気。 病院の入り口にいくと、防護服を着たスタッフからレーザーでの検疫とこの日までの行動のアンケート、アルコール消毒を行ってもらい。病院内に入った。 今では当たり前の来院時の入

          【5.6日目】時代の変化

          令和2年年4月24日。 当時、日本全土で緊急事態宣言なるものが発令され、街中のお店、会社はほぼ閉鎖。人も街から消えていた。 「おでこにレーザー当てますね。」 その日、わたしは歯科医で治療を受けるために来院していた。 うん?なに? 何がなんだかわからず顔を膠着させた。そう。ただ検温をされていたのだ。 コロナ感染者の予防のため、患者にはすべめ体温チェックをしていたのだ。 今でこそ、体温を測る際はおでこにレーザーを当てるが、当時の日本は体温を測るというとまだまだ、脇の間

          【5.6日目】時代の変化

          【3.4日目】契約更新

          令和2年年4月22日。 当時、日本いや世界ではコロナという感染症の大流行により、ロックダウン、外出自粛、自宅待機、休養要請などという言葉が飛び交っていた。 自宅待機をいいことに、昼頃に起きてきた私。 ちょうど一般の電話が入った。会社からだ。 コロナ騒動の影響で1ヶ月近い自宅待機を言い渡されていたのだが、給与や補償については正式な回答をもらっていなかった。 内容は、4月分については給与はなんとか出ると、しかし5.6月分については、もしこの状況が続けば、半分以下しか払え

          【3.4日目】契約更新

          【2日目】不要不急

          令和2年年4月20日。 当時、日本いや世界ではコロナという感染症の大流行により、ロックダウン、外出自粛、自宅待機、休養要請などという言葉が飛び交っていた。 ついに東京都や大阪都(旧大阪府)や京都府などの都心部だけではなく、日本全国に緊急事態宣言というものが発令され、外出の自粛が日常の光景となった。 そこで、不要不急の外出についての線引きに度々論争になっていた。 当時の私は自宅待機を命じられ、スーパーへの買い物以外は自宅で過ごしていたのだが、唯一それ以外で外出しなければ