親の心子知らず、は永遠で。
見出し画像

親の心子知らず、は永遠で。

#あの失敗があったから

父の日。というのは、分かっていた。

SNSを何気なく見ていても、街中を何気なく歩いていても、「父の日」とか「Father’sDay」の文字が飛び込んでくるから、意識しないでも認識させられる。

ただ今年は、事前にプレゼントも買ってあって、7月の帰省時に渡す事も本人に伝えてあったから、特に何もしないで良いかなって思っていた。

けれど、何もしないのはなーと思って家の中を見渡せば、祖母が送ってくれたスイカのダンボールが目に付いた。

そうだ、スイカの種でメッセージを作ろう!

なんて、思い付いてしまった私はスイカを切り、種をザルに集め、まな板の上に種を並べ、文字を形作った。

スイカを切り始めて30分くらい経ち、ようやく完成したのがこちら。


自信満々で画像を父に送り、どんな返事が返ってくるかな?喜んでくれるかな?つっこまれるかな?とワクワクしていたら、ようやく父から返事が来た。

これだけなのね…

と。

え、いや、めっちゃ愛込めたよ!頑張ったよ!と思い、もう〜と思って電話をかければ、すぐに父は出てくれた。

頑張ったのに〜と言えば、一言、

声が聞きたいの。顔が見たいの。それだけなんだよ。
14時くらいからずっと充電して待ってたのに。

と返された。

返す言葉は、なかった。

多分父は本当にずっと待っていたんだ。私が電話してくるのを。

父の言葉が嬉しかったのと同時に、そんな事も分かっていなかった自分が恥ずかしくて、私はごめんもありがとうもすぐに言えなかった。

当たり障りない話を振って話題を逸らしてみたけれど、話している内に父の日の話題に戻ってしまい、私の口はせっかく書いたのにさ〜とか、あれ結構大変だったんだよ〜とか、くだらない言い訳を並べ始めた。

記念日にしか祝わないのってなんかおかしいよね。だって、私はいつも父と話している方だし、ありがとうも好きも伝えてるもん。

いつも家族の話をしない人が、SNSとかでこれやってやったぜ〜みたいに見せるのダサくない?そんなん、当たり前じゃんね。

なんて、くだらない事ばっかりだ。

そんな私に父は、

それでも、父は待ってたよ。
だけどお前はメッセージ作るのを頑張ってくれた。
期待していたものが違ったんだよな。
仕方ない。
でも、こうやって話せて満足だよ。
そろそろ、寝るか。

なんて、言う。

満足なんてしてないくせに。

と、私は言ってしまった。

してますよ。満足ですよ。

なんて、敬語になった父に私はもっと嫌になり、

してないじゃん!
嫌だったなら嫌だったって言えば良いじゃん!

泣きながら、怒鳴ってしまった。

本当は悔しかっただけ。父の期待に応えられなかった自分が。父の事、大好きなはずなのに、何も分かってなかった自分に腹が立っただけ。

6年前の母の日から、何も変わっていない自分に嫌気が差しただけなんだ。

───

6年前の2月、母にがんが見つかった。

末期の子宮頸がんで、余命は半年から1年と言われていた。

結局、余命宣告から5ヶ月しか経たない、7月に息を引き取ったのだが、

余命なんて、長い方を信じていた。短く見積るものだと思っていた。1年は一緒にいられると思っていた。ゴールデンウィークは一緒に出かけられるほど元気だった。

だから、6年前の母の日、私は何もしなかった。

元々、そういうのにこだわりを持つ家族ではなくて、親の誕生日にお小遣いで何かを買って渡せば、親のお金でそんな事しなくて良いから、なんて言われるような家族だった。

母の日だって、家にいる時はお手伝いをする日くらいでしかなかった。

でも、6年前は違った。何もしなかった私に母は、

最後かもしれなかったのに。

そう、言ったんだ。

ありがとうも大好きも毎日伝えたって足りないくらい愛しい人に、その気持ちをちゃんと伝えられる日を、私は逃してしまって。

いつも伝えているからなんて関係なく、今までその日を重視していなかったからなんて関係なかったのに。

私はそれから、母の日が嫌いなまま。

毎年、後悔だけを積み重ね、懺悔のようにありがとうと呟き花を買う。

あれから私は、何も変わっていなかったんだ。

───

このまま電話が切れてしまったら後悔するくせに、父を繋ぎ止める言葉は一言も出てこなくて。

涙だけが溢れ、頬を伝う。

これで父さんが明日死んじゃったら、なんて、ありもしない事を考え出して余計に悲しくなって、遂に声を出して泣き出す私。

父には、泣きじゃくる声とティッシュを引っ張る音だけが聞こえていたと思う。

母との思い出なんか知らない父に向かって、

母さんが。母さんの時みたいに。嫌だ。

泣きながらそんな事をぶつけて。

でも父は、待ってくれた。

声は聞きたいけどさ。
泣き声は聞きたくないよ。

何度も、そう言いながら。

しばらく経ち、ようやく落ち着いてきた私は、拗ねた声で父に告げた。

ごめん。
来年から毎年ちゃんと電話する。

泣きながら、いきなり謝って謎の宣言をする私に、父は少し笑った。

私は父に話した。母との辛い、思い出を。だから、後悔はしたくないし、父の日まで嫌いにさせないでと。

分かった。じゃあ必ず電話して。
5分でも、30秒でも、良いからさ。

父は、そう言って笑ってくれた。

嬉しかった。これで私は父の日を嫌いにならないで済む。

それから父は、また他愛もない話をしてくれた。私がいつもみたいに話せるようになるまで。私が泣いてたのなんて嘘みたいに。

ちゃんと心からの笑顔で、おやすみって言えたのは父のおかげだ。

───

親の心子知らず、とはよく言ったもので。

社会人になってから、こんなに大変な中で家族との時間を作ってくれてたんだ〜とか、こんなに働いた後にご飯作ってくれてたんだ〜とか、たくさん思うところがあって、感謝の気持ちをよく伝えるようになっていたし、親の気持ちもよく分かるようになってきたと思っていた。

でもそんなのは、どれも小さすぎる気付きでしかなくて。

親の、子どもへの愛は計り知れなくて。

26歳になってもまだ、敵わないなって思う。

だから、もう、分かったつもりになんて絶対ならないと決めた。

そして、自分が親に愛されているという事を認めようと決めた。

声が聞けて嬉しい?顔が見れて嬉しい?そんなの嘘でしょ。なんて思うのはやめた。

会えるだけで嬉しいと思って愛してくれる親の元に生まれて、本当に良かったなと思う。

かけがえのない、代わりなんていない大好きな家族に、お互いの命が尽きるまで、大好きだって伝え続けたい。

もう、失敗なんて、しないように。

この記事が受賞したコンテスト

ありがとうございます!
文学好きの球技馬鹿│26歳東京在住│機械音痴のITコンサル勤務│CGM東京主信仰教会所属│毎週土曜朝7:00は詩を綴る時間│Twitter→@okiri_sentences